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内神社 (京都府八幡市内里内)

社号内神社
読みうち
通称
旧呼称春日宗像社 等
鎮座地京都府八幡市内里内
旧国郡山城国綴喜郡内里村
御祭神味師内宿禰
社格式内社
例祭10月9日

 

内神社の概要

京都府八幡市内里内に鎮座する式内社です。当地の地名「内里」は『倭名類聚抄』に記載される山城国綴喜郡の「有智郷」、また『日本書紀』雄略天皇十七年の条に見える「山背国内村」の遺称であり、極めて古い地名です。

当社は当地に居住した「山城内臣」が祖神を祀ったと考えられています。『新撰姓氏録』大和国皇別に孝元天皇の皇子、彦太忍信命の後裔である「内臣」が登載されており、山城国には登載されていないものの、同氏族が当地に居住していたことが推測されます。

御祭神の「味師内宿禰」は彦太忍信命の子で内臣の祖の一人です。『日本書紀』応神天皇九年の条では甘美内宿禰(味師内宿禰)は武内宿禰の弟と記されており、この二人が対立し探湯を行なったところ甘美内宿禰が敗れ、殺されそうになったところを許されて紀伊直らの祖に授けられたことが記されています。

現在は「味師内宿禰」一柱のみが御祭神となっていますが、『延喜式』神名帳には二座と記されています。当初は父である「彦太忍信命」も同時に祀られていたのかもしれません。

社伝によれば、当社はかつて南東の古宮の地に鎮座していたものの、天永の乱で社殿が廃れ、天正年間に現在地に遷座したと伝えられています。字古宮は第二京阪道路に隣接する田圃となっており、今は何も残っていません。

 

境内の様子

内神社

境内入口。境内は玉垣でなく塀で囲われているのが特徴。鳥居は南向きに建っています。

 

鳥居をくぐって左側(西側)に手水舎があります。

 

正面に社殿が南向きに並んでいます。

拝殿は瓦葺・平入入母屋造に切妻破風の向拝が付いた新しい建築。

 

拝殿前に配置されている狛犬。砂岩製です。

 

本殿は銅板葺きの一間社流造。拝殿と同様新しい建築です。

 

本殿の左側(西側)に旧本殿が移築されています。江戸時代中期の建立と考えられ、寛保三年(1743年)の墨書銘が発見されています。京都府登録有形文化財。現在は御神体が祀られているわけでなく空となっているようです。

尚、2019年現在多くのweb地図サービスで本社社殿の東側に「移設本殿」と記されていますがこれは誤り。正しくは西側です。

案内板

内神社

 

社殿の右側(東側)に池があり、そこに浮かぶ島に「厳島神社」が鎮座しています。御祭神は「市杵島姫命」。

 

厳島神社の向かい側(南側)に北向きに「奇神社」が鎮座しています。御祭神は「少彦名神」。

 

鳥居前の左側(西側)の空間は遊具の設置されている公園となっており、その奥には稲荷系の神社の社殿が東向きに建っています。

 

また、当社は境内の東側にも入口があり、そこには東向きの鳥居が建っています。

 

東側入口に配置されている砂岩製の狛犬。こちらの方が拝殿前の狛犬よりも古そうな印象。

 

東側の参道にも専用の手水舎が設置されています。

 

当社の遠景。東側に集落があり、他の三方は田圃で囲まれています。

 

内里の集落は古い家屋も多く残っており、中には現役の茅葺屋根の家屋もあります。

内里はかつて内村と呼ばれ、『日本書紀』にも登場する極めて古い地名です。木津川の水害を受けそうな場所ですが、非常に古くから開拓された地だったことは間違いなさそうです。

 

タマ姫
ここの地名って『日本書紀』にも出てくるの?すごく古いところなんだね!
雄略天皇十七年の条に記されてるわ。木津川沿いの肥沃な地で、古くから開拓されたところみたいね。
トヨ姫

 

由緒

案内板

延喜式内 内神社

 

地図

京都府八幡市内里内

 

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