社号 | 越木岩神社 |
読み | こしきいわ |
通称 | |
旧呼称 | 蛭子太神宮 等 |
鎮座地 | 兵庫県西宮市甑岩町 |
旧国郡 | 摂津国武庫郡越木岩新田村 |
御祭神 | 蛭児大神 |
社格 | 式内論社 |
例祭 | 9月21日 |
越木岩神社の概要
兵庫県西宮市甑岩町に鎮座する神社です。
当社の創建・由緒は詳らかでありませんが、背後に「甑岩(こしきいわ)」と呼ばれる大きな花崗岩の岩石があり、非常に古くからこれを磐座・磐境として祭祀してきたと考えられています。
この岩石は六甲山の南東端にあたるこの地において非常に特徴的で印象深いランドマークと言うべきもので、古くから神性を見出してきたものと思われます。
この岩石が甑岩と呼ばれているのは酒米を蒸す際に用いる「甑」(蒸籠)に似ているからと言われています。またこの岩石は古くから煙を出すとも言われ、これも「甑」からの連想かもしれません。
伝承では、大阪城の石垣を築く際に甑岩が切り出されようとされたものの、石切の職人がノミを打ち付けたところ岩の裂け目から白煙が噴き出して熱気となり、石切職人は驚いて斜面を転がり落ちて息絶え、遂に甑岩を切り出すのは中止になったと伝えられています。
甑岩には実際に切り出して運び出そうとした大名の刻印が刻まれており、大阪城の石垣にしようとしたのは事実だったようです。
一方で当社に社殿が再建されたのは正保年間(1644年頃)のことで、明暦二年(1656年)に醫王山円満寺の僧である教順が西宮神社から「蛭児大神」を勧請し「蛭子太神宮」と称したと言われています。
現在のような境内が整えられたのはこれ以降のことと思われ、正保年間以前に社殿があったのか、恒常的に神が祀られていたのかは不明です。
一説には式内社「大國主西神社」は当社であるとも言われており、境内社である石祠の「土社」がそうであるとされています。
いずれにせよ当社の祭祀の本質はやはり岩石祭祀であり、この信仰は極めて古いものと考えられます。当社の境内は六甲山地では貴重な大規模な照葉樹林を形成しており、ヒメユズリハの優占する暖地林となっています。兵庫県下では数少なく学術的価値の高い社叢として兵庫県天然記念物に指定されています。
こうした社叢が残っているのも、神社としての体裁が整っていなかった(?)時代にもこの地が禁足地として大切に守られてきたことが考えられましょう。
一方で当社境内の周囲は磐座を保存することを条件に夙川学院のキャンパスとなっていましたが、経営トラブルのために不動産業者に売却されてしまい、不動産業者は磐座の破壊を進めています。不動産業者は神社からの要望を無視しており、喫緊の問題となっています。
境内の様子
境内の南方約700m、阪急苦楽園口駅の西方約500mの地点に当社の注連柱と灯籠が建っています。ここからは斜面をかなり上っていくことになります。
斜面の道を道なりに上っていくと当社の境内入口となります。入口には南向きの鳥居が建っています。
鳥居をくぐった様子。境内は非常に鬱蒼とした森となっています。当社の社叢はヒメユズリハの優占する貴重な暖地林で兵庫県天然記念物に指定されています。
鳥居をくぐって左側(西側)に「力石」があります。
力石とは腕に自信のある者が持ち上げて力を試すための石で、各地の神社や人の集まる要衝に置かれていました。
石段を上った様子。鬱蒼とした木々のため昼間でも真っ暗な参道となています。
参道に配置されている狛犬。花崗岩製です。
参道途中の右側(東側)に舞台があります。
参拝時は残念ながら工事中でした。
参道をさらに進んだ様子。正面の石段上が社殿の建つ空間となります。
石段下には何故か左右両側に手水舎があります。どちらの手水舎を使うか迷ってしまいます。初詣などの多客期には力を発揮するのでしょうか。
石段を上って正面に社殿が南向きに建っています。
拝殿はRC造で、銅板葺・平入切妻造に千鳥破風と唐破風付きの向拝を付け、左右両側にも向拝のような庇が伸びた独特の形式。
拝殿前の狛犬は砂岩製。参道のものよりも古そうな印象です。
当地は後述の岩石にも代表されるように花崗岩の産地であり、花崗岩の加工が盛んに行われましたが、狛犬の加工は和泉などの砂岩の産地の方が盛んだったらしく、このような花崗岩地帯でも砂岩製の狛犬が導入されています。
本殿は木造で銅板葺・平入入母屋造。塀に囲まれて建っています。
社殿前の傍らに大阪城の石垣に使われる予定だった花崗岩が残されています。大阪城の修築を担当した鍋島氏や池田氏の刻印が記されています。
大阪城の石垣の採石地は長らく不明でしたが、当社の岩石の刻印から当地一帯で一部が採石されたことが知られるようになりました。他に瀬戸内海の小豆島や犬島から採石されたと考えられています。
案内板
大坂(阪)城築城の残石
社殿の左側(西側)からは境内の奥にある甑岩へと続く参道が伸びています。
こちらの参道入口に鳥居が建っており、そこをくぐると再び鬱蒼とした社叢に覆われます。
参道の途中、左側(西側)に「土社」の石祠が鎮座しています。御祭神は「大地主(おおとこぬし)大神」。
一説にこの神社が式内社「大國主西神社」であるとも言われています。
さらに参道を進むと石段の上にもう一基鳥居が建ち、その奥に当社の御神体とも言われる巨岩「甑岩」が見えてきます。
鳥居をくぐって正面、甑岩の前に「岩社」が鎮座しています。御祭神は「市杵島姫大神」。蛭子大神を祀っている本社とは全く別の神を祀っていることになります。
一方でこの磐座の神は「甑岩大神」と呼ばれるようで、どのような祭祀構造なのかは不詳ながら市杵島姫大神は磐座の神とはまた別のようです。
岩社の背後に聳える巨大な花崗岩「甑岩」。当社の御神体とされており、磐座として非常に古くから祭祀されていたと考えられています。
その形が酒を蒸す甑に似ていることからその名が付けられ、また甑のように煙を出したといった伝承もあります。(詳しくは概要をご参照ください)
磐座として神聖視された一方で石材として切り出そうとした跡も見受けられ、ノミが穿たれた跡や大阪城築城のために切り出すための大名の刻印が残されています。
案内板
甑岩
岩社の左側(西側)に「六甲山社」の石社が鎮座。御祭神は「菊理姫神」。
御祭神からしても六甲山頂近くに鎮座する「六甲山神社(石宝殿)」からの勧請でしょうか。
六甲山社の奥側(北西側)の空間に「甑不動明王」の石像が安置されています。
阪神大震災の直前に上半身が切り取られて盗難に遭い、後に新しく石像が造られて千葉の成田山新勝寺から入魂されました。
甑不動明王の右側(東側)に「水神社」が鎮座。御祭神は「罔象免(みずはのめ)大神」。
祠の下に泉が湧いており御神水となっています。ラジウムが多く含まれる鉱泉で、室町時代から様々な病に効くとして多くの人々に飲まれてきたと言われています。
岩社の右側(東側)に二社の「稲荷社」が並んで鎮座。左側に「白玉稲荷大神」、右側に「大崎稲荷大神」を祀っています。
いずれも社殿の背面に丸い穴が一つ穿たれており、神使が出入りする穴とされているのでしょう。
注目すべきは、この二社の稲荷社の神使が狐でなく狸とされていることです。昔、狸が田畑を荒らして人々を困らせていた際、村人が狸を捕まえて狸汁にして食べたところ、火の玉に化けた狸によってその家が焼失し、祟りを恐れた村人らによって当社が祀られたと伝えられています。
稲荷社の右側(東側)に伊勢神宮への遥拝所があります。遥拝所とはいえ、神明造の社殿が設けられています。
参道は甑岩で終点ではなく、まだまだ奥へと参道が続いています。
甑岩奥の参道の途中に「貴船社」が鎮座。「雨乞社」とも呼ばれているようです。御祭神は「貴船大神・龍神」。
その名の通り雨乞いに験があるとして信仰されています。
さらに参道は奥へ続きます。最奥部近くでは道が二つに分かれ岩場を囲むように階段が伸びています。
参道の最奥部には「北の磐座」と呼ばれる花崗岩の岩石群があります。
岩の前へ進んだ際に日が差すと願いが叶うとも言われているようです。
参道途中は東方に展望が開け、眼下の大阪平野はもとより、遥か生駒山まで見渡せます。かつて夙川学院短期大学があった場所ですが、移転されて建物は撤去されています。
しかしながら土地を取得した不動産業者が開発を進めて磐座を破壊するなどの問題行為があったため、当社と軋轢を深めています。
宅地近郊にありながら豊かな自然と岩石群が残る当社の貴重な環境をいつまでも保存していってほしいものです。


御朱印
由緒
案内板
越木岩神社 御由緒
案内板
越木岩神社
案内板
兵庫県指定天然記念物
越木岩神社社叢
『摂津名所図会』
地図
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