社号 | 和伎坐天乃夫岐売神社 |
読み | わきにますあめのふきめ |
通称 | 涌出宮(わきでのみや) 等 |
旧呼称 | |
鎮座地 | 京都府木津川市山城町平尾里屋敷 |
旧国郡 | 山城国相楽郡平尾村 |
御祭神 | 天乃夫岐売命、田凝姫命、市杵嶋姫命 |
社格 | 式内社、旧郷社 |
例祭 | 10月16日 |
和伎坐天乃夫岐売神社の概要
京都府木津川市山城町平尾里屋敷に鎮座する式内社です。『延喜式』神名帳では大社に列せられ、古くは有力な神社だったようです。
社伝によれば、天平神護二年(766年)に伊勢国度会郡から「天乃夫岐売命」を当地に遷座し、その際に一夜にして森が涌き出したので「涌出宮」と称するようになったと伝えられています。また、後に同じく伊勢国から「田凝姫命」「市杵嶋姫命」を相殿に遷座したと言われています。
また別伝では、伊勢国から遷ってきた神は当地に鎮まる前に北方の綺田の地に祀られたとも言われています。
御祭神の「天乃夫岐売命」は記紀に見えない神で、当社では天照大神の御魂のことであると伝えられています。一方で「天之葺根神」とする説、「天之吹男神」と対になる神であるとする説、宗像三神の内相殿に祀られていない「湍津姫命」であるとする説などもありますが、いずれも証拠は無く、どのような神であるか明らかにするのは難しそうです。
一方で『三代実録』貞観元年正月廿七日の条にはどういうわけか「和攴神」と「天野夫攴賣神」が別々に神階を授与された旨が記されています。いずれかが当社なのか、それとも誤記なのか。合祀されたのならば『延喜式』神名帳には二座とあるはずなので、全く謎としか言いようがありません。
和伎(和攴)は当地の古い地名であり、天乃夫岐売(天野夫攴賣)は神名です。先述の通り社伝によれば天乃夫岐売命は伊勢から遷座し、当初は北方に祀られたとも言われています。貞観元年の時点では天乃夫岐売命はまだ当地に遷座されておらず、当地にはこれとは別に和攴神が祀られていた、とするのが穏当な解釈かもしれません。天乃夫岐売命はどういう縁があってか伊勢から遷ってきた神であり、和攴神は当地在来の人々が祀ってきた神といったところでしょうか。ただそう考えるとなると、現在は和攴神にあたる神は祀られていなさそうです。
さて、長い歴史を有する当社では古風な神事が行われており、中でも「居籠(いごもり)祭」は有名です。毎年2月中旬に行われ、与力座、古川座、尾崎座、歩射座の四つの宮座によって執り行われる一連の神事で、中世以来の農耕儀礼を温存していると言われています。一部の神事は見てはいけないとされており、珍しいものです。
居籠祭は木津川の対岸の「祝園神社」でも正月の申の日に行われています。居籠祭の起源については様々な伝承があり、
- 崇神天皇の御代、武埴安彦命が反乱を起こして祝園の地で鎮圧された際、多くの戦死者の霊によって悪疫が流行したので村人は忌み籠って祈祷をしたことに因む。
- 東方の三上山から当社南方を流れる鳴子川へ大蛇が出てきて村人を困らせたので、義勇の士がこれを退治したところ首は祝園へ飛び、胴体は当地に残ったことに因む。
などの伝承が伝えられています。恐らく非常に古い時代に木津川の両岸で密接な関係があったのでしょう。
なお、居籠祭を含む当社の宮座行事は重要無形民俗文化財に指定されています。
境内の様子
境内入口。JR奈良線の棚倉駅のすぐ側にあります。参道はこんもりとした森になっており、一の鳥居は西向きに建っています。
一の鳥居前の狛犬。花崗岩製の新しいものです。
一の鳥居をくぐると参道が伸び、鬱蒼とした森に覆われています。社伝では神がこの地に鎮まった時一夜にして森が涌いたので当社を「涌出宮」と称するようになったと言われています。
この森はイチイガシの見られる貴重な暖地性の森となっており、環境保全地区に指定されています。社伝が物語るように非常に古い森なのでしょう。
参道は突き当りで左に折れ、そこに真っ赤な二の鳥居が南向きに建っています。
二の鳥居をくぐるとその先には神門が建っています。瓦葺・平入切妻造の四脚門で朱が施されています。室町時代の建築と考えられ、木津川市指定文化財となっています。
神門をくぐって左側(西側)に手水舎があります。
正面に南向きの社殿が並んでいます。拝殿は瓦葺の平入切妻造。正面六間・奥行四間と拝殿としては比較的奥行の長い建築。
新しい建築との印象を受けますが実は江戸時代の建立のようで木津川市指定文化財となっています。改修工事が行われたのでしょう。
本殿は銅板葺の三間社流造。元禄五年(1692年)の造営で内陣と外陣に分かれており彩色が施されています。京都府登録有形文化財。
本殿と拝殿の間には瓦葺・妻入切妻造の幣殿があります。幣殿には床が張られて壁が無く、山城国北部でよく見られる舞殿風拝殿を彷彿させるものです。
本殿前の狛犬。砂岩製の古めかしいものです。
社殿の左右に多くの境内社が配置されています。
拝殿の左側(西側)には「春日神社」が鎮座。
春日神社の右側(北側)には三社の相殿が鎮座しています。
祀られているのは左から「熱田神社」「日枝神社」「八幡宮」。
本殿の右側(東側)へ。こちらにも三社の相殿が鎮座しています。
祀られているのは左から「熊野神社」「市杵島神社」「大国主神社」。
三社相殿の右側(東側)に「天神社」が鎮座。牛の置物が置かれていることから菅原道真公が祀られているのでしょう。
境内社の中でこの神社だけが春日見世棚造です。
天神社の右側(東側)に森の中へ奥まった空間があり、そこにも境内社が鎮座しています。社名は書かれていませんが、狛狐や狐の置物からして稲荷系の神社のようです。
本殿の後方の石垣の上には三基の石祠(?)があり紙垂付きの榊が納められています。これは何なのでしょう。
由緒
案内板
涌出宮
貼紙
涌出宮
地図
関係する寺社等
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