社号 | 井於神社 |
読み | いお/いのへ |
通称 | |
旧呼称 | 三所明神 等 |
鎮座地 | 大阪府茨木市蔵垣内3丁目 |
旧国郡 | 摂津国島下郡宇野辺村(?) |
御祭神 | 建速素盞嗚尊、天児屋根命、菅原道真 |
社格 | 式内社、旧郷社 |
例祭 | 10月19日 |
井於神社の概要
大阪府茨木市蔵垣内3丁目に鎮座する式内社です。
当社の創建・由緒は詳らかでありません。『続日本紀』天平神護二年四月廿二日の条に摂津国の人「甘尾雪麻呂」に「井於連」の姓を授けたとする記事があり、一説にこの「井於氏」が当地に居住し祖神を祀ったとも言われています。ただし『新撰姓氏録』には登載されておらず、どのような氏族であるかは不明です。
また、元は宇野辺村に鎮座してたのを十五世紀半ばの享徳年間に現在地の蔵垣内に遷座したと伝えられています。一説に「宇野辺(うのべ)」は「井於(いのへ)」が転訛したものとも言われています。
しかし、どういうわけか『摂津志』はじめ『摂津名所図会』『神社覈録』に至るまで江戸時代中期~明治初めの資料には悉く「宇野辺村にある」旨が記されています。現在地もかつて宇野辺村に属していたのでしょうか。
当社の御祭神は「建速素盞嗚尊」「天児屋根命」「菅原道真」の三柱。建速素盞嗚尊が江戸時代に牛頭天王と呼ばれていた他は御祭神は変わっていないようで、これに因み「三所明神」と呼ばれていました。
伝承では、織田信長が畿内を攻め寺社を焼き払った際に、信長の信仰した牛頭天王を祀ると偽ったために焼却を免れたと言われています。これは摂津国の寺社で広く見られる伝承で、事実かどうか不明ですが、民衆の間で牛頭天王の持つ強力な厄除けの力への信仰があったことも無視できないでしょう。
また、十六世紀初めの永承年間に三宅城主の三宅出羽守国村公が相殿に天児屋根命を勧請したと伝えられています。一説に三宅氏は中臣氏の子孫とも言われ、当地付近に「阿為神社」「太田神社」など中臣氏関係の式内社が多いこと、藤原鎌足の墓とする説のある「阿武山古墳」があること等から古くから中臣・藤原氏と非常に関係の深い地であり、三宅氏も当地に定着した中臣氏の子孫だったのかもしれません。
当社は水の神としても信仰されていたようで、かつて旱魃になると氏子が藁で龍を作り、これを担いで村中を巡り、池に投げて雨乞いを祈願したと伝えられています。当社の社名「井於」も井泉に関するものだとしたら、その神格の名残として伝えられていたものかもしれません。
境内の様子
境内入口は境内南東から伸びた参道の先にあり、東向きの鳥居が建っています。蔵垣内地区の集落の中に入口があります。
鳥居をくぐり参道を進むと正面に瓦葺・平入切妻造の薬医門の神門が建っています。かつて当地にあった常楽寺が明治年間に廃寺になったとき、そこから移築されたものと言われています。
神門をくぐってすぐ右側(北側)に手水舎があります。
神門をくぐって正面右側(北側)に瓦葺・平入切妻造の建物が南向きに建っています。壁や床はありませんが中央に通路があり、割拝殿と呼ぶべきでしょう。
この割拝殿には多くの絵馬が掲げられており絵馬殿を兼ねています。
割拝殿をくぐると正面に社殿が南向きに並んでいます。
手前側にはもう一つの拝殿があり、瓦葺の平入入母屋造に向拝の付いたものとなっています。
拝殿前の狛犬。砂岩製の古めかしいものです。
拝殿後方、塀に囲まれて銅板葺の三間社流造の本殿が幣殿に接続して建っています。千木は何故か内削ぎです。
拝殿の右脇(東側)に「井於社」と刻まれた石碑が建っています。
これは江戸時代中期に地理学者の並河誠所が当時所在のわからなくなっていた式内社を研究し、比定された神社に記念として建立したものです。摂津国の式内社でよく見かけるもの。
社殿を取り囲むように境内の左右に境内社が鎮座しています。左側(西側)から見ていきます。
境内西側に並ぶ境内社で最も手前側(南側)に鎮座するのは「嚴島神社」。御祭神は「市杵島姫命」。
鳥居の先にある社殿は拝殿で、その奥に池があり中央の基壇に石祠が設けられています。
当社では旱魃の際に藁の龍を作って村中を巡り池に投げて雨乞い祈願をしたと伝えられていますが、その藁の龍を投げた池とはこの池のことなのでしょうか。
嚴島神社の右側(北側)に「水神社」が東向きに鎮座。御祭神は「波爾彌須比古大神」「美都波能賣大神」。
嚴島神社とは別に水神が祀られているようです。
水神社の右側(北側)に「大国社」が東向きに鎮座。御祭神は「大国主命」「事代主命」。
大国社の右側(北側)に「八幡神社」が東向きに鎮座。御祭神は「須賀八耳命」「八幡大神」「天照皇大神」「豊受大神」。
八幡神社と言いつつ実態は四社の相殿のようです。中でも須賀八耳命は足名椎命の別名で、畿内で祀られるのはやや珍しいと言えます。
続いて本社社殿の右側(東側)へ。
こちらには「皇大神社」が西向きに鎮座しています。御祭神は「天照皇大神」「八幡大神」。
西側の八幡神社と同様、皇大神社と言いつつ二社の相殿となっているようです。御祭神も被っています。
皇大神社の左側(北側)に建つ気になる建物。瓦葺の平入入母屋造です。神具や神輿でも安置されているのでしょうか。
付属施設にしてはやや大規模な印象。神宮寺の建物だったのかもしれません。
境内は比較的広いのに対して樹木が少なく開放的な印象がありますが、境内の隅には保存樹に指定されているムクノキがあるなど、一部では立派な木も残っています。
当社の鎮座する蔵垣内地区の様子。このように一部で古い家屋も残っています。
由緒
『摂津名所図会』
井於神社
宇野辺村にあり。延喜式出。今三所明神と称す。当村の生土神とす。例祭九月三日。
地図