社号 | 大津神社 |
読み | おおつ |
通称 | |
旧呼称 | 若宮八幡 等 |
鎮座地 | 大阪府泉大津市若宮町 |
旧国郡 | 和泉国和泉郡下条大津村 |
御祭神 | 品陀別命 他15柱 |
社格 | |
例祭 | 4月3日、10月スポーツの日の前日 |
大津神社の概要
大阪府泉大津市若宮町に鎮座する神社です。
当社の創建・由緒は詳らかでありません。
神功皇后が当地に上陸したとの伝承がある他、社伝によれば、阿部朝臣広庭の八世の孫、三郎忠清なる人物が源頼義に付き従って奥州征伐で活躍した功により、当地付近を賜って和泉三郎と名乗り、「鶴岡八幡宮」(神奈川県鎌倉市雪ノ下に鎮座)に倣って康平七年(1063年)に八幡宮を勧請したとも言われています。
「大津」の地名は元は「小津」と呼ばれました。泉大津市のHPによれば『土佐日記』に「小津の浦」と見え、120年後の『更級日記』には「大津の浦」と見えるとあり、11世紀前後に小津から大津へと転化し、府中国府の港町として徐々に繁栄していったようです。
当社は明治四十一年(1908年)に神社合祀政策により式内社「粟神社」(式内町に跡地あり)を合祀しています。
式内社
その他、「宇多神社(旧地・上之町)」、「神明神社(旧地・神明町)」、「事代主神社(旧地・戎町)」を合祀していますが、当地に隣接する大字として神明町の他に菅原町・春日町など明らかに神社に由来する地名があり、そこに鎮座していた神社も合祀しているかもしれません。
現在、泉大津は紡績産業の盛んな地でありこれら製品を出荷する工業港であるとともに、北九州の新門司港とを結ぶフェリーも運航する一大港湾都市となっています。
古くからそうだったかは不明ながら、今では港町としての泉大津を守護する神社としての役割も担っていることでしょう。
境内の様子
境内入口。鳥居が南西向きに建っています。
南海電鉄の泉大津駅から至近の地で周囲は宅地化されており、神社前には新たにマンションも建設されています。
鳥居の両脇に配置されている狛犬。和泉砂岩製でしょうか。
鳥居をくぐると参道の右側(南東側)に手水舎があります。
鳥居からまっすぐ石畳の参道が伸び、正面奥に社殿が南西向きに建ってます。
拝殿は本瓦葺きで、平入入母屋造に唐破風付き入母屋造の向拝が付いています。この向拝のためにまるで陣屋のような重厚さが感じられる建築となっています。
拝殿後方に建つ本殿は塀や後述の戎社とを繋ぐ廊下に遮られてよく見えませんが、銅板葺の流造に千鳥破風の付いたものでしょうか。
残念ながら完全に見えないものの、本殿に隣接して「粟神社」の旧社殿が移設されており、泉大津市指定有形文化財となっているようです。
拝殿前にある桃の石造物。基壇には方位が刻まれ、艮、巽、坤、乾の方位には御富岐玉とされる玉状の突起が付いています。
案内板にはこの桃と御富岐玉を手でさすって自分自身を撫でて祓い浄めるよう案内されています。
祭祀氏族の忌部氏に関する「粟神社」を合祀していること、当社が鬼門を背に建っていることからこれが設置されているようです。
本社社殿の右側(南東側)に「戎社」が南西向きに鎮座。
鳥居が建ち、後方に瓦葺の妻入切妻造に切妻屋根の向拝の付いた社殿が建っています。
本社と戎社は屋根付き廊下で接続しており、祭祀の際は雨に濡れず往来できる構造となっています。
また戎社の前には大きなクスノキもあるのが特徴的。
戎社の右側(西側)に稲荷系の神社二社が西向きに鎮座。
石造鳥居の後方に多数の朱鳥居が並び、奥に二棟の社殿が建っています。
正面奥の社殿は銅板葺の一間社春日造、その右側(南側)の社殿はやや小型の銅板葺の一間社流造となっており、後者は社殿前に一基の朱鳥居が建っています。
当社境内は菱型の敷地で、上述の南西側の入口とは別に南端にも入口があって鳥居が南向きに建ち、ここから真北に参道が伸びています。
裏参道といった雰囲気ですが、南北に真っすぐ伸びていることからかつての表参道だったのかもしれません。
この参道の左右に並ぶ狛犬や灯籠も古そうなものです。特定できませんでしたが当社の灯籠には寛永元年(1624年)のものがあるようです。
御朱印
地図
関係する寺社等
粟神社跡 (大阪府泉大津市式内町)
社号 粟神社 読み あわ 通称 旧呼称 大部天王社、あはど宮、粟堂 等 鎮座地 大阪府泉大津市式内町 旧国郡 和泉国和泉郡宇多大津村 御祭神 天太玉命 社格 式内社、旧村社 例祭 当地での祭祀は廃絶 ...
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