社号 | 於神社 |
読み | うえの |
通称 | |
旧呼称 | |
鎮座地 | 奈良県北葛城郡広陵町大塚 |
旧国郡 | 大和国広瀬郡大塚村 |
御祭神 | 天照皇大神、天児屋根命、品陀別命 |
社格 | 式内社、旧村社 |
例祭 |
於神社の概要
奈良県北葛城郡広陵町大塚に鎮座する式内社です。
当社の創建・由緒は詳らかでありません。
当社と同じ広瀬郡内には讃岐国から人々が移住し神を勧請したと考えられる「讃岐神社」(三吉地区に鎮座)が鎮座しており、また讃岐国苅田郡の式内社には当社と同名の「於神社」(論社は諸説あり)があることから、当社もまた讃岐神社と同様に讃岐国から当地に人々が移住し神を勧請したことが考えられます。
しかし讃岐国の「於神社」についても近世まで所在が不明で、現在比定されている論社も由緒がはっきりせず、その神格は明らかでありません。
当社についても『大和志』などの地誌で当社に比定されていますが、「社已に廃す」ともあり近世には既に廃れていたようです。
現在の当社はそれ以降に再興されたようで、御祭神として「天照皇大神」「天児屋根命」「品陀別命」を祀っていますが元来の信仰との連続性を認めるのは難しそうです。
一方河合町川合に鎮座する「廣瀬大社」の古記録から同社の境外末社の「水分神社」を式内社「於神社」とする説もあります。
当社については「讃岐神社」と共に漠然と讃岐国との関係性が伺われるのみで、殆どのことは不明と言わざるを得ません。
境内の様子
当社は新興住宅地として開発された真美ケ丘に囲まれた古くからの集落、大塚地区の西方に鎮座しています。
境内入口には鳥居が東向きに建っています。
鳥居をくぐった様子。参道は社殿までまっすぐ続いていますが、途中に若干の石段があり社殿の建つ空間はやや土地が高くなっています。
石段を上って左側(南側)に手水舎があります。
正面に社殿が東向きに建っています。
拝殿は本瓦葺の平入入母屋造で正面に妻入入母屋造の向拝が付いています。
拝殿前の狛犬。花崗岩製でスラっと背の高い狛犬です。
拝殿後方はブロック塀で完全に囲われており、残念ながら本殿は全く見ることができません。
貼紙によれば本殿は銅板葺で朱塗りの一間社春日造のようです。(『式内社調査報告』には流造とありますが…)
境内付近の様子
於神社の鳥居手前側(東側)にある桜の木の傍らに「住吉神社」が西向きに鎮座しています。御祭神は「上筒男命」「中筒男命」「底筒男命」。
銅板葺の妻入切妻造の覆屋に流造の祠が納められているようで、覆屋は塀で囲われています。由緒は不明。
また於神社の鳥居から北方へ少し進んだところにこんもりとした丘があり、その上に「厳島神社」が南向きに鎮座しています。御祭神は「市杵島姫命」。
丘の下に稚児柱が黒く塗られた朱塗りの両部鳥居が建っており、石段の上に桟瓦葺・平入切妻造の社殿が建っています。
元禄三年(1690年)に安芸国(広島県)の厳島神社から勧請されたと伝えられています。
貼紙
厳島神社
当社の南方250mほどの地に「新山古墳」があります。古墳時代前期の四世紀前半に築造されたと推定される前方後円墳で、墳丘長126mのそこそこ大規模な古墳です。
宮内庁により「大塚陵墓参考地」に治定されています。武烈天皇の陵墓であるとも推定されますが、葛城氏の墓であるとの説もあります。
由緒
貼紙
於神社
地図
関係する寺社等
広瀬大社 (奈良県北葛城郡河合町川合)
0 社号 廣瀬大社 読み ひろせ 通称 旧呼称 鎮座地 奈良県北葛城郡河合町川合 旧国郡 大和国広瀬郡川合村 御祭神 若宇加能売命 社格 式内社、二十二社、旧官幣大社 例祭 2月11日、4月4日 式内 ...
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