社号 | 素盞嗚神社 |
読み | すさのお |
通称 | 祇園社 等 |
旧呼称 | |
鎮座地 | 奈良県桜井市三輪 |
旧国郡 | 大和国式上郡三輪村 |
御祭神 | 素佐男命 |
社格 | 式内論社? |
例祭 | 10月7日 |
式内社
素盞嗚神社の概要
奈良県桜井市三輪に鎮座する神社です。
当社の創建・由緒は詳らかでありません。
当社の御祭神は社名の通り「素佐男命」。
近隣に鎮座する「大神神社」の御祭神「大物主大神」(と同神とされる「大国主命」)の父神を祀ると案内板などに説明がありますが、当社は祇園信仰の神社であり、江戸時代には「牛頭天王」を祀っていたため、「大神神社」との信仰上の関連性は薄いと思われます。
志賀剛氏は式内社「稔代神社」を当社に比定していますが根拠は薄く、一般的には当社が式内社であるとは認められていません。
式内社「稔代神社」については、祭神や奉斎氏族など全く不明です。六国史などに神階昇叙の記録もありません。
その社名から漠然と田畑の豊穣を司る神であろうと推測されるのみです。
邪推するならば、田畑の傍らに作物の守護神として祀られていたものの、社地が低地だった故に洪水などによりいつしか流失し忘れ去られていったのかもしれません。
式内社「稔代神社」は少なくとも現状では廃絶したものと考えるのが妥当でしょう。
境内の様子
当社は「大神神社」の南西300mほど、三輪地区の集落内の一画に鎮座しています。境内は玉垣で囲われ、南側に入口。
後述のように境内には「薬師堂」があり、神社と寺院が同じ境内を共有してます。
入口から境内へ入って左側(西側)に手水舎が建っています。
入口からまっすぐ伸びたコンクリート敷の参道が境内奥で右(東側)へ曲がり、鳥居へと通じています。
境内に聳える三本の巨樹に大きな「勧請縄」が渡されているのが大きな特徴。これも後述します。
先に神社へ。社殿の前に西向きの鳥居が建っています。
鳥居をくぐると正面奥に社殿が西向きに並んでいます。拝殿は桟瓦葺・平入切妻造のもの。
拝殿前に配置されている狛犬。砂岩製の端正なものです。
拝殿後方に塀に囲われて銅板葺・一間社流造に千鳥破風の付いた本殿が建っています。
本社本殿の右側(東側)の段差となっている空間の奥に境内社が西向きに鎮座しています。
境内社とはいえその内の三社は石碑となっています。
これらの境内社は左から順に次の通り。
- 「金比羅大権現」(石碑)
- 「愛宕」(石碑)
- 「白山神社」(御祭神「白山大神」/全体的に朱塗りのトタン葺・春日見世棚造)
- 「庚申」(石碑)
案内板には「庚申、愛宕、金比羅大権現は「歯定さん」といって歯痛に霊験あると信仰されています」とあります。この三社を総称してそう呼ばれているのでしょうか。
なお天理市中山町には「歯定神社」が鎮座しており、これと関係があるかもしれません。
上述の通り当社境内には「勧請縄」が掛けられています。
勧請縄とは道切りの一種で、本来は集落の境界などで災厄や疫病などを防ぐために掛けられたものです。いつの頃か神社で行うようになったものでしょう。
奈良県から滋賀県にかけては勧請縄が非常に盛んに行われており、多種多彩な勧請縄が各地で見られます。
当社では境内の南北にある巨樹に両端を括り付け、中央のやや細い木を中継していることが特徴で、毎年1月7日の「綱掛祭」で掛け換えられるようです。
当社の勧請縄には紙垂付きの串が刺さっており、そこに松の葉を括り付けたものを垂らしています。これが左右にそれぞれ三セットずつ設けられています。
当社境内の北側、入口からまっすぐ進んだ正面には「薬師堂」が南向きに建っています。
本瓦葺・宝形造の建築で、十二神将と薬師如来の像が安置されているようです。
案内板
お薬師様
また境内に入ってすぐ右側(東側)のところに二つの岩石があり、注連縄で囲まれています。これが何なのかは不明。
力石のようにも見えますが、祭祀の対象なのでしょうか。
二つの岩石のところから奥(東側)へ進むと石仏が祀られています。
一般に神社と寺院が境内を共有する場合、神社の空間と寺院の空間はゆるく分けられていることが多いですが、当社では薬師堂の対角とも言うべき区画にこのように石仏があり、あまり分け隔てる意識が見受けられないのは特徴的でしょう。
由緒
案内板
素盞嗚神社
案内板
素佐男神社(祇園さん)
地図