社号 | 住吉神社 |
読み | すみよし |
通称 | |
旧呼称 | |
鎮座地 | 兵庫県小野市中番町 |
旧国郡 | 播磨國加東郡中番村 |
御祭神 | 天目一箇神、表筒男神、中筒男命、底筒男命 |
社格 | 式内社、旧村社 |
例祭 | 10月9日 |
式内社
住吉神社の概要
兵庫県小野市中番町に鎮座する神社です。式内社「菅田神社」とされる神社の一つです。
当社は南に隣接する菅田町に鎮座する「菅田神社」と同じ起源を持ちます。
元は菅田町の南垣内なる小字に鎮座していたと伝えられており、この神社が式内社「菅田神社」であり、旧地は今もその地を宮山と呼ぶようです(具体的な地は不明)。
その後氏子の増加に伴って二ヶ所に分けて遷座することとなり、保安年間(1120~1124年)に一社は菅田町の「菅田神社」に、もう一社は東条川を挟んで北側の中番町(当社)に遷座されました。
当社への遷座の際、現在菅田橋の橋脚を支えている岩石の上で分霊と神宝が引き渡されたといい、この岩石は「亀石」と呼ばれ、また「神体岩」とも呼ばれています。
一方で式内社「菅田神社」について、奈良県大和郡山市八条町に鎮座する同名の「菅田神社」等と同様、「菅田氏」が当地に居住し祖神を祀ったものと考えられます。
『新撰姓氏録』には山城国神別に天久斯麻比止都命の後裔であるという「菅田首」が登載されており、この氏族が当地にも居住していたのでしょう。
アメノ(クシ)マヒトツは金属神であり、金属精錬や鍛冶などに携わった人々の信仰していた神です。この神を祖とする菅田氏もまた金属に関する産業に携わっていたと考えられます。
播磨国の式内社では他にも多可郡に「天目一神社」(西脇市大木町に鎮座)などアメノマヒトツを祀る神社があります。
播磨国では古くから各地で製鉄や鍛冶が行われていたといい、その拠点にこうしたアメノマヒトツを祀る神社が創建されたことが考えられます。式内社「菅田神社」もまた同様、菅田氏が当地で製鉄・鍛冶を行い、アメノマヒトツを祀ったものだったのでしょう。
後に加古川流域に住吉信仰が広まるに伴い住吉神を祀る神社となったようで、現在も当社では「住吉神社」を社号としています。
境内の様子
当社は東条川の右岸側、中番町の集落内に鎮座しており、針葉樹を中心とした社叢を形成しています。
境内は玉垣で囲われ、入口には石段上に鳥居が南西向きに建っています。
鳥居の奥には再び石段が設けられており、境内は二段構成になっています。
鳥居奥の石段を上って左側(西側)に手水舎が建っています。
境内の正面奥に社殿が南向きに並んでいます。
拝殿は桟瓦葺の平入入母屋造に軒唐破風の設けられたもので、正面には壁が無く開放的な構造になっています。
拝殿前に配置されている狛犬。
拝殿後方に建つ本殿は銅板葺の三間社流造に向拝の付いたもの。
本社本殿の左側(西側)に「神直日神」「大直日神」を祀る境内社が南向きに鎮座。
覆屋に銅板葺の一間社流造の社殿が納められています。
反対側、本社本殿の右側(東側)に「神功皇后」を祀る境内社が南向きに鎮座。
覆屋に銅板葺の一間社流造の社殿が納められています。
本社拝殿の右側(東側)に注連柱が建ち、玉垣の切れ間となっている箇所があります。
この奥はちょっとした沢になっているものの禊等に適しているとは言い難く、何の為の設備かは不明。
上記箇所の傍らに石が積まれ注連縄が掛けられていました。こちらも詳細不明。
地図
関係する寺社等
菅田神社 (兵庫県小野市菅田町)
社号 菅田神社 読み すがた 通称 旧呼称 住吉明神、山王権現 等 鎮座地 兵庫県小野市菅田町 旧国郡 播磨国加東郡菅田村 御祭神 天目一箇神、表筒男命、中筒男命、底筒男命、気長足姫命、大山咋神 社格 ...
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