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美具久留御魂神社 (大阪府富田林市宮町)

社号美具久留御魂神社
読みみぐくるみたま
通称
旧呼称下水分社、和邇社、二の宮、石川郡総社 他
鎮座地大阪府富田林市宮町
旧国郡河内国石川郡喜志村
御祭神美具久留御魂大神(大国主命)
社格式内社、旧郷社
例祭10月第3金曜日

 

美具久留御魂神社の概要

大阪府富田林市宮町に鎮座する式内社です。

社伝によれば、崇神天皇十年、この地に大蛇が出没して土地の人を悩ませたので、天皇はこれを「大国主命」の荒魂の荒ぶるためとして、よく祀るよう命じたのが創建とされています。

さらにその後、崇神天皇六十年に丹波国氷上郡(現在の兵庫県丹波市)の「氷香戸辺」なる人物の子に神憑りがあり、これに従って天皇は直ちに活目入彦命(後の垂仁天皇)を遣わせて祀らせ、「美具久留御魂神社」の号を称えたと言われています。

 

上記の社伝に関連し、『日本書紀』崇神天皇六十年七月十四日の条に「氷香戸辺」の子に託宣があったことが記され、次のような一連の描写となっています。

  • 天皇は「武日照(タケヒナテル)命が天から持ってきたという神宝が出雲大社に納められている。是非見てみたい。」と言い、武諸隅なる人物を派遣した。
  • このとき、出雲臣の祖・出雲振根(イズモフルネ)なる人物が出雲大社の神宝を管理していたが、彼は筑紫へ行っていたので会えなかった。そこで出雲振根の弟の飯入根(イイイリネ)が神宝を献上した。
  • 出雲振根が帰ってきたとき、神宝を献上したことを聞いて「数日待つべきだった。何を恐れて神宝を渡したのか。」と弟を責めた。
  • それから数年が経つも出雲振根は怒りが収まらず、弟を謀って殺した。
  • その報告を受けた天皇は吉備津彦と武淳河別を派遣して出雲振根を誅殺させた。出雲臣らはこのことを恐れて出雲大神を祀らないでいた。
  • 丹波の氷上の人、氷香戸辺が活目尊(崇神天皇の子 / 後の垂仁天皇)に自分の子供が言った言葉を神託ではないかと報告し、活目尊は天皇に奏上して出雲大社に鏡を祀らせた。

そしてここで氷香戸辺の子が言った言葉とは次のような内容だったと記しています。

『日本書紀』

玉菨鎮石 出雲人祭 真種之甘美鏡 押羽振 甘美御神 底宝御宝主 山河之水泳御魂 静挂甘美御神 底宝御宝主也

(宇治谷孟氏による現代語訳:水草の中に沈んでいる玉のような石。出雲の人の祈り祭る本物の見事な鏡。力強く活力を振るう立派な御神の鏡。水底の玉。宝の主。山河の水の洗う御魂。沈んで掛かっている立派な御神の鏡。水底の宝。宝の玉。)

『日本書紀』の記すこの記事は出雲における朝廷派・反朝廷派による勢力争いを反映したものと解され、出雲大社の祭祀に朝廷が干渉していく様子を表したものとも考えられます。

また、氷香戸辺の子の言った言葉は全く意味不明としか言いようのないものですが、「石」「鏡」「玉」の三種類の神宝が表現され、これらが”沈んでいる”とすることで出雲大社の祭祀が停止されていることを表現したものとも考えられます。

ただし、この記事は出雲大社に関わるものであって当社とは全く無関係のものです。

恐らく氷香戸辺の子の言葉にある「水泳御魂」が当社の社名「ミグクルミタマ」であるとし、当社の由緒として付会したものと考えられます。

とはいえ当地には古くから出雲系の集団が居住していたとも言われており、当社由緒の付会も相応に理由があったのかもしれません。

 

一方、川の上流側の千早赤阪村水分に鎮座する「建水分神社」が上水分社と呼ばれるのに対し、当社は「下水分社」と呼ばれました。

また当社は「和邇社」とも呼ばれ、この社名は当社東方にあったという「和邇池」に関するものといい、ワニ(古くはサメを指した。或いは龍蛇の類とも)が水棲生物であることからも水と関係の深い神社であることは明らかです。

さらに社名の「美具久留(ミグクル)」とは「水潜る」の意で、神の御魂が水を潜って来られたことを指すとも考えられます。

「建水分神社」と共に、或いは下流側の羽曳野市大黒に鎮座する「大祁於賀美神社」も含めて、瀬戸内海式気候で降水の乏しい南河内における河川の水を司っていたのかもしれません。

 

他方、三輪山を神体山として蛇神を祀る「大神神社」(奈良県桜井市三輪)と比べてみるとまた別の一面が見えてきます。

当社では背後に聳える山を「眞名井ヶ原」と称して神体山としています。また先述の通り社伝では大蛇が出没したのはオオクニヌシの荒魂のためだと伝えられており、オオクニヌシが龍蛇の類と関係があることを示しています。

当社の祭神がオオクニヌシの荒魂だとされているのに対し、「大神神社」の祭神はオオクニヌシの和魂とされており、両社は二上山を挟んで互いに向き合っているような位置関係となっています。

こうして見てみると両社はまさに対照的であり、推測でしかありませんが両社の祭祀氏族は蛇神を信仰する同じ出雲系の集団から分かれたものではなかったかとも疑われます。

いずれにせよ当社は龍蛇の類である水神的な神として祀られてきたようです。

 

当社は平安時代以来11坊にも及ぶ壮大な神宮寺も築かれたものの、戦国時代の兵火により長らく荒廃、それ以後神宮寺は再建されませんでした。

その後江戸時代には神社が再興して立派な社殿が造営されたと言われています。

現在は氏子のみならず南河内でも有力な神社として広く崇敬を集めています。

 

境内の様子

美具久留御魂神社

集落内の道路を割り込むように東西方向に長い参道が伸びており、その入り口には注連柱が建っています。

注連柱から参道を進んでいくと東向きに白い一の鳥居が建っています。

また、当社の境内背後に聳える山は「眞名井ヶ原」と呼ばれる神体山で聖域となっています。

 

鳥居をくぐって参道を進むと右側(北側)に手水舎があります。

元禄六年(1693年)に奉納された手水鉢にはかつての呼称の一つ「水分宮」と刻まれています。

 

美具久留御魂神社

参道の正面に建っているこの桟瓦葺・平入入母屋造の建物は機能的には神門とも割拝殿とも呼べるもので、案内図では「下拝殿」とありました。

鈴の緒と賽銭箱が設けられてあり、斜面上の本殿前まで行かずとも参拝できるようになっています。

 

下拝殿を通り抜けると山腹へと長く続く石段があり、途中には二の鳥居が東向きに建っています。

お年寄りなど足腰の弱い者には厳しいものと思われ、石段下に拝殿機能を持つ建物が配置されているのも納得です。

 

石段下に配置されている狛犬。砂岩製で、目に厳めしさを感じます。

 

二の鳥居をくぐりつつ、鬱蒼とした森に伸びる石段をひたすら上っていきます。

 

美具久留御魂神社

石段を上り切ってすぐ正面に社殿が東向きに並んでいます。

本殿前の拝殿は案内図では「上拝殿」となっています。銅板葺の平入切妻造で唐破風の付いたもの。壁や床がなく、開放感のある建築。

江戸時代中期の地誌『河内名所図会』の挿絵ではこの区画には何も無く、比較的近年に設けられたものでしょう。

 

美具久留御魂神社

上拝殿の後方に中門(拝所)と瑞垣が設けられ、その奥に本殿および境内社が並んでいます。

本殿は千鳥破風と唐破風の付いた銅板葺の三間社流造。真新しい建築です。

 

本社本殿の左隣(南側)に「南木神社」、さらにその左隣(南側)に「熊野神社・貴平神社」がそれぞれ東向きに鎮座。

社殿はいずれも銅板葺の小さな流見世棚造。

 

翻って本社本殿の右隣(北側)には「皇大神社」、その右隣(北側)には「天満宮」がそれぞれ東向きに鎮座。

社殿はいずれも銅板葺の一間社流造。こちらは大きめの建築です。

 

さらに天満宮の右隣(北側)に式内社の「利雁神社」が東向きに鎮座しています。御祭神は「保食神」「品陀別命」「天児屋根命」。

社殿は銅板葺の三間社流造で軒唐破風の付いたもの。

元は羽曳野市尺度に鎮座していたのを明治四十年(1907年)に当社境内に遷座されました。

なお、旧地には現在も「利雁神社」が鎮座しており、恐らく遷座後に復興されたものと思われます。

 

本社社殿の右側(北側)、森となっている斜面上に「白雲宮」が東向きに鎮座。

社殿は銅板葺の流見世棚造。

 

さらに境内の北側奥深くに「支子(キシ)稲荷神社」が鎮座しています。

神社へ至る石段途中に複数の朱鳥居が建ち、奥の大きな覆屋内に銅板葺・春日見世棚造の小さな社殿が建っています。

 

背後の神体山「眞名井ヶ原」へは登れるようになっています。

鬱蒼とした森となっており、頂上には古墳時代前期に築造された古墳群「美具久留御魂神社裏山古墳群」があります。

前方後円墳である1号墳の後円部には「奥神籬」と刻まれた石碑が建っており、注連で囲われた古墳上が聖域となっているようです。

案内板

美具久留御魂神社裏山古墳群 第1号墳

 

参道を戻り、下拝殿の北側には南北朝時代の歌人「嘉喜門院」の廟所とされる祠があります。後村上天皇の女御であり、長慶天皇の母でもあると考えられています。

 

また、下拝殿の南側にも境内社が東向きに鎮座。社名・祭神は不明。

銅板葺の流見世棚造で柵で囲われています。

 

上を見れば鬱蒼とした木々、下を見れば色鮮やかな苔。境内は辺り一面が緑に包まれた爽やかな空間となっています。

境内の斜面は古めかしい石垣が積まれ、風情を醸し出しています。

 

鳥居越しに見る二上山。この向こうではオオクニヌシの和魂とされる大物主命を祀る「大神神社」がこちらを向いています。

大和と河内の境を挟んでオオクニヌシの和魂と荒魂が向き合っていることになり、壮大な信仰空間が広がっているようにも思えます。

 

筆者の訪問時は風薫る初夏。神の世界というべき下拝殿の向こうは一面緑の世界でしたが、人間の世界との境界にあたる参道では色鮮やかな花があちこちに咲き乱れていました。

 

タマヨリ姫
なんかかわいい社名の神社だね!ミグクルってどういう意味だろう?
一説に「水潜る」の意味とも言われているわね。水と関係する神社みたいよ。
トヨタマ姫

 

御朱印

 

由緒

案内板

美具久留御魂神社

案内板

美具久留御魂神社略記

由緒書

美具久留御魂神社略記

『河内名所図会』

 

地図

大阪府富田林市宮町

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