社号 | 山之坊山口神社 |
読み | やまのぼうやまぐち |
通称 | |
旧呼称 | |
鎮座地 | 奈良県橿原市山之坊町 |
旧国郡 | 大和国十市郡山之坊村 |
御祭神 | 大山祇命 |
社格 | 式内論社 |
例祭 | 10月10日 |
山之坊山口神社の概要
奈良県橿原市山之坊町に鎮座する神社です。太田市町の「天満神社」、木原町の「耳成山口神社」と共に式内社「目原坐高御魂神社」の論社となっています。
式内社「目原坐高御魂神社」は『延喜式』神名帳に大社に列せられ、古くは有力な神社だったようです。
天平二年(730年)の『大和国正税帳』にも当社が記載され、「目原神戸稲265束 租6束 合271束 4束祭祀に用う 残267束」と記されています。
久安五年(1149年)に「多坐彌志理都比古神社」(田原本町多に鎮座)の禰宜が提出した『多神社注進状』には、式内社「目原坐高御魂神社」について多坐彌志理都比古神社の別宮であるとし、加えて次のように記しています。
- 祭神は「天神高御産巣日尊」(神像は円鏡に坐す)と「皇妃栲幡千々媛命」である。
- 川辺郷にある。
- 肥直を禰宜とする。
- (多坐彌志理都比古神社の創建後)成務天皇五年の初秋、武恵賀前命の孫の仲津臣(武彌依米命の子)を多の神を祀る主とする。この日天皇が神託により仲津臣に詔して「外戚天神皇妃両神」を目原の地に奉斎し、今の目原神社はこれである。
ここに登場する「仲津臣」なる人物に関連し、『新撰姓氏録』右京皇別に神八井耳命の後裔であるという「島田臣」が登載されています。これによれば、成務天皇の御代に尾張国島田の上下二県に悪神がいたため、神八井耳命の五世孫、武恵賀前命の孫である「仲臣子上」という人物を派遣してこれを退治し、島田臣の姓を賜ったことが記されています。
この島田氏は多氏と同様に神八井耳命を祖とし、奈良市八島町に鎮座する「嶋田神社」を奉斎した氏族と見られます。そしてこの氏族のその祖に「仲臣子上」なる人物がいることがわかります。
この「仲臣子上」こそが「仲津臣」で、やはり多氏と同族にあたります。多氏の奉斎した「多坐彌志理都比古神社」の別宮となったのもこのためと思われるものの、逆に同社との関係が深くなったために多氏と結びつけられた可能性もあります。
式内社「目原坐高御魂神社」は江戸時代には所在不明となっており、江戸時代中期の地誌『大和志』は「或いは曰く」として太田市町の「天満神社」に比定しています。
一方、室町時代の文書『和州五郡神社神名帳大略注解』(通称『五郡神社記』)には「目原神社」(=式内社「目原坐高御魂神社」)は河辺郷目原村(近代は木原に作る)高森にあると記しています。
これを受けて大正三年(1914年)に刊行された地誌『大和志料』は、「木」と「目」はモクの音が通じるため木原は目原の転訛であろうとし、現在の木原町、耳成山の山頂近くに鎮座する「耳成山口神社」に比定しています。
さらに江戸時代に成立した文書『本朝神社牒』によれば耳成山には「天神社」と「耳成山天神宮」の二社があり、前者に「旧名耳成山口神社」との註があることから式内社「耳成山口神社」は前者だったことになります。
もう一方の「耳成山天神宮」には特に註がありませんが、『式内社調査報告』などは両方とも式内社であろうとし、天神とは高御魂神のことであり、現在も「耳成山口神社」に大山祇神と共に高御産霊神を祀っているのは同社が式内社「目原坐高御魂神社」を合祀しているからだとする説を提唱しています。
さらに耳成山にあった神社について、享保年間にあった境界訴訟の結果、耳成山は木原村領とされたため、山之坊村の宮司は神霊を奉じてその子孫の宅に奉斎したといい、これが当社であるとしています。
当社が式内論社とされているのは、この耳成山から遷座した神が式内社「目原坐高御魂神社」にあたるとするもののようで、特に根拠があるわけではないようです。
具体的にいずれの神であるかの記録は無いようで、或いは「目原坐高御魂神社」でなく「耳成山口神社」の方の遷座・勧請だった可能性も否定できません。
なお現在の御祭神は「大山祇命」としており、式内社「目原坐高御魂神社」が祀っていたであろう「高御魂神」は当社には祀られていないようです。
境内の様子
当社は山之坊町の南東、米川の右岸畔に鎮座しています。
集落からやや南へ奥まったところに比較的新しい一の鳥居が北向きに建っています。
鳥居をくぐってしばらく進み、突き当りを左(東側)へ曲がった様子。
社殿の建つ空間とは玉垣で区切られており、左右二ヶ所の入口があります。
社殿へは右側(南側)の入口がショートカットとなりますが、何故か遠回りになる左側(北側)の入口に二の鳥居が西向きに建っています。
やはり鳥居の建っている方が正式な順路と見るべきのようで、二の鳥居をくぐってすぐ左側(北側)に手水舎が建っています。
二の鳥居をくぐった様子。
境内はかなり広い一方で樹木は少なく開放的な印象。その代わり散在して聳え立つ楠や杉などの一本一本はそれなりの巨樹となっています。
社殿はこの空間の右奥(南東側)にあり、西向きに並んでいます。
拝殿は桟瓦葺の簡素な平入切妻造。
拝殿前に配置されている狛犬。花崗岩製で、ところどころに朱や墨などで彩色が施されています。
拝殿内には古銭を並べて文字や紋章などを表した絵馬が掲げられています。それぞれ昭和十一年(1936年)と翌十二年(1937年)の奉納で、前者は70歳を記念したもののようです。
同一人物が奉納したもののようで、戦前ながらもアート性の強い絵馬であると言えそうです。
拝殿後方には塀に囲われて銅板葺の一間社流造の本殿が建っています。
拝殿と本殿の間に幣殿のように妻入切妻屋根が設けられているのが特徴。
本社拝殿の手前右側(南側)には「庚申」と刻まれた石碑が建っています。
「庚申」石碑の後方(東側)には銅板葺の宝形造の仏堂らしき建物が建っています。詳細不明。
地図
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