社号 | 十二神社 |
読み | じゅうに |
通称 | |
旧呼称 | 十二社大明神 等 |
鎮座地 | 奈良県天理市竹之内町 |
旧国郡 | 大和国山辺郡竹之内村 |
御祭神 | 国常立尊、国狭土尊、豊斟渟尊、泥土煮尊、沙土煮尊、大戸道尊、大戸辺尊、面足尊、惶根尊、伊弉諾尊、伊弉冉尊、大日孁貴尊 |
社格 | 式内論社 |
例祭 | 10月15日 |
式内社
十二神社の概要
奈良県天理市竹之内町に鎮座する神社で、式内社「夜都伎神社」の論社の一つとなっています。
社伝によれば、当地には元々は式内社「夜都伎神社」が鎮座し、当時は竹之内村でなく乙木村の領地だったとされています。これに対して現在の乙木町の「夜都岐神社」の地には元々「春日神社」が鎮座していたと言われています。そしてある時当地の南方にある「三間塚池」と土地を交換して当地は竹之内村となり、「春日神社」の方を「夜都岐神社」へ社名を改めたと伝えられています。
地図を見てみると、当地は現在は竹之内町に属しているものの不自然に乙木町に食い込んだ形となっているのに対し、その南方にある池(三間塚池)はこれまた不自然に竹之内町に食い込む形で乙木町に属し、確かに土地のやり取りがあったことを思わせる境界線となっています。
恐らく水利の関係でこのような交換が行われたものと思われ、降水の乏しい奈良盆地において水の確保は死活問題である故に苦渋の決断だったのではと窺われます。
このように、かつて乙木村の領域内には集落の北方に「春日神社」(現在の「夜都岐神社」)、東方に「夜都伎神社」(現在の当社)の二社があったことになり、土地の交換により後者は竹之内村となり、前者は式内社としての由緒ある後者の社名を継承したものでしょう(合祀したのかは不明)。
一方、「夜都伎神社」の旧地である当地には現在「十二神社」が鎮座しています。恐らく土地を交換した後に竹之内村の人々が新たに祀ったものと思われますが、どこから勧請したのか、どのような由緒があるのか、そして何故「夜都伎神社」の旧地に祀ったのか等々は全く不明となっています。
文禄四年(1595年)の検地帳および延宝七年(1679年)の検地帳には竹之内村の氏神として「白山神社」が記されており、当社がいつ頃の創建なのか不明ながら、少なくとも竹之内村の氏神は当社でなく「白山神社」だったようです。
長らく竹之内村においては当社と「白山神社」の二社が所在していたものの、明治四十一年(1908年)に「白山神社」は当社の境内社である「七柱神社」に合祀されました。竹之内村の氏神だった「白山神社」が何故氏神でなかった(そして集落から離れた)当社へ合祀されたのかは不明。
現在の当社の御祭神は「国常立(クニノトコタチ)尊」「国狭土(クニノサヅチ)尊」「豊斟渟(トヨクムネ)尊」「泥土煮(ウヒジニ)尊」「沙土煮(スヒジニ)尊」「大戸道(オオトノジ)尊」「大戸辺(オオトノベ)尊」「面足(オモダル)尊」「惶根(カシコネ)尊」「伊弉諾尊」「伊弉冉尊」「大日孁貴(オオヒルメノムチ)尊」の十二柱。いわゆる神代七代の十一神に大日孁貴尊を加えたものとなっています。
これらの神々は後世に付会されたものと思われ、ましてや式内社「夜都伎神社」の御祭神でもないことは明らかです。しかしながら本来の御祭神ははっきりしません。
当社の祭祀の経緯ははっきりしない部分が多いですが、祭祀の断絶があると思われるものの、元々式内社の鎮座していたとされる地に現在も神社があり、ある意味で“古くからの神域”が現在も信仰の地とされていると言えるのでしょう。
境内の様子
当社は竹之内町の集落の北方、ちょっとした谷間にある棚田を超えた舌状の尾根の上に鎮座しています。土地交換により谷間の部分は乙木町になっているので、竹之内町の集落から当社へ行くには一旦乙木町を経由しなければなりません。
尾根の南麓に当社の入口があり、鳥居が西向きに建っています。鳥居の手前側は極めて狭いため鳥居の写真を収めるのは困難です。
鳥居の手前側に手水鉢が配置されています。水が溜められ、柄杓や手拭いまで用意されているものの、導水設備はありません。
鳥居をくぐると石段が伸びており、逆Z字状に折れながら尾根の上まで続いています。
石段を上っていくと「十二社大明神」と刻まれた灯籠が左右に建ち、その奥が社殿等の建つ主要な空間となっています。
この空間の正面奥に社殿が西向きに並んでいます。
拝殿は桟瓦葺の平入切妻造で、中央に銅板葺の庇の付いたもの。
拝殿前に配置されている狛犬。砂岩製です。
拝殿後方、ブロック塀に囲まれて銅板葺・一間社春日造の朱塗りの本殿が建っています。
また本殿の左側(北側)には境内社である「七柱神社」が西向きに鎮座。御祭神は不明ながら、竹之内町の氏神だった「白山神社」がこちらに合祀されているようです。
社殿は銅板葺の一間社春日造ですが、屋根に反りが無いのが特徴。
拝殿前から境内を見た様子。
拝殿前に岩石が配置してあり、参拝の際には笑い声をあげながら三度回る風習があるとする情報があるものの詳細不明。
境内の北側に灯籠や榊台などが誂えられており、遥拝所のような雰囲気ですが、灯籠には何故か「多賀神社」と刻まれています。当社がそう称した記録は見当たらず、これも詳細不明。
道を戻って、当社の入口近くの棚田からの景色。
西方によく開けており、奈良盆地を一望できるため格好の展望スポットとなっています。
地図
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