社号 | 池坐朝霧黄幡比賣神社 |
読み | いけにますあさぎりきはたひめ |
通称 | |
旧呼称 | 法貴寺天神、天満宮 等 |
鎮座地 | 奈良県磯城郡田原本町法貴寺 |
旧国郡 | 大和国式下郡法貴寺 |
御祭神 | 天萬栲幡千幡比売命、菅原道真 |
社格 | 式内社、旧郷社 |
例祭 | 10月18日 |
池坐朝霧黄幡比賣神社の概要
奈良県磯城郡田原本町法貴寺に鎮座する式内社です。『延喜式』神名帳には大社に列せられ、古くは有力な神社だったようです。
社伝によれば、推古天皇二十四年(615年)に聖徳太子が創建した法貴寺の伽藍を賜った秦氏が守護神として祖神を祀ったのが当社であるとしています。
記録上の初見は天平二年(730年)『大倭国正税帳』で、「池神」と記されており、少なくともこの頃には存在していたようです。
社伝に見える「法貴寺」とは当地にあった真言律宗の寺院で、社伝の通り聖徳太子による開基で後に秦河勝が賜ったとされる古刹でした。
かつては七堂伽藍を構え、当地の地名ともなるほどの大寺院だったようですが、現在は衰退し、当社の北方にある小さなお堂「千萬院」が法灯を継いでいるのみとなっています。
法貴寺は秦氏、後に長谷川党の氏寺とされたようです。世阿弥の女婿であり能楽の金春流の金春禅竹が著した『明宿集』によれば、秦河勝に三人の御子があり、一人は武を伝え、一人は伶人(=雅楽)を伝え、一人は猿楽を伝え、この内武を伝えた子孫が大和の長谷川党である、と記しています。
長谷川党の系譜については諸説あるものの、『明宿集』の記述に従えば長谷川党は秦河勝の直系の子孫となり、少なくとも秦氏と深い関わりのあったことが窺えます。
一方で当社は江戸時代以前は法貴寺の鎮守社として「法貴寺天神」「天満宮」と称し、菅原道真公を祀る天神信仰の神社でした。
社伝では天慶九年(946年)に「北野天満宮」から勧請したと伝えられていますが、北野天満宮の社殿が造営されたのはその翌年の天暦元年(947年)であり、年代の整合性に疑問があります。実際には恐らくもう少し時代が下ってからの勧請でしょう。
式内社「池坐朝霧黃幡比賣神社」が当社に比定された根拠は明らかでありませんが、法貴寺が秦氏と関わりがあることから比定されたものと思われます。
社名から「朝霧黃幡比賣」なる神を祀っていたことは明白で、この神は記紀などの史料に登場しないものの、「幡」の字を持つことから織物に関わっていたことが考えられます。
秦氏は様々な技術を持っていましたがその中でも織物に関する技術は卓越しており、仁徳天皇や雄略天皇の御代などに絹の織物を献上し、これに因み「太秦(ウヅマサ)」の号を賜ったことが『新撰姓氏録』に見えています。
朝霧黃幡比賣が秦氏の神であるとする記録はありませんが、恐らくこうした故事から「朝霧黃幡比賣 → 織物 → 秦氏」との連想があり、秦氏と関係の深い法貴寺の鎮守社である当社に比定されたものと思われます。
現在の御祭神は「天萬栲幡千幡比売命」「菅原道真」の二柱となっており、「朝霧黃幡比賣」なる神は祀られていません。
天萬栲幡千幡比売命は異伝もあるものの一般には高皇産霊尊の娘とされており、『日本書紀』本文では「栲幡千千姫命」の名で登場します。秦氏とは結びつかない神ですが、「朝霧黃幡比賣」と同様に「幡」の字の付く織物の神であることから、国史に登場するこの神を同一の神として充てられたのでしょう。
境内の様子
当社は法貴寺地区の集落の中心、大和川の左岸側の畔に川に背を向けるようにして鎮座しています。
境内の西側に入口があり、西向きの鳥居が建っています。鳥居の傍らの灯籠にはかつての呼称である「天満宮」と刻まれています。
鳥居をくぐった様子。鬱蒼とした参道に灯籠が左右に並び、社殿まで一直線に伸びています。
参道を進んでいくと右側(南側)に手水舎が建っています。
手水舎の左側(東側)に隣接して、手水舎のものとは別に丸っこい手水鉢が配置されています。前代のものなのでしょう。
参道の奥に社殿が西向きに並んでおり、その手前側は玉垣で囲われた区画があります。玉垣の左右の灯籠にはやはりかつての呼称である「天満宮」と刻まれています。
拝殿は本瓦葺・平入入母屋造の中央上部に銅板葺の唐破風の付いた割拝殿。通路は唐破風の部分が天井となっているため、屋根が中央で唐破風により分割されているような印象を抱きます。
拝殿前に配置されている狛犬。砂岩製です。
拝殿後方、石垣の上に中門、透塀が設けられ、その後方に銅板葺・一間社春日造の朱塗りの本殿が建っています。
本社本殿の左側(北側)に隣接して「皇子神社」が西向きに鎮座。
社殿は銅板葺の春日見世棚造。
本社本殿の右側(南側)に三社の境内社が西向きに鎮座。祀られている神社は左側(北側)から順に次の通り。
- 「春日神社」
- 「松尾神社」
- 「梅尾神社」
社殿はいずれも春日見世棚造ですが、松尾神社のみ規模の大きなものとなっています。
本社本殿の左側(北側)の一画に三社の境内社が西向きに並んで覆屋に納められています。祀られているのは左側(北側)から順に次の通り。
- 「□(波?)知久麻明神社」(銅板葺の小規模な流見世棚造)
- 「市杵嶋神社」(銅板葺のやや背の高い春日見世棚造)
- 「琴比羅神社」(銅板葺の春日見世棚造)
社殿は波(?)知久麻明神社のみが銅板葺の流見世棚造、他二社は春日見世棚造。市杵嶋神社は背の高い社殿となっています。
本社本殿の右側(南側)の区画には二社の境内社が西向きに並んで覆屋に納められています。こちらには区画の手前側に鳥居も建っています。
この内、左側(北側)に鎮座しているのは「事代主神社」で、右側(南側)に鎮座しているのは「須佐男神社」。
いずれも銅板葺の春日見世棚造で、事代主神社の方がやや大きな社殿となっています。
法貴寺
境内の北側、公園との境界にはかつて当地にあった真言律宗の寺院「法貴寺」の山門と鐘楼が残っています。
山門は本瓦葺・平入切妻造の薬医門、鐘楼は本瓦葺の切妻造です。かつての威容が偲ばれます。
現在は法貴寺は著しく衰退し、かつて子院だった「千萬院」が辛うじて公園の北西側にその法灯を継いでいます。本尊は薬師如来坐像。
本瓦葺・平入入母屋造の小さな本堂があるのみとなっていますが、平安時代の作とされる国指定重要文化財の不動明王立像をはじめ数多くの仏像が現在も伝えられています。
案内板
千万院と不動明王
案内板
田原本御佛三十三箇所巡礼(やすらぎと歴史遺産を訪ねて)
由緒
石碑
延喜式内大社 旧郷社
案内板
池座朝霧黄幡比賣神社
地図