社号 | 若江鏡神社 |
読み | わかえかがみ |
通称 | |
旧呼称 | 塚本大明神 等 |
鎮座地 | 大阪府東大阪市若江南町 |
旧国郡 | 河内国若江郡若江村 |
御祭神 | 大伊迦槌火明神、足仲彦命、息長足姫命 |
社格 | 式内社、旧郷社 |
例祭 | 10月10日 |
式内社
若江鏡神社の概要
大阪府東大阪市若江南町に鎮座する式内社です。
当社の創建・由緒は詳らかでありません。
当社の奉斎氏族について、『新撰姓氏録』右京諸蕃に後漢霊帝の苗裔である奈率張安力を出自とする「若江造」が登載されており、この渡来系の氏族が当社を奉斎したとする説があります。
一方で社名の「若江」とは単に地名を指し特定の氏族に依拠しないとする考えもあり、若江とは河内湖の入江だったことに因むものとも考えられます。
当地は若江郡の中心的な地であり、物部氏の存在も無視できない地です。祭祀氏族としての物部氏が当社の祭祀を担った可能性も考えられるかもしれません。
また、社名の「鏡」が何を指すかも諸説あります。単に何らかの故あって鏡を御神体として祀っていた説、当地で鏡の製造を行っていた説などがある一方、鏡を太陽の形代として当地を「日読み」の地としていたとする説もあります。
「日読み」説は春分秋分に真東に生駒山地から日が昇り、冬至の日の出の方角を知るにも適した地というものですが、根拠がない上に地図を見ても現地で確認しても特にそのような地とも思えず、かなり無理のある説と言わざるを得ません。
当社の本殿の前に「雷の手形石」と呼ばれるものがあり、これについて次のような話があります。
神功皇后の御代、雷が神前に落ち、神の怒りに触れて天へ帰れなくなった。そこで二度と雷を落とさないと誓い手形を神前に残し、神の許しを得て天へ帰ることができた。これにより、若江には雷が落ちることはなくなった。
落ちた雷に二度と雷を落とさないと誓わせる同様の伝説は全国各地に伝わっています。例えば兵庫県三田市桑原の「欣勝寺」にも同様の話があり、これに因み雷の際は欣勝寺の地名を元に「くわばら、くわばら」と唱える風習が生まれたとされています。
この雷の手形石の伝説に関連し、『文徳実録』斉衡元年(854年)四月一日条に見える「河内国大雷火明神」を当社に比定する説があります。ただこの神は当社でなく所在不明の国史現在社と見るべきだとする説も有力です。
入江、鏡、雷、そして或いは太陽と、当社の信仰はいくつもの要素が絡み合って複雑な様相を示しているように思えます。
少なくとも当地は若江郡の中心であり、当社もまた重要な神社として近隣から崇敬を集めた神社だったことは間違いありません。
境内の様子
境内入口。鳥居は東向きに建っています。周囲は住宅地となっていますが当社境内はこんもりと緑で溢れています。
境内は長い参道が続き、このように鬱蒼とした森となっています。
しかし2018年の台風21号により木の倒壊などがあったようで、2019年現在はちょっと物寂しくなっています。写真は2014年訪問時のもの。
参道の左側(南側)に手水舎があります。
長い参道を奥へ進んでいくと正面に社殿が東向きに並んでいます。
拝殿は銅板葺の平入入母屋造に大きな唐破風の向拝が付いており、RC造となっています。
なお、『河内名所図会』の挿絵では桁行方向に細長い平入入母屋造の拝殿が描かれています。
拝殿前の狛犬は真新しい花崗岩製のもので、なかなか貫録があります。
拝殿後方に建つ本殿は文政十一年(1828年)の建立で、二棟の銅板葺一間社流造が一つに接続した珍しいものとなっています。東大阪市指定有形文化財。
本殿前に玉垣に囲まれた「雷の手形石」と呼ばれるものがあります。二つの楕円形の石が前後に二つ並んでおり、それぞれ異なる石材となっているようです。
雷の伝説が伝えられていますが、古くからの祭祀場、もしくは何らかの宝物等が埋められている等も考えられます。雷の伝説については上記の概要をご覧ください。
※本殿および雷の手形石は普段は見ることが出来ませんが、神職の方のご厚意により親切に案内してくださいました。本当にありがとうございます。
本社社殿の左側(南側)に「皇大神宮」が東向きに鎮座。
鳥居が建ち、桟瓦葺の妻入入母屋造の覆屋が建っています。恐らく中に社殿が納められているのでしょう。
皇大神宮の前の狛犬はやや古く感じられ、もしかしたら拝殿前の前代の狛犬なのかもしれません。大きく見開いた目が特徴的です。
皇大神宮の傍らに「水神社」が南向きに鎮座。
社殿は銅板葺の流見世棚造。
本社社殿の右側(南側)には「塚本稲荷大明神」が東向きに鎮座。
二基の朱鳥居が建ち、桟瓦葺の流造状の社殿が建っています。これも恐らく覆屋でしょう。
なお、本社は江戸時代には「塚本大明神」「塚本宮」とも呼ばれていました。後述の鏡塚に因むものでしょうか。
本社社殿手前、境内の北側に「熊野権現社」が南向きに鎮座。
社殿は桟瓦葺の妻入切妻造。恐らく覆屋でしょう。
熊野権現社の奥(北西側)に「八雲歓喜天」が東向きに鎮座。
社殿は銅板葺の流見世棚造。
熊野権現社の右側(東側)にある銅板葺・流見世棚造の祠に地蔵菩薩の石像が祀られています。
神社建築に石仏が祀られているのは珍しいように思います。
本社社殿の右奥(境内の北西)に「鏡塚」と呼ばれるものがあります。
神功皇后が三韓征伐の帰途にここに鏡を埋めたとも、海外から移り住んだ豪族の妃を祀ったとも伝えられています。
鎌倉時代のものともされる宝篋印塔が置かれてありますが、神職の方のお話ではその後ろにある立石が鏡塚なのではとのことでした。
当社は町中にありながらも緑豊かで実に爽やかな神社でした。
御朱印
由緒
案内板
市指定文化財
若江鏡神社本殿 一棟
案内板
市指定文化財 若江鏡神社本殿
『河内名所図会』
地図