社号 | 細川神社 |
読み | ほそかわ |
通称 | |
旧呼称 | 毘沙門天 等 |
鎮座地 | 大阪府池田市吉田町 |
旧国郡 | 摂津国豊島郡吉田村 |
御祭神 | 細川水大神、五十猛尊 |
社格 | 式内社、旧村社 |
例祭 | 7月13日、10月23日 |
式内社
細川神社の概要
摂津国豊島郡吉田村に鎮座する式内社です。
当社の創建・由緒は詳らかでありません。当社は江戸時代は毘沙門天を祀っており、近隣にある高野山真言宗の寺院「大澤山久安寺」の奥の院として鎮座していました。
式内社「細川神社」は中世以降所在不明となっており、江戸時代中期に地理学者の並河誠所が当社に比定しました。当地周辺は「細河(ほそごう)」と呼ばれ、これが比定の根拠になったと思われます。
社名から推して式内社「細川神社」は川の水流を司る水神を祀り、それが地名にもなったことが考えられます。
当社の近隣を見回してみると、豊能町の北部を源流とし猪名川に合流する余野川が流れているものの、余野川が細川と名乗った記録は見当たりません。
また、当社の社地は台地の麓であり、余野川から見ると奥まった地で、また余野川を向いているわけでもないので、余野川の水神として祀られたわけでもなさそうです。
余野川の支流である小川(名称不明)が社前を流れていますが、これを「細川」と呼んだのでしょうか。
「細川」「細河」を名乗る氏族も見当たらず、奉斎氏族を推測することも難しいのが現状です。
境内の様子
境内入口。社号標が建っています。
社号標の先に西南西を向いた朱塗りの両部鳥居が建っています。
鳥居をくぐった様子。小さな川が流れており橋が架かっています。この川を「細川」と呼んでいたのでしょうか?
橋を渡った左側(北側)に手水舎が建っており鉢と井戸が配置されています。
川を渡った空間の正面に社殿が西南西を向いて並んでいます。
拝殿は瓦葺・妻入入母屋造の舞殿風拝殿。舞殿風拝殿は京都を中心に分布し、大阪府内でも稀に見かけます。
拝殿前の狛犬。砂岩製の古めかしいものです。
拝殿後方の石垣の上に本殿が建っています。本殿は覆屋の中に納められておりわかりにくいですが、一間社流造で軒唐破風の付いたものです。
本殿の右側(南側)には境内社も鎮座しています。
当社の周辺、余野川の下流域一帯は全国でも有数の植木の産地となっています。
埼玉県の安行、愛知県の稲沢、福岡県の久留米と並び植木の四大産地と言われています。
当地の植木は十五世紀末から始まるともいい、極めて長い歴史があります。『摂津名所図会』にも名産地として記されています。
当社の東方を流れる余野川。豊能町の北部を源流とし、猪名川に合流します。
この川に沿って摂丹街道(余野街道)が通じ、丹波の亀山(現在の京都府亀岡市)まで続く古い道でした。
或いはこの川が「細川」と呼ばれていたこともあったのでしょうか?
久安寺
当社の北西の伏尾地区に高野山真言宗の寺院「大澤山久安寺」があります。当社は江戸時代にはこの寺院の奥の院として鎮座していました。
当寺は神亀二年(725)年に勅願により行基が開基し、後に空海が中興したと伝えられています。本堂に安置される本尊は千手観音菩薩で、後一条天皇の勅願で作られたもので秘仏となっています。
また、楼門は室町時代中期に建立されたもので国指定重要文化財です。
当寺は紫陽花の寺として名高く、梅雨時に訪れると色鮮やかな紫陽花の花が境内を彩ります。雨にしっとり濡れた境内も美しいものです。
由緒
『摂津名所図会』
地図