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金峯神社 (奈良県吉野郡吉野町吉野山)

社号金峯神社
読みきんぷ
通称
旧呼称金精明神 等
鎮座地奈良県吉野郡吉野町吉野山
旧国郡大和国吉野郡吉野山村
御祭神金山毘古命
社格式内社、旧郷社
例祭10月第3日曜日

 

金峯神社の概要

奈良県吉野郡吉野町吉野山に鎮座する式内社です。『延喜式』神名帳には名神大社に列し、古くは非常に有力な神社だったようです。

当社の創建・由緒は詳らかでありませんが、宣化天皇三年に金峯山に明神が出現したとする伝承があるようです。

吉野山から大峰山の山上ヶ岳に至る一連の山々を古く「金峯山」と称し、当社はこれらの山に宿る神を祀ったことが考えられます。

金峯山は、黄金などの金属を豊富に蔵する金鉱の山として知られていました。

その様子はいくつかの記録に表れていますが、有名な記録では例えば『宇治拾遺物語』に七条の薄打が罰が当たると知りつつも金峯山で金を取り、これを東寺の大仏造立のために売ろうとしたところ金峯山で採ったものであると発覚し刑に処された話があります。

その他、『元亨釈書塵裏抄』には東大寺の大仏造立の際に聖武天皇が良弁僧正に命じて金峯山の金を採ろうとしたところ、夢に「この金は慈尊出現の時、大地に布くためのものだから」と拒まれ、代わりに近江の石山で祈ったところ陸奧から金が発見された、といった話があります。

このように金峯山が金を蔵する山であるとされた逸話は数多く伝わっており、実際に金属を産していたことも考えられますが、仏教説話として金峯山が黄金浄土の地であると信仰されたことが大いに影響していると考えられます。

 

当社は江戸時代以前は「金精(こんしょう)明神」と称し、吉野水分神社(当時は「子守明神」)と共に修験道の行場として栄えました。

また『栄花物語』には藤原道長が当社に詣でたことが記されており、大峰山・山上ヶ岳の南方には平安時代末~鎌倉時代にかけての大規模な経塚群である「金峯山経塚」があり、そこから出土した藤原道長の埋納した「金銅藤原道長経筒」は国宝に指定されています。

当社は金峯山、つまり吉野山から大峰山にかけての山々を守護する神であると共に、これらの山々で修行をする修験者の守護神としても信仰されたことと思われます。

当社周辺にもかつて数多の仏教施設がありましたが、現在は源義経ゆかりの「義経隠れ塔」が建つのみとなっています。

 

現在の御祭神は「金山毘古命」で、上記の金峯山が金を蔵する山と信じられたことからか金属神を祀っています。

明治の神仏分離により仏教と切り離されましたが、現在も吉野山の地主神であるとされており、吉野山の最奥部の主要な観光地として、また修験道の靡(なびき/修験道の行場・霊場)の一つとして知られ、ユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の登録資産の一部にもなっています。

 

境内の様子

吉野ロープウェイの吉野山駅から出ているバスに乗って終点の奥千本口停留所で下りると当社の一の鳥居が北向きに建っています。

まさに吉野山の最奥部といった趣で、観光客の多い一帯とは隔絶され、店どころか家屋すら無い静かな霊地となっています。

一の鳥居は神明鳥居に稚児柱が設けられたもので、神明鳥居と両部鳥居のハイブリッドとなっています。

 

一の鳥居から参道を進んでいくと樹木の鬱蒼とした当社の境内へと至ります。

 

参道途中の左側(東側)に手水鉢が配置されています。

 

反対側、参道の右側(西側)には腰掛けの設けられた休憩所が建っています。かつては修験者向けの長床でもあったのではと思わせられる雰囲気。

 

金峯神社

参道の正面奥に二の鳥居が建っています。二の鳥居は後方にのみ稚児柱が設けられたもの。

 

金峯神社

金峯神社

鳥居後方の石段の上に社殿が北向きに並んでいます。

拝殿は銅板葺・妻入入母屋造。桁行三間・奥行二間の舞殿にも似た壁の無い開放的な建築です。

現在の社殿は旧社殿が暴風雨で倒壊したため吉野神宮にあった拝殿を移築したもののようです。

拝殿後方には長い石段が続き、その上に本殿が建っているようですが全く見ることができません。手持ちの資料によれば三間社流造のようです。

 

二の鳥居の左奥(南東側)に釘貫門が建っており、ここから伸びる小径を下りていくと「義経隠れ塔」もしくは「蹴抜の塔」と呼ばれる銅板葺・宝形造の建築があります。塔と呼ぶにはあまりに低く小さな建築です。

元々は山を開いた役行者がここで三年間修業し、後の修験者も同様にしたと言われています。

この塔は元々は三重塔で、文治年間に源頼朝らに追われた源義経がこの塔の中に隠れ、逃げる際には屋根を蹴破って難を逃れたと伝えられ、それ以来「義経隠れ塔」「蹴抜の塔」と呼ばれています。

鎌倉時代の建立とされた塔は旧国宝に指定されていましたが、明治年間に過失により焼失し、現在のものは大正元年(1912年)に再建されたものです。

 

道を戻り、一の鳥居付近から西方を見た様子。全体を見れば当地は金峯山のほんの入口に過ぎないところですが、それでもなお山奥の雰囲気が感じられます。

 

タマ姫
この辺りまで来ると人も少ないし山奥に来たって雰囲気だね!
吉野から大峰山、熊野にかけての修験道の道を大峯奥駈道っていうんだけど、ここはまだまだ序の口。修験道の道はここからずーっと山奥の方へ続いてるのよ。
トヨ姫

 

御朱印

 

由緒

案内板

金峯神社と隠れ塔

 

地図

奈良県吉野郡吉野町吉野山

 

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