社号 | 鴨神社 |
読み | かも |
通称 | |
旧呼称 | |
鎮座地 | 兵庫県川西市加茂1丁目 |
旧国郡 | 摂津国川辺郡加茂村 |
御祭神 | 別雷神 |
社格 | 式内社、旧郷社 |
例祭 | 7月31日、10月16日 |
式内社
鴨神社の概要
兵庫県川西市加茂1丁目に鎮座する式内社です。
当社の創建・由緒は詳らかでありません。
当社と関係のありそうな氏族として、『新撰姓氏録』には摂津国に次の氏族が登載されています。
- 摂津国皇別「鴨君」(彦坐命の後)
- 摂津国神別「鴨部祝」(大国主神の後、賀茂朝臣と同祖)
この二氏族が登載されており、当社はこのいずれかの氏族が奉斎した可能性があります。
「鴨」「賀茂」を名乗る氏族は複数の系統があります。上述の「鴨君」は開化天皇の皇子である彦坐命を祖とする皇別氏族(天皇や皇子の子孫)で、詳細は不明ですが「治田連」「軽我孫」など数多くの氏族と同族です。
また「鴨部祝」は大国主神(大物主命)やその子の大田田根子命を祖とし、葛城地方を拠点にした氏族であり三輪氏と同族です。この氏族は地祇系賀茂氏とも呼ばれています。
一方で当社の御祭神は「別雷神」で、これは賀茂建角身命の子孫とする山城系の賀茂氏の祖神です。山城系の賀茂氏は賀茂別雷神社・賀茂御祖神社を拠点とした氏族で、天神系賀茂氏とも呼ばれています。
このように、当社では天神系賀茂氏の祖神を祀る一方、『新撰姓氏録』に登載されている賀茂系の氏族は皇別氏族や地祇系賀茂氏であり、ねじれが発生しています。
一般にはこれらの「賀茂氏」は別系統とされています。天神系賀茂氏と地祇系賀茂氏は実は同系とする説や、摂津国に居住していた天神系賀茂氏が『新撰姓氏録』に漏れた説などもありますが、やはり賀茂別雷神社があまりに有名な神社だったために後世に当社もその神が充てられたと考えるのが妥当でしょう。
となれば当社は本来は鴨君の祖「彦坐命」もしくは鴨部祝の祖「大国主神」「大田田根子命」を祀っていたことが考えられます。
また、当社の境内を中心とする一帯は旧石器時代から平安時代にかけての集落遺跡である「加茂遺跡」となっています。特に弥生時代中期に最盛期を迎え、銅鐸や弥生土器などが出土し、掘立柱建物跡、竪穴式住居跡も検出されています。
当社の祭祀と結びつくものと直ちに考えることはできませんが、当地は最明寺川や猪名川の形成した河岸段丘上で洪水を避けられる地であり、非常に古くから人の営みのあった地であると言えます。
境内の様子
境内入口。石段があり、境内が周囲よりやや高いところにあるのがわかります。石段上には一の鳥居が南向きに建っています。
一の鳥居の先は広い空間となっています。
一の鳥居の先には二の鳥居が建っています。ここから先は森の迫った参道となっています。
二の鳥居の手前の両側には花崗岩製の真新しい狛犬が配置。
参道を進んて行くと注連柱が建っており、この先は社殿等の建つ主要な広い神域です。
注連柱をくぐって右側(東側)に手水舎があります。
正面奥に社殿が南向きに建っています。社殿はRC造ですが、朱に塗られており華やかな雰囲気が漂っています。
拝殿は銅板葺・平入切妻造で大きな唐破風の付いた向拝と千鳥破風が付いています。
拝殿前の狛犬。こちらも花崗岩製の真新しいものです。
本殿は銅板葺の流造。こちらも朱に塗られています。
社殿の右側(東側)に「愛宕神社」「天照皇大神社」「春日神社」の相殿の社殿が鎮座。
社殿の左側(西側)には「松尾神社」「八幡神社」「稲荷神社」の相殿の社殿が鎮座。
さらにその左側(西側)に「延壽社」が鎮座。御祭神は「伊邪那岐命」「伊邪那美命」。
延命長寿の神として信仰されているようです。
社殿の建つ空間の一画には砲弾が基壇の上に置かれていました。
道を戻り、参道途中の左側(西側)に「修祓所」なる空間があり、注連縄の掛けられた岩石がわけありげに置かれています。
こちらで何らかの神事や祈祷が行われるのでしょうか。
境内の一画に咲いていた八重桜。当社は森が鬱蒼としており花に乏しい中で、僅かに彩りを添えています。
当社の東方を流れる「最明寺川」。写真左奥の台地に当社が鎮座しています。
最明寺川と猪名川によって形成された河岸段丘の上に鎮座することがよくわかります。
国土地理院の提供する色別標高図で当社の立地を確認しておきましょう。このように北東に突き出た河岸段丘の上に鎮座していることがわかります。
この地に旧石器時代以来の集落跡「加茂遺跡」があり、猪名川方面を見渡せるこの地に古くから人が定住していました。
当社もこの地形を重要かつ神聖なものとして祀られたのかもしれません。
由緒
案内板
国指定 史跡 加茂遺跡
地図