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櫟谷宗像神社 (京都府京都市西京区嵐山中尾下町)

社号櫟谷宗像神社
読みいちたにむなかた
通称
旧呼称嵐山弁天社 等
鎮座地京都府京都市西京区嵐山中尾下町
旧国郡山城国葛野郡上山田村
御祭神奥津島姫命、市杵島姫命
社格式内社
例祭1月3日

 

櫟谷宗像神社の概要

京都府京都市西京区嵐山中尾下町に鎮座する式内社です。観光地として名高い嵐山の地に鎮座しています。

当社の創建・由緒は詳らかでありませんが、『延喜式』神名帳に「松尾末社」とあり、「松尾大社」と古くから密接な関わりがあったようです。

当社は「宗像神社」と式内社の「櫟谷神社」の相殿となっており、古くは別々の神社でした。御祭神は「櫟谷神社」が「奥津嶋姫命」、「宗像神社」が「市杵島姫命」ですが、古い資料には逆に祀られていたことが示されており、その形態が明治年間まで続いていたようです。現在のように祭神が入れ替えられた事情は不明です。

いずれにしても当社は宗像三神の内の二柱が祀られており、当社の社前を流れる桂川(大堰川)の水神として、或いは水運の神として祀られたことが考えられます。川を挟んで対岸に式内社の「大井神社」が当社と向かい合うように鎮座しており、桂川の流水を守護する神として両社が一体的に信仰されたようにもようにも思えます。しかしながら記録が無いため推測の域は出ません。

社前の桂川には堰が築かれており、「一ノ井堰」と呼ばれています。現在の設備は昭和年間に整備されたもの。これの歴史は極めて古く、五世紀に秦氏が水利の為に築いた「葛野大堰」が元になっているとも言われています。そうすると当社は井堰を守護し水の分配を司る神としての神格もあった可能性があります。

先述のように当社は古くから松尾大社と関係を持っており、秦氏の祭祀に組み込まれたことは考え得ることでしょう。当社もまた土着の素朴な水神だったものが、秦氏の進出と土木技術の導入により新たな神格が付与されたのかもしれません。

 

境内の様子

櫟谷宗像神社

境内入口。当社は北摂山地の北東端の斜面に鎮座しています。当社は嵐山の観光地の一つ、嵐山モンキーパークの入口も兼ねています。

境内の木々は伐採されているものが多く、恐らく2018年の台風21号の影響によるものと思われます。

 

石段を上っていくと北東向きに朱の鳥居が建っています。両脇に並ぶ灯籠や境内の垣等にも朱が施されており、素木を多用する松尾大社とはうって変わって華やかな印象が感じられます。

 

鳥居をくぐって右側(北西側)に手水舎があります。手水舎も朱が施され鮮やかなものとなっています。

 

櫟谷宗像神社

櫟谷宗像神社

鳥居をくぐって正面に北東向きの社殿が建っています。拝殿は無く、中門と玉垣、そしてその奥に本殿が建っています。

本殿は銅板葺の二間社流造。左側に「宗像神社」、右側に「櫟谷神社」が相殿となって祀られています。

 

境内から望む桂川。当社は保津峡の渓流を下ってきた桂川が京都盆地の開けたところに注ぎ込む地に鎮座していることがわかります。

なお、こちらの鳥居は裏参道のもので、西向きに建っています。

 

当社の側の桂川の様子。桂川が分岐して中之島という中洲を形成しており、狭い右岸側の川は穏やかな流れになっています。

 

中之島から桂川の左岸にかけては「一ノ井堰」と呼ばれる堰が設けられています。現在の施設は昭和二十六年(1951年)に整備されたものですが、元々は古い時代に秦氏が築造したと言われ、当社もこの施設を守護する神格を持っていたことが考えられるかもしれません。

 

タマ姫
やはり観光地として有名な嵐山だけあって風光明媚なところだね!
そうね。ここで豆知識。「嵐山」というのは桂川の右岸側のことで、左岸側は「嵯峨」。今では左岸側も「嵐山」と呼ぶ人が多いけど、本来は櫟谷宗像神社のある右岸側だけが「嵐山」だったのよ。
トヨ姫

 

御朱印

 

 

由緒

案内板

櫟谷宗像神社

 

地図

京都府京都市西京区嵐山中尾下町

 

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