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売布神社 (兵庫県宝塚市売布山手町)

社号 賣布神社
読み めふ
通称
旧呼称 貴船大明神
鎮座地 兵庫県宝塚市売布山手町
旧国郡 摂津国川辺郡米谷村
御祭神 下照姫神
社格 式内社、旧郷社
例祭 10月19日

 

賣布神社の概要

兵庫県宝塚市売布山手町に鎮座する式内社です。

社伝によれば、当社は推古天皇十八年(610年)の創建と伝えられています。江戸時代には「貴船大明神」と称し、水神を祀っていたようです。

式内社「賣布神社」は中世以降所在不明となっていましたが、当地の旧地名「米谷(マイタニ)」を「メフ谷」に因むとし、江戸時代中期の地理学者である並河誠所が当社に比定しました。

 

現在の御祭神は「下照姫神」を主祭神としており、「天稚彦神」を配祀しています。明治以降に御祭神が変更されたものと思われますが、社伝では下照姫神が当地の人が困窮しているのを憂え、田植えと麻績、機織を教えることで当地の人は豊かな生活が可能となり、この神徳を慕って下照姫神を祀ったとしています。

当地の地名「米谷」も先述の「メフ」に因むとする説のほかに「米種」が転訛したものとする説もあるようです。

しかし先述のように当社は江戸時代には水神として祭祀されており、下照姫神の伝承が古くからあったのかは疑問と言わざるを得ません。

 

一方、当社は「大咩布命(意富売布命)」を祖とする物部系の氏族「若湯坐氏」が当地に居住し祖神を祀ったのが当社であるとする説があります。『先代旧事本紀』には宇摩志麻治命の七世孫として「大咩布命」が見え、若湯坐連らの祖であると記されています。

『新撰姓氏録』摂津国神別に神饒速日命の六世孫、伊香我色雄命の後裔であるという「若湯坐宿祢」が登載されている他、『三代実録』貞観五年八月八日の条に摂津国河辺郡の人として「若湯坐連宮足」「若湯坐連仁高」なる人物が見えており、少なくとも摂津国川辺郡に若湯坐氏が居住していたことは確実です。

川辺郡に居住していた事実、そして祖とされる大咩布命の一致から、若湯坐氏が当社を奉斎していた可能性は高いと言えましょう。

 

その一方でメフとはニフなどと同根で水銀を産する地、或いは水辺などを指すこととする説もあります。

大和国吉野郡の「丹生川上神社」が水神を祀ることを見ても、ニフが水に関する語であることは容易に想像できます。当社が「貴船大明神」として水神を祀る神社だったのも或いはこのためだったのかもしれません。

その他、三田市酒井に鎮座する式内社の「高売布神社」も当社に関係するとする説があります。

 

現在は阪急宝塚線の駅名にもなっており、知名度の高い神社となっています。周囲は高級住宅地として開発されていますが、北摂山系南西部の中山寺や清荒神清澄寺といった著名な寺社の密集する一帯の一角として、当社は現在も崇敬を集めています。

 

境内の様子

境内南方約200mほどの地に当社の社号標と灯籠の建つ三角形の一画があり、その垂線にちょっとした石段が伸びています。この先、小学校とマンションに挟まれて参道が続きます。

 

参道を進んでいくと南向きに鳥居が建っており境内入口となります。鳥居は弘化五年(1848年)に建立されたもので、柱や額束に補強の部材が施されています。

 

鳥居をくぐると鬱蒼とした森となっています。

 

さらに進むと注連柱が建ち、長い石段が伸びています。当社は北摂山系の南西部の中腹にあり、周辺が開発された中で豊かな自然を残しています。

 

石段の中ほどの左側(西側)に手水舎が設けられています。

 

売布神社

売布神社

石段を上ると東西に広い空間となっており、正面には南向きの社殿が並んでいます。

拝殿は銅板葺・平入の入母屋造で向拝の付いたもの。

 

拝殿前の狛犬。花崗岩製です。

 

また、拝殿前には「賣布社」と刻まれた石碑が建っています。

これは当時所在が不明となっていた式内社を江戸時代中期の地理学者・並河誠所が研究し、比定された神社に記念として建立されたもの。摂津国ではよく見かけるものです。

当社ではこの石碑を建立する際の経緯を記した覚書が伝わっています。

元文元年(1736年)の建立で宝塚市有形文化財

売布神社社号標石

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【宝塚市指定文化財】

売布神社社号標石

付 文書2冊「賣布社石碑之覚」原本と写
指定年月日 昭和51年3月30日

江戸時代中期、八代将軍徳川吉宗のとき、並河誠所は寺社奉行大岡越前守忠相より畿内の地誌編集を命じられた。彼は宝塚市域内の調査の際、地元で「貴船大明神」と呼ばれていたこの神社が、『延喜式』の「神名帳」(10世紀初期頭編纂)に記される「賣布神社」であることを明らかにした。

そこで元文元年(1736)、この神社の社号を正す為にこの標石が立てられた。

そのいきさつを記した文書が地元に「賣布社石碑之覚」として、原本と写が残されている。

総高91cm 花崗岩製(注)「賣」は「売」の旧字体である。

 

拝殿後方には本殿の納められた覆屋が建っています。本殿の様子は一切見えませんが、文化十三年(1816年)に建立された檜皮葺の流造です。

 

社殿左側(西側)の空間に「厳島神社」が東向きに鎮座。御祭神は「市杵島比売命」。

朱の瑞垣に囲われて小さな池があり、その中の島に祠が建てられています。

 

社殿右側(東側)の空間の石段上に「豊玉神社」が南向きに鎮座。御祭神は「豊玉毘古大神」「豊玉毘賣大神」。

龍の銅像が置かれていることからもわかる通り龍神として祀られています。

しかし賣布神社本社は元々「貴船大明神」と呼ばれていたことから水神を祀っていたと思われ、それとは別に海神・龍神である豊玉毘古・毘賣大神を祀るのは不自然に思われます。

もしかしたら、本社の御祭神が下照姫神に充てられるようになってから、元々祀られていた水神をこちらに遷し、神名を変えて豊玉毘古・毘賣大神として新たに祀り直したのかもしれません。

厳島神社といい豊玉神社といい、当社境内は「龍神」的な神が多く祀られており、当社の信仰の根源が水への祭祀だったことが伺えます。

 

豊玉神社の右側(東側)に「稲荷大神」が鎮座。

 

社殿の建つ空間の東端に「神武天皇遥拝所」があります。方角からして橿原神宮か神武天皇陵への遥拝所でしょうか。

一般に遥拝所は石碑が建っているだけなことが多いのに対し、このように屋根付きの建物として設けられるのは珍しい例と言えそうです。

 

社殿前から境内を見下ろした様子。北摂山系の中腹にあり高低差のある地形です。

 

当社の境内の社叢はシイ類の多く見られる暖地性の森となっており、貴重な植生として宝塚市指定天然記念物となっています。

一度は人の手が加わったのかアカマツなどの分布する二次林だったようですが、現在は再び自然林へと遷移していってるようです。

植生の遷移を考える上でも貴重な例なのでしょう。

案内板「売布神社の社叢」

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【宝塚市指定天然記念物】

売布神社の社叢

指定年月日 昭和51年3月30日

宝塚市に成立している樹林を分類すると大きく二つに分かれる。一つは神社等の林に見られるシイ林やカシ林のような自然林、一つはアカマツ林やコナラ林のような二次林である。

売布神社の社叢は以前アカマツ林であった林が長期にわたり保護されることにより、自然林に近い林へと変わってきた林である。上層部にはアカマツやアベマキが残っているものの、林全体から見るとシイ(ツブラジイ、スダジイ)を中心とする自然林に近い林になっている。シイ林は当地域において最も安定した自然状態の林である。売布神社の社叢は今後シイ林として長年生存するものとおもわれる。

 

境内の一画には涸れた人口の池(?)がありました。元々は水神を祀る神社でしたが、何か水に関する伝承はあったのでしょうか。

 

タマヨリ姫
電車の駅名にもなってるから大きな神社かと思ったけど、意外と普通の神社だね。
そうね。でも周辺は大規模に開発されたし、中山寺や清荒神清澄寺といった有名な寺も近くにあるから、参拝客は結構多いのよ。
トヨタマ姫

 

由緒

案内板「賣布神社の由来」

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賣布神社の由来

今から約一千四百余年前の 推古天皇十八年の御創建で 御祭神は下照姫神(大国主神の姫君)とその夫君の大稚彦神をお祀りしています。

当地に来られた下照姫神は 住民が飢えと寒さで困窮せるを見給いて 稲を植え 麻を紡ぎ 布を織ることを教えられました その後豊かな生活を送ることができた里人は その御神徳を慕い 聡明で美しい姫神さまをお祀りしました

現在では、衣・食・財の守護神としてまた恋愛 結婚成就の神様として崇敬されています

延喜式内社として近郊に知られ 宝塚市内唯一の旧・郷社であります

拝殿前の社号標石「賣布社」一基と社叢約四一〇〇平方米は宝塚市文化財に指定されています

平成二十五年 元旦
社務所

『摂津名所図会』

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賣布神社

米谷村にあり。延喜式出。この所の生土神とす。今貴布禰明神と呼ぶ。

 

地図

兵庫県宝塚市売布山手町

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