社号 | 和爾坐赤阪比古神社 |
読み | わににますあかさかひこ |
通称 | |
旧呼称 | 天王 等 |
鎮座地 | 奈良県天理市和爾町 |
旧国郡 | 大和国添上郡和爾村 |
御祭神 | 阿田賀田須命、市杵島比売命 |
社格 | 式内社、旧村社 |
例祭 | 10月10日 |
和爾坐赤阪比古神社の概要
奈良県天理市和爾町に鎮座する式内社です。『延喜式』神名帳には大社に列せられ、古くは有力な神社だったようです。
当社の創建・由緒は詳らかでありませんが、当地は古代氏族の和珥氏が拠点を置いた地であり、近隣に鎮座する二社の和爾下神社(天理市櫟本町・大和郡山市横田町)と共に和珥氏が祖神を祀ったものだったことが考えられます。
和珥氏は孝昭天皇の皇子である天足彦国押人命を祖とする氏族で、春日臣・大宅臣・粟田臣・小野臣・柿本臣・壱比韋臣など16氏に分かれた一大氏族です。
『新撰姓氏録』にも非常に多くの和珥氏関係の氏族が登載されており、皇別氏族として天足彦国押人命の後裔であると記されています。
一方、当社の御祭神は「阿田賀田須命」「市杵島比売命」となっています。
『新撰姓氏録』には大和国神別に大国主の六世孫、阿太賀田須命の後裔であるという「和仁古」が登載されています。
天足彦国押人命を祖とする皇別氏族の「和珥氏」と阿太賀田須命を祖とする神別氏族の「和仁古」の関係は詳らかでありませんが、和珥氏の内、朝廷と深く関わって皇族と姻戚関係を持ち、皇族の子孫としての系譜を持つことが認められた一派が前者、朝廷と距離を置いて在地豪族として留まった一派が後者だったことは考えることができるかもしれません。
和珥氏は文字通りワニをトーテム(氏族の象徴)としていた人々とも考えられ、一説には安曇氏と同様の海人族だった、もしくは安曇氏や宗像氏などと同族であるとする考えもあります。
現に、『新撰姓氏録』河内国神別に大国主命の六世孫、吾田片隅命の後裔である「宗形君」が登載されており、和仁古と同族となっています。
和仁古と和珥氏が同族であるならば、宗像氏もまた同族ということになるはずです。当社で阿田賀田須命と共に市杵島比売命を祀っているのはこのことに因んでいるのかもしれません。
ただ、当社の社名にあるように本来の祭神は「赤坂比古」であったはずです。
この神は記紀に登場せず詳細不明ですが、一般には阿田賀田須命と同神と解されているようです。
皇別氏族の和珥氏および神別氏族の和仁古といった集団の枠を越えてワニ一族の統合的・象徴的な祖神がこの赤坂比古だったのかもしれません。
付近に記紀に登場する「和珥坂」とされる地があるなど、当地は坂の多い地であり、また近隣に赤土山古墳があるなど赤い土壌の地であることが窺えます。
こうした赤い土壌の坂の多い当地に居住し開拓したワニ一族の祖を象徴しての「赤坂比古」と考えるのが自然かもしれません。
なお、社伝によれば当社は元々は東方の和爾池の近く、天神山に鎮座していたと伝えられ、いつの頃か現在地に遷座したと伝えられています。
和爾池、天神山共に現在地は不詳ですが、和爾の集落の東方に複数の池と小丘がありそのいずれかのようです。
その後は和爾村の鎮守として常楽寺という神宮寺と共に信仰されましたが、明治の廃仏毀釈により常楽寺は廃寺となりました。現在は集落の中心に当社が位置しており、小さな神社ながらも存在感を発揮しています。
境内の様子
境内入口。和爾の集落の中心に立地しており、入口には鳥居が西向きに建っています。
鳥居をくぐって左側(北側)に手水鉢が配置されています。
鳥居をくぐるとやや広い空間となっており、正面に社殿が西向きに並んでいます。
拝殿は本瓦葺・妻入入母屋造で京都に多い舞殿風拝殿に似たもの。ただ側面は格子が設けられています。
後方の本殿の区画は瑞垣で隔てられており、中央に朱鳥居が建っています。
基壇上に建つ本殿は銅板葺の一間社春日造で朱が施されています。
左右それぞれに銅板葺・春日見世棚造の境内社が鎮座しており、左側(北側)は「春日社」、右側(南側)は「八幡社」となっています。
拝殿と本殿の間に狛犬が配置されています。花崗岩製でしょうか。古式の感じられるものです。
境内の北側の敷地には「和爾公民館」が建っています。
かつて神宮寺だった常楽寺はここにあったのでしょうか。今でも地域住民の憩いの場となっているようです。
境内の全景。集落の中で所狭しと鎮座しています。
和爾の集落の様子。古い家屋が残ると共に複雑に入り組んだ道が廻らされており、昔ながらの村落の光景が今でも見られます。
当社境内の西北西250mほどのところに「和珥坂下伝称地」があり、記紀に見える「和珥坂」はこの坂であると伝えられています。
現在は草に覆われた寂れた坂道で、上からしか進入できず下は行き止まりとなっており全く忘れ去られた地となっていますが、古くは交通の要衝として人々の行き交う道だったのでしょうか。
当社の社名もこのような坂にあることから名付けられたのかもしれません。
案内板
和珥坂下傳稱地
地図
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