社号 | 江文神社 |
読み | えぶみ |
通称 | |
旧呼称 | |
鎮座地 | 京都府京都市左京区大原野村町 |
旧国郡 | 山城国愛宕郡野村 |
御祭神 | 倉稲魂神 |
社格 | 旧村社、式内論社 |
例祭 | 5月4日、9月1日に近い土曜日 |
式内社
江文神社の概要
京都府京都市左京区大原野村町に鎮座する神社です。式内社「伊多太神社」を当社に比定する説があります。
当社の創建・由緒は詳らかでありませんが、社伝によれば元々は背後に聳える金毘羅山(江文山)の頂上、朝日の最も早く照地に鎮座していたのを、平安時代後期に当地に遷座し社殿を造営したと伝えられています。
また別の伝承によれば大原来迎院町に鎮座する天台宗の寺院「三千院」の鎮守として創建されたとも、また延暦寺座主の慈覚大師円仁の勧請により創建されたともいい、山王神道と深い関わりがあったとされています。
上記のように式内社「伊多太神社」を当社に比定する説がありますが、これは伴信友の著した『神名帳考証土代』によるもので、その根拠は全くの不明。現在ではこれを支持する説はほぼ皆無です。
一方、当社は高野川上流域の小盆地である「大原」と呼ばれる近隣八ヶ町の総鎮守で、大原地域の中心から大きく離れた地に立地しているとはいえ当地における最大の神社であり、信仰の中心となっています。
古くは当社において「大原雑魚寝」と呼ばれる風習があったといい、節分の夜に老若男女が当社拝殿に参籠・通夜したと言われています。その際に情事も行われていたといい、明治以降に禁止されたようです。
伝承によれば昔、井出の大淵と呼ばれるところに大蛇がいて、時折里に出て人を食らうので里の人々が一ヶ所に集まって籠ったことに始まると伝えられています。
これに対して9月1日に近い土曜日には「八朔祭」が行われており、これは豊作祈願のために絣の着物と菅笠を着用した人々が楽器を用いず独特の節で踊る「道念音頭」を行うもので、これは現在も行われており京都市登録無形民俗文化財となっています。
京都北郊の山間の地である大原は、農村でありながらも都からほど近く、多くの文化人も訪れたところです。
また比叡山の北西麓であることから比叡山延暦寺の影響が強く、三千院や宝泉院、寂光院などの壮麗な寺院があり、現在は京都から少し足を伸ばした観光地としても知られています。
当社はこうした寺院はおろか集落からも外れた地に鎮座しているため観光地として取り上げられることも殆どありませんが、上述のように大原の総鎮守であり、大原を構成する重要な一員であると言うべきでしょう。
境内の様子
当社は京都北郊の小盆地である「大原」と呼ばれる地域の総鎮守ですが、その立地は大原の中心からかなり外れたところにあります。
大原から西方、江文峠方面へちょっとした山中を宮川沿いに進んでいきます。当社への道は神社の手前まで東海自然歩道となっており地図なども設置しているため、迷うことはないでしょう。
東海自然歩道は途中で左へ曲がって江文峠へ続きますが、ここで曲がらずまっすぐ進むと宮川を渡る橋の向こうに当社の鳥居が南向きに建っています。
鳥居の手前右側(東側)に手水舎が建っています。
鳥居をくぐってすぐ右側(東側)に境内社が西向きに建っています。社名・祭神は不明。
社殿は銅板葺の一間社流造。
鳥居をくぐった様子。ゆるやかに左へ曲がった石段が続いています。
石段を上った先に基壇上に桟瓦葺・平入切妻造の拝殿が南向きに建っています。
桁行六間で右から三間目が開口しており、他は一部に窓があるのを除いて全面が壁となっています。
この拝殿を後ろ側から見た様子。柵が設けられていいますが恐らくこちらは壁を張らず開放的な造りとなっていたのでしょう。
この拝殿で概要に記した「大原雑魚寝」が行われていたのでしょうか。
拝殿後方は広い空間となっており、その奥に石垣と石段が設けられ、その上に本殿や境内社などが並んでいます。
石段上の左右に配置されている狛犬。赤みがかった花崗岩製です。
石段を上って正面奥に銅板葺・一間社流造の本殿が南向きに建っています。
この本殿の左右に境内社が並んでおり、これらの間に塀が設けられているのがやや珍しい点です。
本社本殿の左側(西側)に隣接して南向きに鎮座する境内社。社名・祭神を示すものはありませんが、手持ちの資料によれば「軻遇突智神社」のようです。
社殿は銅板葺の一間社流造。
軻遇突智神社(?)の左側(西側)に隣接して南向きに鎮座する境内社。こちらは社名・祭神は不明(「満山神社」か「天満宮社」の可能性が高い)。
社殿は銅板葺の流見世棚造。
この空間の西端、先の境内社の手前側にある岩石と境内社。これらは東向きに配置されています。
この内、右側(北側)にある岩石の上には小さな地蔵菩薩像が安置されていました。
岩石の左側(南側)に鎮座する境内社。社名・祭神は不明ですが、狐の置物があることから稲荷系の神社なのでしょう。
社殿は銅板葺の流見世棚造。
一旦戻ります。本社本殿の右側(東側)に隣接して南向きに鎮座する境内社。こちらも社名・祭神を示すものはありませんが、手持ちの資料によれば「級長津彦神社」のようです。
社殿は銅板葺の一間社流造。
石段下から左側(西側)へ進み、少し斜面を登ったところに小さな境内社が南向きに鎮座しています。社名・祭神は不明ですが狐の置物があることからこちらも稲荷系の神社でしょう。
社殿は板葺の流見世棚造。背後の岩石は磐座的なものかもしれません。
道を戻ります。参道途中の左側(西側)にちょっとした広い空間があり、そこに戦没者を供養するための「慰霊碑」と鳥獣魚貝を供養するための「供養塔」が建っています。後者はあまり他に例を見ない珍しいもの。
当社の氏子にあたる大原地域の様子。京都盆地に程近い山間の地で農村風景がよく残る一方、三千院や宝泉院、寂光院など由緒ある寺院も所在し、京都から少し足を伸ばしたところにある観光地として賑わいを見せています。
秋には田圃の畔などに彼岸花が咲き、美しい光景を見ることもできます。
由緒
案内板
江文神社
地図