社号 | 湯泉神社 |
読み | とうせん |
通称 | |
旧呼称 | 湯山三所権現 等 |
鎮座地 | 兵庫県神戸市北区有馬町 |
旧国郡 | 摂津国有馬郡湯山村 |
御祭神 | 大己貴命、少彦名命、熊野久須美命 |
社格 | 式内社、旧郷社 |
例祭 | 10月3日 |
湯泉神社の概要
兵庫県神戸市北区有馬町に鎮座する式内社です。『延喜式』神名帳には大社とあり、古くは有力な神社だったようです。
『延喜式』神名帳には全国に十社前後の温泉関係の神社が記載されており、有馬温泉に所在する当社はその代表的な神社です。
有馬温泉は『日本書紀』に舒明天皇や孝徳天皇が度々訪れたことが記されており、非常に古くから知られると共に皇室と密接に結びついた温泉でもありました。
有馬温泉は「大己貴命」と「少彦名命」の二神が有馬を訪れた際、脚の傷ついた三羽の烏が赤い水を浴びて癒していたのを見て温泉を発見したと伝えられています。当社の創建・由緒は不明ながら、これに因みこの二柱が祀られたものとされています。
一方、江戸時代の地誌『摂津名所図会』には少彦名命はこの地から14kmほど北方にある羽束山の神であるとし、大己貴命は三輪明神でありこの地の地主神であると記されています。『延喜式』神名帳には二座と記されていないことから元々一柱のみが祀られていたことが考えられ、それは大己貴命だったことが示唆されています。
いつの頃か二柱が祀られるようになったようで、さらにその後鎌倉時代に「熊野久須美命」が合祀され「湯山三所権現」と呼ばれるようになりました。
当社はもともとは斜面下にある温泉寺の境内にありました。明治十六年(1883年)に現在地に遷座されましたがその理由は判然としません。
当社は温泉の神であると共に子宝の神としても信仰されており、女性は「玉鉾」と呼ばれる素焼きでできた男形を、男性は「阿福」と呼ばれる素焼きでできた女形を身に着けて参拝する風習があります。
境内の様子
境内入口。愛宕山の北麓に一の鳥居が北向きに建っています。
一の鳥居をくぐり石段を上ると参道は左へ折れ、さらに長い石段が続きます。
石段を上りきると二の鳥居が北西向きに建っており、その先は広い空間となっています。明治十六年に温泉寺からこの地に遷座したのはこのような広い地を求めてのことだったのかもしれません。
二の鳥居をくぐり、その先にある基壇上に北西向きに社殿が並んでいます。
拝殿は銅板葺・平入入母屋造に千鳥破風と唐破風付きの向拝の付いたもの。
拝殿前の狛犬。砂岩製の古めかしいものです。温泉寺の境内に鎮座していた頃からのものなのでしょう。
本殿は銅板葺の一間社隅木入春日造。
本社拝殿の左奥(東側)に「國津社」が鎮座。
本社拝殿の右奥(南側)に「天津社」が鎮座。先の國津社と対になるように配置されています。
天津社の手前側、本社拝殿の右側(南西側)に「子安堂」が鎮座。お堂の中には男根の模型が納められていました。
隣に大黒天(一般に大国主命(大己貴命)と習合されている)の石像も配置されています。
基壇前の右側(南西側)に三社の相殿があります。左から「愛宕社」(御祭神「阿遇突命」)、「金刀比羅神社」(御祭神「大物主命」)、「稲荷社」(御祭神「稲倉魂命」)が祀られています。
境内の西側に小さな池があり、その池に「胸形神社」が鎮座。御祭神は「市杵島姫命」「多紀里比賣命」「タ岐都姫命」。
道を戻ります。石段の途中、右側(南西側)に「妙見堂」が鎮座。鳥居が設けられ鈴の緒が付いてる一方、平入寄棟造で壁には火灯窓が設けられており、神仏折衷といった建築です。
当社一の鳥居の東方に「温泉寺」があります。正式には「有馬山温泉禅寺」で黄檗宗の寺院です。
寺伝では神亀元年(724年)に行基によって創建されたと伝えられ、真言宗の寺院でした。幾度も盛衰を繰り返しましたが明治の廃仏毀釈で廃寺となり、その後黄檗宗となって再興されました。
当社は明治十六年(1883年)に現在地に鎮座するまで温泉寺の境内に鎮座していたと言われています。
付近は有馬温泉の温泉街として風情ある町並みとなっています。
有馬温泉は古く舒明天皇や孝徳天皇が訪れ、その後も時の権力者に利用されました。特に豊臣秀吉は幾度も湯治のために訪れ、大規模に整備したことはよく知られています。
当地は古くから竹細工の産地として有名で、戦後には安価なプラスチック製品が大量に出回るようになったことで著しく衰退しましたが、現在も辛うじて伝統工芸品として竹細工が製作され続けています。
有馬温泉街のあちこちに泉源があります。泉源によって泉質が異なっており、鉄分を多く含む褐色の塩化物泉(金泉など)やラジウムを含むラジウム泉(銀泉など)、炭酸を含む炭酸水素塩泉などがあり、温泉の乏しい畿内において実に豊富な種類、豊富な量の湯を湧き出している貴重な温泉です。
由緒
『摂津名所図会』
地図