社号 | 惣社水分神社 |
読み | そうしゃみくまり |
通称 | |
旧呼称 | |
鎮座地 | 奈良県宇陀市菟田野上芳野 |
旧国郡 | 大和国宇陀郡上芳野村 |
御祭神 | 天水分神、国水分神、速秋津比古命、天之児屋根命、譽田別命 他 |
社格 | 式内社、旧村社 |
例祭 | 10月20日、21日 |
惣社水分神社の概要
奈良県宇陀市菟田野上芳野に鎮座する式内社です。『延喜式』神名帳には大社に列し、古くから有力な神社だったようです。
古市場地区の「宇太水分神社」、下井足地区の「宇太水分神社」と共に式内社「宇太水分神社」の論社となっています。
当社の創建・由緒は不明ですが、『延喜式』神名帳では「葛木水分神社」(御所市関屋に鎮座)、「吉野水分神社」(論社は吉野町吉野山に鎮座)、「都祁水分神社」(奈良市都祁友田町に鎮座)と共に大和国の四社ある水分神社の一つとなっています。
「水分(みくまり)」とは「水配り」の意で、河川や水路の流水を分配して土地を潤し、豊かな土壌を維持する灌漑の神として信仰されています。
特に大和国の水分四社は山口神社十四社と共に朝廷により国家的に祭祀されたものと思われ、大和国内の水流の安寧、そして豊かな実りを祈願したものと考えられます。
『延喜式』臨時祭の祈雨神祭八十五座にも大和国の水分四社が含まれ、水分神は降雨を司る神としても信仰されたようです。
当社は淀川水系の支流・芳野川の上流部に鎮座しています。この川を水源として宇陀郡を灌漑し開発したことが推測され、その水流を司る神として祀られたのが当社だったのでしょう。
芳野川に沿って上流側から上芳野地区に当社が、古市場地区に「宇太水分神社」が、下井足地区に「宇太水分神社」が鎮座している形になっています。
上述のようにこの三社は式内社「宇太水分神社」の論社となっています。
しかしそれぞれ「上社」「中社」「下社」とも呼ばれており、上芳野の当社の神輿が秋祭りにおいて当社まで渡御があり、さらにかつては下井足の宇太水分神社まで渡御があったとの記録もあることから、三社は強い関係性を持っていることが考えられ、三社で「宇太水分神社」であるとも言えなくもないでしょう。
特に当社の神は女神とされ、男神を祀る古市場の宇太水分神社への神輿の渡御は男女神の逢瀬であるともされています。(一方で古市場の宇太水分神社は男体、下井足の宇太水分神社は女体、当社は童体とする資料もあり)
ただ、『延喜式』神名帳には特に三座であるとは記されておらず、本来は三社の内のいずれかだったはずです。
上述のように当社は芳野川の上流部に鎮座しており、この川が旧・宇陀郡の水分神の信仰に深く関わっていると考えられることから、その水源地に近い当地に水分神が祀られるのも尤もであると言えるでしょう。
『角川地名大辞典』では当地の地名であり川の由来ともなった「芳野(ほうの)」を朴の木が自生繁茂したことに因むとしていますが、宇太水分神社の社記には異香があったために鼻潤野(ハウノ)と名付けたとあり、この地が神秘の地であったことを示唆しています。
一方で当社こそが式内社「宇太水分神社」であることを装うために当社に伝わる社記や宝物を工作した形跡があり、例えば江戸時代の作とされる猿田彦の面や社殿の棟札などに天平・貞観といったあり得ないほど古い元号が用いられているなど、考察する上で慎重を要します。
ただ当社に伝わる「鳳輦(ほうれん)神輿」は南北朝時代に建造された古いもので、大変貴重なものとして国指定重要文化財となっています。
現在はレプリカが用いられているものの、かつてはこの神輿が古市場の宇太水分神社まで、古くは下井足の宇太水分神社まで渡御がありました。
旧・宇陀郡における水分信仰の線的な結びつきを示し、それも古市場まで約5km、さらに下井足までは約12kmも離れており、かなり広い範囲に跨っていたことがわかります。
まさに旧・宇陀郡における壮大な信仰空間であると言え、式内社「宇太水分神社」がいずれだったかはともかくとして、神輿渡御の起点たる当社が信仰上重要な神社だったことは間違いないでしょう。
境内の様子
当社は芳野川の上流部、左岸側に鎮座しています。川沿いの道に面して一の鳥居が北向きに建っています。
一の鳥居手前の左側(東側)に小さな平入切妻造の建物があり、中に案内板が掲げられていますが、案内板のために建てられたものとは到底思えません。
高札を掲げるための建物によく似ているように思えますが、実際はどうだったのでしょうか。
一の鳥居をくぐると丘の上へと石段が伸びています。
石段下の左側(東側)に手水舎が建っています。吐水は古市場の宇太水分神社と同じく蛙の像となっています。
石段を上っていくと二の鳥居が南向きに建っています。
二の鳥居をくぐると参道は右側(西側)へ折れ、そこから石段を上るとすぐにV字形に左側(東側)へ折れ、引き続き石段が伸びています。
石段を上りきったところに三の鳥居が西向きに建っています。
三の鳥居の両脇に配置されている狛犬。砂岩製です。
三の鳥居をくぐると広い空間となっており、正面奥の石垣上に社殿が西向きに並んでいます。
石垣上の中央に銅板葺・妻入入母屋造の拝殿が建っています。
拝殿はコンクリートの基壇の上に直接建っており、壁の無い開放的な構造です。
拝殿後方、瑞垣に囲まれて銅板葺の三間社流造の本殿が建っています。
明治二年(1869年)に建てられたもので、元は隣接していた八幡宮の本殿だったようです。
本社拝殿の左側(南側)に神饌所が建っています。一般に神饌所とは神饌(神前に供える料理)を調理する施設のこと。
当社で実際にどのような運用がなされているのかは不明ですが、神事の際に用いられる建物なのでしょう。
社殿石垣下の右側(南側)に宝物保存庫があります。国指定重要文化財の「鳳輦神輿」はこの中に納められているのでしょうか。
神輿の他にも貞和二年(1346年)の銘のある瓶子や永禄五年(1562年)の銘のある鞍と鐙が伝わっているようです。
鳳輦神輿の実物を見ることはできませんが案内板に写真が載っています。「鳳輦」とは鳳凰の飾りのある天使の車・輿の意で、まさしく屋根上に鳳凰の飾りが設置されています。
現在はレプリカが用いられていますが、かつてはこの神輿を担いで古市場へ、さらに古くは下井足まで渡御が行われたようです。
当社の社前を流れる芳野川。この川に沿って宇陀川との合流部まで三社の水分神社が鎮座しており、旧・宇陀郡における水分神への信仰において重要な役割を果たしています。
由緒
案内板
案内書
案内板
惣社水分神社御神輿
地図
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