社号 | 市川神社 |
読み | いちかわ |
通称 | |
旧呼称 | |
鎮座地 | 京都府京都市右京区太秦椙ケ本町 |
旧国郡 | 山城国葛野郡市川村 |
御祭神 | 速秋津日子神、速秋津比売神 |
社格 | |
例祭 |
市川神社の概要
京都府京都市右京区太秦椙ケ本町に鎮座する神社です。
当社は式内社でありませんが、『三代実録』貞観十三年(871年)四月三日条に「山城国正六位上(略)市河神(略)並従五位下」とある「市河神」は当社に比定されています。
当社の創建・由緒は詳らかでありません。
当地一帯は京都盆地を開発した渡来系氏族「秦氏」の本拠地で、当社の北方500mほどの地には秦氏の氏寺である「太秦広隆寺」および秦氏が祖を祀った「大酒神社」があります。
秦氏は暴れ川だった桂川を治水し、大部分が居住に向かない湿地帯だった京都盆地を開拓し平安京遷都の基礎を築き上げた氏族であると言えます。
当社も社名から推して川に関係があるものと推測され、川の流水の安寧を司る治水の神、或いは田畑に安定した水を供給する灌漑の神を祀ったことが考えられます。
太秦村記より引いたという案内板には「神社はつねに泥沼の中にあって洪水でいつも水の中に浮かんでいる様であった」とあります。
これがいつ頃の光景を表したものなのかはっきりしないものの、「今の神社の形は昭和になってからの姿である」とも記しており、そう古くない時期の描写なのかもしれません。(ただし案内板の文脈は御神木がなくなったことを表しているようにも読める)
こうした姿から推しても、古くから水と関係の深い神を祀ってきたのでしょう。
境内の様子
江戸時代末期に開削された運河「西高瀬川」の左岸側に当社は鎮座しています。
今でこそ周囲は宅地化されているものの、かつては集落から離れており田圃や荒れ地に囲まれていたようです。
駐車場脇の道を進んでいくと境内入口があり、鳥居が東向きに建っています。鳥居は木造の神明鳥居。
鳥居をくぐった様子。広場のような空間で、奥の一画にこんもりとした森が形成されています。
この森に当社社殿が東向きに建っています。
拝殿はなく柵に囲まれて本殿が建つのみで、銅板葺の流見世棚造に朱塗りを施したものとなっています。
本社本殿の左側(南側)に境内社が東向きに鎮座。社名・祭神は不明ですが稲荷系の神社と思われます。
銅板葺の流造状の覆屋に社殿が納められています。
由緒
出典
市川神社
地図
関係する寺社等
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社号 大酒神社 読み おおさけ 通称 太秦明神 等 旧呼称 鎮座地 京都府京都市右京区太秦蜂岡町 旧国郡 山城国葛野郡門前村 御祭神 秦始皇帝、弓月王、秦酒公 社格 式内社、旧村社 例祭 式内社 山城 ...
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