社号 | 石切劔箭神社上ノ社・元宮 |
読み | いしきりつるぎや うえのしゃ もとみや |
通称 | |
旧呼称 | 上ノ社:天王社 等 |
鎮座地 | 大阪府東大阪市上石切町 |
旧国郡 | 河内国河内郡神並村 |
御祭神 | 饒速日命 |
社格 | 式内社 |
例祭 | 10月21日 |
石切劔箭神社上ノ社・元宮の概要
大阪府東大阪市上石切町に鎮座する神社です。「石切劔箭神社本社」の奥宮的な位置付けとなっています。
詳しい由緒は石切劔箭神社の記事に記していますが、物部氏が祖神を祀ったとされています。
社伝では上ノ社の背後の「宮山」を物部氏の祖神・ニギハヤヒが降臨したという「哮ヶ峰(タケルガミネ)」としており、そこが本来の祭祀場であったと考えられます。
当地の旧村名「神並(コウナミ)」は神の宿る聖地を指す「神奈備」が訛ったものと言われ、宮山の祭祀場を神奈備としたことによると思われます。
元々は宮山の祭祀場を上ノ社としていましたが、慶安三年(1650年)に光堂山(当地)に遷宮してこちらが上ノ社とされるようになったと言われています。
一方で旧地である宮山には現在は「元宮」と称する社殿が建っています。
このように物部氏の祭祀に始まる神社と考えられていますが、上ノ社は江戸時代には「牛頭天王」を祀る神社となっていたようです。
明治以降は本社への合祀と独立を繰り返し、現在は再び分離して社殿は昭和四十七年(1972年)に再建されたものとなっています。
年中多くの人で賑わう本社とはうってかわって、上ノ社は生駒山の山腹でひっそりと鎮座しています。
境内の様子
上ノ社へ
上ノ社は石切劔箭神社の本社から商店街の坂道を上り、さらに近鉄奈良線の線路を越えたところに鎮座しています。
境内入口は西側と北西側の二ヶ所あり、北西側の入口に北西向きの鳥居が建っています。
低地にある本社に対して、当社は生駒山の尾根筋の小高いところに鎮座しています。
双方入口からの参道の合流地点に手水舎があります。
ここからさらに石段を上っていきます。
石段上の空間は石畳と玉砂利が敷かれており、奥に社殿が西向きに並んでいます。
南向きの本社と比べ、山を背後にしている当社は山岳信仰らしさが残っているように感じられます。
拝殿は銅板葺の平入入母屋造に向拝の付いたもの。
拝殿前に配置されている狛犬。花崗岩製のもの。
拝殿前には神輿台もあります。このような山上で神輿を担ぐのはなかなか大変そうです。
拝殿後方に建つ本殿は銅板葺の隅木入春日造。ガラス張りになってます。
社殿左側(北側)に「石切剣箭神社上ノ社址」と刻まれた石碑が建っていますが、これの意味するところは不明。
合祀されていた時代のものならわかりますが、それにしては真新しい印象です。かつて上ノ社とされた宮山への遥拝所でしょうか。
社殿から左奥(北東)へ進んでいくと池や境内社のある空間があります。
社殿のある尾根筋に対し、こちらは谷筋の地形となっており水場の多い空間となっています。
池の前に石祠があり、その前に多くの亀の置物が置かれています。
本社の方でも同様のものがありましたが、こちらは「御礼亀」と呼ばれています。
池の左隣(北側)に「婦道神社」が西向きに鎮座。御祭神は「弟橘姫命」。
現在は後述のように登美霊社に祀っていた「御炊屋媛(登美夜比賣)」もこちらで祀っています。
鳥居の後方の石段上に銅板葺の一間社流造の社殿が建っています。
祭神のオトタチバナは物部氏の一族である穂積氏の祖、忍山宿禰の娘であり日本武尊の妃。そしてミカシキヤヒメは物部氏の祖であるニギハヤヒの妃でありウマシマジの母です。
このように祀られているのはいずれも物部氏に関わりの深い女性(女神)となります。なお、穂積氏は代々当社の神職を務める木積氏の祖でもあります。
池の奥には滝行場があります。これは生駒山地の麓や山腹の神社ではよく見かけるもので、恐らく生駒山の修験道と結びついたものでしょう。
ただし2022年現在は入口に綱が渡されて立入できないようになっています。(上の写真は2019年のもの)
池の北側にかなり変わった建物があり、これは境内社の一つ「登美霊社」です。
「御炊屋媛(登美夜比賣)」を祀っていましたが、2022年現在建物が激しく毀損しているようで、先述の通り婦道神社の方に遷しています。
登美霊社から少し下ったところに「八代龍王社」が西向きに鎮座。
南向きの鳥居の奥に拝殿が建ち、この右側(東側)の池に銅板葺の一間社流造の社殿が建っています。つまり拝殿の側面から入って参拝することになります。
案内板には慶安三年(1650年)に宮山から当地に上ノ社が遷宮されるより前から祀られていたのではとあります。
或いは滝行場と共に生駒山の修験道と結びついていたものかもしれません。
当社の社殿前から西側を見たところ。
眺めが良いわけではありませんが、標高の高いところに鎮座することがわかります。
新しい住宅地の多い本社と違って、こちらは生駒山地の麓の地らしい古い町並みも残っています。
宮山の元宮へ
続いて宮山にある元宮へと向かいます。道がわかりにくいので途中の経路の写真も掲載します。
まず、上ノ社の北側から東の山上へと伸びる谷筋「辻子谷(ズシダニ)」を進んでいきます。
急斜面となっており、古くはここを流れる川に沿って多くの水車が設けられていたといい、薬等の製粉が行われていました。
現在もその名残で辻子谷には複数の零細な製薬会社が所在しており、歩いていると漢方薬の独特の匂いが漂ってきます。
辻子谷の道をさらに進み山中へと入っていきます。この道は興法寺経由で生駒山上へと至る経路となっています。
この道の途中、写真のような道標があり「宮山0.6km▶」と記された方向に山道が伸びています。
見落としやすいので注意しましょう。なお上の写真は麓方向を撮った写真である点に注意。道標は進行方向の左側にあることになります。
宮山への道はかなり荒れており、崖沿いの細い道であることに加え、多くの倒木や道の崩落もあり危険な道となっています。
然るべき装備を備えた上で慎重に進むべきでしょう。
さらに進むと途中で道が途切れてしまっています。
ここはかなり迷いやすい地点となっており、左側のガレ場となっている川を渡って対岸へ行くのが正解です。
そこからさらに進むと再び小さな川を渡るところがあります。
かなり中途半端な場所ですがこちらには木に「←宮山」と記された道標が取り付けられているので迷うことはないでしょう。
この先は藪となっている中を進んでいくことになります。訪問時は経路上が綺麗に刈り取られており問題はありませんでしたが、もしかしたらタイミング次第では藪漕ぎしなければならないかもしれません。
藪を進んでいくとその先に「元宮」が東向きに鎮座しています。
社殿は四阿のような構造で、恐らく宝形造、最奥部に御神体を祀る(?)小さな部屋が設けられています。
ここが「宮山」であり、「石切劔箭神社」の始まりの地とされています。
その原初が生駒山の山腹に設けられた祭場だった言え、さらに山岳信仰的な要素を帯びていたことも思わせる地となっています。
御朱印
地図
上ノ社
元宮
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