社号 | 一須何神社 |
読み | いちすか |
通称 | |
旧呼称 | 天神、市河明神 等 |
鎮座地 | 大阪府南河内郡河南町一須賀 |
旧国郡 | 河内国石川郡一須賀村 |
御祭神 | 大己貴命、天照大神、天児屋根命、品陀和気命 |
社格 | 式内社、旧村社 |
例祭 | 10月第3土曜日 |
式内社
一須何神社の概要
大阪府河南町一須賀に鎮座する式内社です。
創建等の由緒は不明ですが、当地は蘇我氏の一族である石川朝臣の本拠地とされ、一説に彼らが祖廟として蘇我石川宿禰を祀ったとも言われています。
当地から東部の丘陵にかけて一須賀古墳群という極めて大規模な古墳群があり、六世紀前半~七世紀中頃にかけて数多くの古墳が築かれています。どのような人々が葬られたのかは定かではありませんが、当社と関係があるのかもしれません。少なくともこの辺り一帯は死者の世界と見なされた時代があったようです。
南北朝時代には石川源氏の本拠地となり、当社の社地も城塞に利用されたと言われています。
また当社に合祀されている「降幡神社」は大伴氏の祖神を祀っており、国史現在社となっています。
境内の様子
境内入口。境内は縦に長く、そう広くはありません。
鳥居をくぐったところにある狛犬。
正面に南向きの社殿が建っています。拝殿は平入の入母屋造りに千鳥破風の向拝が付いています。
拝殿前にも一対の狛犬が配置されています。こちらの方がやや新しい印象でしょうか。
見えにくいものの、拝殿の後方に鳥居と本殿が建っています。案内板には当社本殿は檜皮葺の春日造とありましたが、見る限りでは銅板葺きで唐破風と千鳥破風の付いた流造です。
社殿右側(東側)に建つ境内社。蛭子神を祀っているようです。
社殿前の右側(東側)にも境内への出入口となる鳥居があり、手水舎はこちらに設置してあります。
境内にあった謎の石柱。賽ノ神的なものでしょうか。
当社東方の丘陵には一須賀古墳群があります。262基にも及ぶ大規模な古墳群で、六世紀前半~七世紀中頃のものとされています。露出した横穴式石室があちこちにあり、異様な雰囲気を感じる一帯となっています。
由緒
案内板「延喜式式内社 壱須何神社」
『河内名所図会』
地図
関係する寺社等
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降幡神社跡 (大阪府南河内郡河南町山城)
社号 降幡神社 読み ふりはた 通称 旧呼称 鎮座地 大阪府南河内郡河南町山城 旧国郡 河内国石川郡山城村(大ヶ塚村?) 御祭神 天之忍日命、日子番能迩迩芸命、日子穂穂手見命、鵜葺草葺不合命、神倭伊波 ...
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