社号 | 伯太姫神社 |
読み | はくたひめ |
通称 | |
旧呼称 | 白山権現 |
鎮座地 | 大阪府柏原市円明町 |
旧国郡 | 河内国安宿部郡円明村 |
御祭神 | 伯太姫命 |
社格 | 式内社、旧村社 |
例祭 | 10月16日 |
伯太姫神社の概要
大阪府柏原市円明町に鎮座する式内社で、玉手町に鎮座する「伯太彦神社」と対になる神社です。
当社は明治四十一年(1908年)に羽曳野市誉田に鎮座する「誉田八幡宮」に合祀されましたが、昭和二十一年(1946年)に再び独立し旧地に再興しました。
当社の由緒は詳らかでありませんが、漢系の渡来系氏族である「田辺氏」が「伯太彦神社」と共に祖神を祀ったのが当社と考えられます。
当地の東方の田辺地区には「田辺廃寺」があり、当地を拠点として開発し力を付けた田辺氏が白鳳時代に氏寺として豪勢な寺院を建立したものと思われます。
田辺を文字通り「田の部」と解すれば、当地を灌漑し積極的に開墾を行うことで有力氏族に上り詰めたのでしょう。
この氏族から輩出した人物「田辺史大隅」は藤原不比等の養育者としてその名が知られています。
『新撰姓氏録』にはこの「田辺氏」について次の二系統が登載されています。
- 右京皇別「田辺史」 (豊城入彦命の四世孫、大荒田別命の後)
- 右京諸蕃「田辺史」(漢王の後、知惣をより出る)
田辺氏が二系統ある点について、元は右京諸蕃にあるような渡来系の氏族だったものの、一部が後に豊城入彦命を祖とする上毛野氏と何らかの縁で主従関係になり、皇別氏族となったとする説があります。
当社は「玉手山」(古くは天王台とも)の西側斜面に鎮座しています。
玉手山には主に古墳時代前期に築造された「玉手山古墳群」や古墳時代後期に造られた「安福寺横穴群」などがあり、かつては死者の世界と見なされていたようです。
特に安福寺横穴群は当社を奉斎したであろう田辺氏との関係が注目されます。(詳細は伯太彦神社の記事を参照)
境内の様子
境内入口。玉手山の西側斜面に鎮座しており、麓に鳥居が西向きに建っています。
当社の社地はこんもりとした森であることが遠くからでもわかります。
鳥居をくぐると鬱蒼とした森の中に石段が伸びています。
石段上の空間に社殿が西向きに建っています。
拝殿は桟瓦葺・平入入母屋造の典型的な割拝殿。
拝殿前の右側(南側)に手水舎があります。
拝殿前の両側には花崗岩製の狛犬が配置されています。
割拝殿を通り抜けると石垣の上に透塀と中門があり、その奥に本殿の建つ空間があります。
中門をくぐると銅板葺・三間社流造の本殿が建っています。神社の規模の割には大きな本殿という印象。
拝殿の左側(北側)に南向きに鎮座する境内社。社名および祭神は不明。
社殿は銅板葺の流見世棚造に階を設けたもの。
当社は明治の神社合祀政策で一旦「誉田八幡宮」に合祀されていますが、狛犬や灯籠、石垣など境内全般に古めかしさが残っています。
恐らく合祀されても境内はそのまま残されていたのではないでしょうか。
由緒
『河内名所図会』
地図
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