社号 | 丹生神社 |
読み | にゅう |
通称 | |
旧呼称 | |
鎮座地 | 奈良県宇陀市榛原雨師 |
旧国郡 | 大和国宇陀郡雨師村 |
御祭神 | 高龗神 |
社格 | 式内社 |
例祭 | 10月9日 |
丹生神社の概要
奈良県宇陀市榛原雨師に鎮座する式内社です。
当社の創建・由緒は詳らかでありません。
『日本書紀』の神武東遷の段においてイワレヒコ(後の神武天皇)が熊野を経由して大和入りする際に天神地祇を祀った「丹生川上」、そして誓約をしたという「菟田川之朝原」とは当地であるとも言われています。
『日本書紀』には次のように記しています。
『日本書紀』(大意)
天皇が菟田の高倉山から見渡すと賊軍でいっぱいで道が塞がれ通れずにいた。神に祈って眠ると夢にお告げがあり、そのお告げの通りに椎根津彦と弟猾に香久山の土を採ってこさせて平瓮(ひらか)と厳瓮(いつへ)を作り「丹生川上」で天神地祇を祀った。そして「菟田川之朝原」において水の泡のように呪いをかけ、「もし平瓮で水無しに飴を作ることが出来たなら平定できるだろう」と言うとその通り自ずと飴ができ、また「厳瓮を丹生の川に沈めてもし魚が酔って浮かび上がったらこの国を治められるだろう」と言うとその通り魚が浮かび上がった。
誓約(うけひ)とは占いの一種であり、「もしこうなるならば願いは成就するだろう」と予め宣言して行うもので、記紀神話ではアマテラスとスサノオの誓約に代表されるように様々な重要な局面で行われる様子が描かれています。
この誓約を行った「菟田川之朝原」を当地に比定する説が有力であり、江戸時代中期の地誌『大和志』もこの説を推していますが、その直前に天神地祇を祀った「丹生川上」を東吉野村小の「丹生川上神社中社」に比定する説もあるなど、その候補地は他にもいくつか挙げられています。
当社の社名「丹生」とは丹、つまり水銀を産する地の意味です。「丹生神社」を名乗る神社は紀ノ川水系に多く分布し、中央構造線沿いに多く水銀を産したことが指摘されています。
当地は中央構造線から離れていますが、旧・宇陀郡内でも水銀を産したことが知られており、『万葉集』には次のような歌が載っています。
『万葉集』(巻7-1376)
大和の 宇陀の真赤土の さ丹つかば そこもか人の 我を言なさむ
(意訳:大和の宇陀の真赤土(まはに:辰砂)の赤い色を付ければ(化粧すれば)、人々が私のことを噂することでしょう)
このように宇陀において辰砂、つまり丹が採れたことを示しており、それが化粧に用いられていたことがわかります。
この水銀を産した地は当地であるとも考えられますが、一方で南東の旧・菟田野町付近には大澤地区にあった「大和水銀鉱山」をはじめ近代以降に採掘された非常に多くの水銀鉱山があり、一説にその近隣の入谷地区に鎮座する「丹生神社」こそが古くは水銀の産地だったとも考えられます。
一方、広く「丹生神社」を名乗る神社は水神として信仰されており、当社でも雨乞いの神として信仰されていました。
それは当地の地名にも表れており、「雨師(あめし)」とは中国の雨の神「雨師(うし)」に倣ったことが考えられます。
雨を司る水神を「雨師神」、そうした神を祀る神社を「雨師社」「雨師宮」などと称したことは全国的に行われました。
当社の神も当初の信仰がどうであれ、雨乞いの神としての神格が強くなり「雨師神」として祀られるようになったのでしょう。現在の当社の御祭神も水神である「高龗神」となっています。
また、当社の社殿背後の山腹に「龍王池」と呼ばれる池があり、池の周囲に岩石があるともいい、古くはこうした水際の自然石を磐座とし祭祀していたのかもしれません。
なお、当地の地名「雨師」を神武天皇が飴が作ったという『日本書紀』の記述に基づいて「飴島(あめし)」の名が起こったとする伝承もあるようですが、これは雨乞いの神を祀る当社に因み当地が「雨師」と呼ばれるようになって以降の付会でしょう。
境内の様子
当社は雨師地区の北西側の集落背後、山の中腹に鎮座しています。
集落が途切れて周囲が畑(植木用の杉などの栽培が多い)となっている道を登って行くと山際に神明鳥居が東向きに建っています。
鳥居の手前側の傍らには『日本書紀』に記される神武天皇の聖蹟(詳細は概要参照)であることを顕彰して「菟田川之朝原傳稱地」と刻まれた石碑が建っています。紀元2600年祭の一環として認定され、石碑は昭和十五年(1940年)に建立。
なお当地は山腹の小高い地となっており、川らしきものは特に見当たりません。
鳥居をくぐると杉林の中をカーブを描きながら参道が伸びています。途中で右側へ曲がって石段となり、急勾配を駆け上がります。
石段を上って左側(南側)に手水舎が建っています。
石段を上ったところはちょっとした平坦な空間となっており、正面に社殿が南東向きに並んでいます。
拝殿は銅板葺・平入入母屋造りに千鳥破風と向拝の付いたもの。向拝部分は段違いとなっていて千鳥破風と一体的にもなっており、妻入入母屋造の向拝が付いたものと見た方が良いかもしれません。
拝殿後方の斜面上に石垣が積まれ、その上に本殿を囲う塀や中門が設けられています。素木の拝殿とは裏腹にこちらは朱が施され非常に鮮やかなものとなっています。
中門前に配置されている狛犬。砂岩製です。
塀の内側に建っている本殿は銅板葺・一間社春日造。やはり朱をはじめとする非常に鮮やかな彩色が施されています。
本社拝殿の左側に建つ社務所。桟瓦葺の切妻造で、本社社殿よりも年季の入った建築です。
拝殿の右側(北東側)に「御神楽置之石」なる縦長の岩石が置かれています。詳細不明。神事に用いられるのでしょうか。
境内の北東に「愛宕神社⇒」と記された看板があり、その先には杉林の中に緩やかな下りの道が伸びています。
この道の先に鳥居が南向きに建ち、これをくぐると左側(西側)に杉の巨木に囲まれて「愛宕神社」が東向きに鎮座しています。
社殿は銅板葺の春日見世棚造。


由緒
案内板
菟田川之朝原傳稱地
地図
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