社号 | 屯倉神社 |
読み | みやけ |
通称 | |
旧呼称 | 三宅天満宮 等 |
鎮座地 | 大阪府松原市三宅中 |
旧国郡 | 河内国丹北郡三宅村 |
御祭神 | 菅原道真公、須佐之男命、品陀別命 |
社格 | 旧村社 |
例祭 | 10月1日 |
屯倉神社の概要
大阪府松原市三宅中に鎮座する神社です。
社伝によれば古くから「穂日の社」として祀られ、天慶五年(942年)に「菅原道真公」を祀ったと伝えられています。
伝承によれば菅原道真公は九州の太宰府へ左遷される際に当社に立ち寄り無実を訴えたといい、また当社の神像は等身大の像で、菅原道真公が五十八歳のときに太宰府で自身を木像に刻み、縁深い当社に送られたとも伝えられています。
菅原道真公が立ち寄った、神像を送った等の伝承は史実ではないと思われますが、古くから道真公ゆかりの天満宮として画像等の多数の文化財が伝えられています。
また、道真公に因んで境内には多くの梅が植えられており、梅の花の咲く頃には境内が美しい花で満たされ、梅祭りが開催されるなど周辺住民に親しまれています。
酒屋神社
「屯倉神社」境内には式内社「酒屋神社」が鎮座しています。御祭神は「津速魂命」。
「屯倉神社」の北西300mほどの地に鎮座していましたが、神社合祀政策により明治四十年(1907年)に「屯倉神社」に遷座されました。
当社の創建・由緒は詳らかでありませんが、『新撰姓氏録』河内国神別に津速魂命の十九世孫、真人連公の後裔であるという「中臣酒屋連」が記載されており、この氏族が祖神を祀ったと考えられます。
社伝によれば、旧社地の西に「酒蓋池」と呼ばれる池があり、その池の北東にあった「酒屋井」と呼ばれた井戸に神が出現されたと伝えられ、「酒屋権現」とも称したようです。
当地の地名である「三宅」は『倭名類聚抄』河内国丹比郡の「三宅郷」の遺称であり、古い地名です。
三宅・屯倉とは古い時代における朝廷の直轄地のことで、当地付近の摂津と河内に跨る広い範囲に「依網屯倉」が設置されていたものと考えられています。
また、当社の北西、大阪市東住吉区住道矢田に式内社の「中臣須牟地神社」が鎮座しており、同じ中臣系の神社として関係性が考えられるかもしれません。
『延喜式』玄蕃寮に、入朝した新羅の客のために中臣一人を派遣して住道社で酒を醸し難波館で振る舞う旨の記載があります。ここに言う酒造りを任された中臣氏の人物とは、まさに当社を奉斎した「中臣酒屋連」だった可能性が考えられます。
「中臣酒屋連」は平時は三宅の地で得た米で酒を造りつつ、新羅の賓客の来朝する予定がある時に「中臣須牟地神社」へ赴き諸国の神社から集めた米で酒を造ったのではなかったでしょうか。
或いは「中臣須牟地神社」と一体となって酒造りに臨んだのかもしれません。
古いことなので想像でしかありませんが、古代の三宅、そして磯歯津路と朝廷にとって重要な地に居住した中臣氏は国家事業に関わる重要な役目を担っていたとしてもおかしくないでしょう。
境内の様子
境内入口。境内の南西隅に石鳥居が南向きに、北西隅に朱の両部鳥居が西向きにそれぞれ建っています。
それぞれの入口から伸びる石畳の参道は境内の中ほどで合流し、東方にある社殿へと続きます。
参拝時は梅の見頃で、ちょうど梅まつりが開催されており多くの人々が訪れていました。
参道途中の左側(北側)に手水舎が建っています。
また、参道途中の右側(南側)には当社が菅原道真公を祀る天満宮であることに因み牛の石像が設置されてありました。
参道の正面奥に社殿が西向きに並んでいます。
拝殿は神社ではやや珍しい銅瓦で葺いたもので、平入入母屋造に千鳥破風と軒唐破風が付いたもの。
春先には拝殿前の梅が咲き誇り、大変美しい光景を見せてくれます。
拝殿前に配置されている狛犬。花崗岩製で古めかしく、ややイカツイ顔立ちです。
拝殿後方、塀に囲まれて建つ本殿は流造で、向拝が異様に伸びています。恐らく幣殿と一体化してるのでしょう。
本社拝殿前に「神形石」と呼ばれる謎の岩石があり、玉垣で囲まれています。由緒等には特にこれに関する伝承は見えませんが一体何なのでしょう。
本社社殿の左側(北側)に境内社が西向きに並んでおり、この中で北から二番目、鳥居の正面奥に式内社の「酒屋神社」が鎮座しています。
元は北西300mほどの地に鎮座していました。詳細は概要をご参照ください。
社殿は銅板葺の一間社流造。
酒屋神社の左側(北側)、最も北側に鎮座するのは「市杵島姫社」。
社殿は銅板葺の一間社流造。
反対側、酒屋神社の右側(南側)には「琴平神社」が鎮座。
社殿は銅板葺の一間社流造。
琴平神社の右側(南側)には四社の境内社が一つの長い覆屋に一社ずつ納められています。
祀られているのは左から順に「天照大神社」「素盞嗚神社」「大物主神社」「日吉神社」。
社殿はいずれも檜皮葺の流見世棚造。
境内社群の最も南側、本社社殿のすぐ左側(北側)に「天津神社」が鎮座。
独立した覆屋に檜皮葺の春日見世棚造の社殿が納められています。
春先の当社は多くの梅の花で境内が彩られ、非常に美しい光景となります。境内は梅の香で満たされ、存分に春を感じながら参拝することができます。
当社は梅ばかりでなく大きなクスノキもあります。この地が古くからの神域だったことが偲ばれるものです。
由緒
石碑
屯倉神社
貼紙
酒屋神社由緒略記
『河内名所図会』
地図
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