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室生龍穴神社 (奈良県宇陀市室生)

社号室生龍穴神社
読みむろうりゅうけつ
通称
旧呼称龍王社 等
鎮座地奈良県宇陀市室生
旧国郡大和国宇陀郡室生村
御祭神高龗神
社格式内社、旧村社
例祭10月15日

 

室生龍穴神社の概要

奈良県宇陀市室生に鎮座する式内社です。

当社の創建・由緒は詳らかでありませんが、当社の北東200mほどの渓流沿いに「吉祥龍穴」と呼ばれる岩穴があり、ここに水神を祀ったことに始まると考えられます。

「龍穴」の名はこの岩穴を水神たる龍蛇・龍神・龍王の住む穴と考えたことによると思われ、この岩穴において祈雨を行ったのが当社の始めだったのでしょう。

また中国にも旱の際に雨を祈る「龍穴」と呼ばれる穴があるといい、或いはこれに倣ったものとも考えられます。

ただ当社は『延喜式』臨時祭の祈雨神祭八十五座の中に含まれておらず、祈雨を行ったことも六国史には出て来ません。

『日本紀略』において弘仁九年(818年)に「貴船神社」などと共に祈雨が行われたことが当社に関する最古の記録です。ただここでは「室生龍穴」とあり、神社とは記されていないため、この頃に神社としての体裁が整えられていたかどうかは不明です。

同時にこれが当社において平安時代以前に朝廷により祈雨が行われたとする唯一の記録であることから、国家的には祈雨の神としては重視されていなかったことが窺えます。

しかしながら江戸時代以前は「龍王社」と称し水神として信仰されてきたことは確かであり、現在の当社の御祭神も水神である「高龗神」となっています。

本来は「吉祥龍穴」を直接祭祀したものと思われますが、狭隘の地であり交通にも不便なためか、恐らくいつの頃か里宮あるいは遥拝所として当地に社殿が造営されたのでしょう。

 

一方、『大和志料』によれば、「白岩神社」(赤埴地区の「仏隆寺」境内に鎮座)の社記を引いて、大国主神の后である須勢理姫命が室生の岩窟に入って五百引き石を以て岩戸の口を塞ぎ、赤埴土を以て窟口を塞いだこと、この岩窟が現在の当社(吉祥龍穴)であること、延暦九年(790年)に須勢理姫命が赤埴白岩の下に鎮座し、それ以降赤埴に鎮座したことを記しています。

この伝承に従えば当社(吉祥龍穴)には元々は「須勢理姫命」が鎮座していたことになります。

ただ、当地でスサノオの娘でありオオクニヌシの妻となったスセリビメが当地に鎮座する必然性は見出せず、またスセリビメが特に水神や龍蛇の類であるとする伝承があるわけでもない点が不審であり、唐突な印象が否めません。

『古事記』においてスセリビメはスサノオと共に根の堅州国に住んでいたとあり、一般に地下にあると解される根の堅州国のイメージが龍穴と結びついた可能性は考えられるかもしれません。

 

当社は西方1kmほどの地にある真言宗室生寺派の寺院「宀一山室生寺」との関係が非常に強く、かなり古くから当社の神宮寺となっていたようです。

宝亀年間に山部親王(後の桓武天皇)が病になった際に僧五名を室生山に派遣して延寿の法を修したところ平癒し、その後に興福寺の僧である賢璟が山部親王の命により寺を建立したのが室生寺であるとされています。

このように当初は興福寺の影響が強く法相宗の寺院として延寿法を修する寺院でしたが、当社との結びつきが強まり、また山間の地であることが影響して次第に密教色が強くなっていったようす。

江戸時代には真言宗に属するようになり、女人禁制の霊場である高野山に対し女性の参詣の許される真言宗の霊場として「女人高野」と呼ばれるようにもなりました。

元来降雨を司る龍蛇の住まう地として信仰されていた龍穴が、室生寺との結びつきの強化および室生寺の密教化により祈雨の霊場として殊更に重視されるようになり、当社の水神としての神格が益々強まっていったことが考えられます。

 

龍穴およびそこに住まう龍王に関する伝説も多数あり、その内の有名なものに次のような伝説があります。

昔、善達龍王は奈良の猿沢池に住んでいたが、ある日采女が池に身を投げて死んだので、死穢を嫌った龍王は春日山の香山に移り住んだが、そこでも死者が絶えなかったので清浄の地を求めて室生の龍穴に住むようになったという。

平安時代に成立した『大和物語』に平城天皇からの寵愛が薄れたのを嘆き悲しんだ采女が猿沢池に身を投じた話が採録されており、これを受けた伝説となっています。

恐らく龍王が猿沢池から春日山を経て当地に至ったのは室生寺が興福寺と関係が深かったことによるものでしょう。

一方で当地は大和川水系でなく淀川水系であり、吉祥龍穴を流れる水は室生川、宇陀川、名張川、そして木津川へと合流していきます。当地に流れ落ちた雨は奈良を通らず流れゆくことになり、その意味では龍王が猿沢池から当地へ至ったのは興福寺との決別をも示唆するものであったのかもしれません。

 

いずれにせよ現在の当社および吉祥龍穴は神秘的な水神信仰の地として非常によく知られており、室生寺への参詣とセットで非常に多くの人が訪れるところとなっています。

 

境内の様子

室生龍穴神社

当社は室生地区の東方、室生寺から東へ1kmほど進んだところに鎮座しています。

境内の入口には石段上に大きな杉が一対聳えており、まるで随身像や仁王像のように堂々と構えています。

 

室生龍穴神社

石段を上ったところ、杉の木の奥に一の鳥居が南西向きに建っています。

 

一の鳥居の手前左側(西側)に手水舎が建っています。

 

鳥居をくぐった様子。山間の谷でありながらかなり広々とした境内となっています。

砂利が敷かれ、至る所に巨大な杉の聳えており、厳かな雰囲気に包まれています。

境内は三段構成になっており、段差にはちょっとした石垣と石段が設けられ、奥へ進む毎に高い土地になっていきます。

 

室生龍穴神社

石段を一つ上り二段目から見た境内の様子。三段目への石段の前には水路は無いものの小さな石橋が設けられています。

また三段目の社殿前にはこれまた一際大きな杉が聳え立っています。

 

三段目への石段の上に配置されている狛犬。花崗岩製でそう古いものではなさそうです。

 

室生龍穴神社

室生龍穴神社

三段目への石段を上って正面に社殿が南西向きに並んでいます。

拝殿は檜皮葺の平入入母屋造で向拝の付いたもの。元禄七年(1694年)に徳川家光の側室である桂昌院が室生寺の堂宇を修理した際に、室生寺の般若堂を移築して拝殿としたものと伝えられています。

 

拝殿後方には二の鳥居が建ち、そこからやや長い参道が伸び、その先の石垣上に中門および瑞垣が設けられ、そこに本殿が建っています。

なお二の鳥居前に柵が設けられているのでこの参道へ立ち入ることはできません。

 

二の鳥居前に配置されている狛犬。こちらは砂岩製でやや古そうなもの。

 

瑞垣に囲まれて建つ本殿は檜皮葺の一間社春日造。中門と瑞垣は朱が施され、本殿もベンガラか何かで彩色が施されているようです。

また中門前の左右それぞれに銅板葺・春日見世棚造の境内社が鎮座しています。資料には境内社として「道主貴神社」「手力男神社」とあるのでそれぞれがそのどちらかなのでしょう。

 

本社拝殿の左側(北西側)には銅板葺・切妻造の神饌所が建っており、屋根付きの渡り廊下で拝殿と接続しています。

神饌所とは神前に供える神饌を調理・用意する施設のことです。渡り廊下が設けられていることから雨天でもスムーズに神事が行えることでしょう。

 

境内の北西側には神庫が建っています。当社に伝わる神宝が納められているものと思われます。

 

境内の右側(南東側)には社務所が建っています。

桟瓦葺の平入入母屋造。著名な神社ながら普段は無人のようです。

 

一の鳥居の右側(南東側)の基壇上に二本の巨大な杉の木が聳え、この二本は根元で一つに繋がっています。

所謂「連理の杉」で、二本の間には注連縄が掛けられており夫婦和合の象徴として信仰されています。

 

境内周辺の様子

而二不二(ににふに)の神木

当社の入口前の道を北方へ50mほど戻ると大きな二又に分かれた杉の木があり、根元の傍らに「而二不二 神木」と刻まれた石碑が置かれています。

宇陀松山藩主の織田氏が館を建てるべく当社の神木を伐採しようとしたとき、一夜霊夢を見たので驚き伐採をやめさせこの石碑を建てたと言われています。

而二不二(ににふに)とは仏教、特に真言宗において重視される思想で、二つであって二つでない、一つのものでも二つの面があり二つの面があっても本質は一つである、といった意です。

 

而二不二の神木の右側(南側)に銅板葺・流見世棚造の社殿が建っています。

社名・祭神は不明。

 

吉祥龍穴

吉祥龍穴は当社の北東側にありますが、そこへ行くためには当社入口から一旦室生川沿いに南東へ遡っていきます。

 

途中、山の斜面上へ登っていく道が分岐しており、「吉祥龍穴」と書かれた看板があるのでこれに従い斜面上の道を進んでいきます。

 

道を進んでいくと、途中に「天の岩戸」と呼ばれる巨大な岩石があります。

鳥居が建っており、これをくぐったところに二つに割れた巨岩があり、注連縄が渡されています。

詳細は不明ですが磐座として信仰の対象となっているようで、「室生龍穴神社境内です」と書かれた標も建っており当社の管理下にあるようです。

 

「天の岩戸」のさらに奥側、石垣上の玉垣に囲まれたところに銅板葺・春日見世棚造の社殿が建っています。

社名・祭神は不明。

 

道をさらに進んでいくと左側の路肩に「吉祥竜穴」と書かれた看板と共に鳥居が建っています。

 

鳥居をくぐった様子。

崖下の深い谷底へ至る急な階段が続いています。

 

崖沿いに階段を下って行くとその先にこのような銅板葺・平入切妻造の建物が建っています。

これが吉祥龍穴への拝所となっており、小さな建物ながら土足厳禁でスリッパが用意されています。

 

吉祥龍穴

拝所から谷を見下ろすと、巨大な岩肌に大きな穴が開いており、そこに注連縄が掛けられているのが見えます。

この穴が「吉祥龍穴」であり、当社の信仰の原点であると言えるものです。

恐らくはこの龍穴を水神たる龍蛇の住む神域として祭祀の対象とし、神籬や簡単な社殿などを設けて祭祀していたのでしょう。

そしていつの頃か室生川沿いの交通の便の良い平地に里宮・遥拝所的なものとして祭祀場を遷し本格的に社殿を造営したのが当社だったと思われます。

 

吉祥龍穴の右側を見やると岩盤を伝って水が滝状に流れており、これは「招雨瀑(しょううばく)」と呼ばれています。

普段はもっと流量が多く迫力のある滝ですが、訪れた時はたまたま少雨が続いた時期だったためかなり流量が少なくなっていました。

 

招雨瀑から流れ落ちた水は吉祥龍穴の前を流れ、左側の滝壺へと注がれます。

 

そして吉祥龍穴の上方を見やると巨大な岩盤が崖となっていることがわかります。

まさに周囲が巨大な岩石で囲まれたところであり、その底を水が流れている地形となっています。

そしてその水の側に巨大な穴が開いているのであり、そこに龍蛇の類が住んでいると想像するのもよくわかる迫力ある光景です。

 

拝所と吉祥龍穴を引きで見た様子。

狭隘の地であり、大規模な祭祀は難しそうです。拝所も恐らく懸造のような構造になっているのでしょう。

 

宀一山室生寺

当記事では詳細は割愛しますが、当社の西方1kmほどのところに真言宗室生寺派の寺院「宀一山室生寺」があります。

当社の神宮寺として当社と非常に深い関係がありました。

元は興福寺の影響を受けた法相宗の寺院でしたが次第に密教色が強まり、江戸時代には真言宗となり女性でも参拝可能な霊場として「女人高野」と呼ばれ大いに栄えました。

境内には国宝・国重文の建築や仏像などが多数あり、極めて豊富な文化財を有する寺院です。

山間の地ながら連日多くの参拝客が訪れる寺院であり、当社も室生寺と一緒に参拝する人が大半となっています。

 

タマヨリ姫
おおー、おっきい穴だね!ほんとに龍が住んでるみたい!
元々はこの穴を祀っていたと思うわ。不便な場所だから今の広い場所に遷って祭祀するようになったんじゃないかしら。
トヨタマ姫

 

由緒

案内板「室生龍穴神社 由緒」

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室生龍穴神社 由緒

祭神

高龗神

配祀

天児屋根命
大山祇命
水波能賣命
須佐之男命
埴山姫命

主神 高龗神は、伊邪那岐大神其御子 迦具土神を斬り給へる時生れませる神にして、水火を司るの威徳を具へ給ひ、晴雨を調節して国土民生を安じ給ふ。

蓋し、農を以て国の本とする我国古来の伝統的民族信仰として旱天に慈雨を祈るの風朝野を挙げて後を絶たざりし所似(※原文ママ)にして木津川、淀川の上流の当地に此大神の鎮まります事深く故なしとせず。

随って古来歴朝朝野の信仰篤く祈雨止雨の奉幣に預り給ふ事度々にして神階は度々昇叙されて應和元年正四位下に叙せられ給ふ。延喜の制 貴船 丹生等の社と列びその神威赫々たる官幣の小社に列せられ所謂式内社として近畿一円に衆庶の信仰篤く以て今日に及べり。

配祀の祭神は古来聚落の叢祀に奉斎せしを明治末年に合祀せり。

 

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