社号 | 三島鴨神社 |
読み | みしまかも |
通称 | |
旧呼称 | 幾島大明神 等 |
鎮座地 | 大阪府高槻市三島江2丁目 |
旧国郡 | 摂津国島上郡三島江村 |
御祭神 | 大山祇命、事代主命 |
社格 | 式内社、旧郷社 |
例祭 | 10月第4または第5日曜日 |
式内社
三島鴨神社の概要
大阪府高槻市三島江2丁目に鎮座する神社です。赤大路地区に鎮座する「鴨神社」と共に式内社「三嶋鴨神社」の論社となっています。
式内社「三嶋鴨神社」に関連して、『伊予国風土記』逸文に次のような記述があります。
『伊予国風土記』逸文(大意)
乎知郡(越智郡)の御嶋に鎮座する神の名は「大山積神」で、「和多志の大神」とも言う。この神は仁徳天皇の御代に顕れ、百済の国より渡ってきて摂津国の「御嶋」に鎮座した。御嶋というのは摂津国の御嶋の名である。
伊予国越智郡(現在の愛媛県今治市付近)の御嶋(大三島)に鎮座する伊予国一宮「大山祇神社」について述べたもので、この神は百済から摂津国の「御嶋」に渡ってきて鎮座したことが記されています。そして伊予の御嶋はこれに因むとし、摂津国から遷ってきたことが示唆されています。
そして百済から渡ってきて摂津国の「御嶋」に鎮座した「大山積神」とは式内社「三嶋鴨神社」のことであると考えられています。
式内社「三嶋鴨神社」の論社は先述の通り当社と赤大路地区の「鴨神社」の二社があります。『延喜式』神名帳には島下郡とありますが二社とも旧・島上郡に鎮座しています。
とはいえ赤大路地区の「鴨神社」は旧・島下郡との境界スレスレに鎮座しており、かつて島下郡だったとしてもおかしくありません。また、鎮座地の小字を「鴨林」と呼ぶことも赤大路地区の「鴨神社」が論社である説を強化しています。
一方で当社はかつて淀川の中州にあったと伝えられ、その中州を神の力によって作られた「御島」と讃え、これが「三島」となったとしています。当社はかつて「幾島大明神」と呼ばれたことからも、淀川に形成された幾つもの島々を神聖視し祀ったことを思わせます。また、『伊予国風土記』逸文に「和多志の大神」とあるのも、淀川の「渡し」の神だった可能性が考えられ、これらが当社が式内社である説を補強しています。
このように両社共に式内社であることに説得力があり、いずれとも決め難いのが現状です。
さて、社伝によれば仁徳天皇の御代に茨田堤を築いた際に先述の通り淀川の中州に祀られたのを創建とし、その後慶長三年(1598年)に豊臣秀吉が淀川を改修した際にその地が河川敷となるため現在地に遷座したと伝えられています。
当社の御祭神は「大山祇命」「事代主命」で、大山祇命を祀るのは『伊予国風土記』逸文に記される通りです。一方で「事代主命」は葛城系の賀茂氏の神であり、いつの頃か三島の地に葛城系賀茂氏が居住したことが考えられます。近隣には茨木市五十鈴町に式内社の「溝咋神社」が鎮座しており、御祭神の「三島溝橛耳神」は事代主命の義父にあたるため深い関係があったことが考えられます。
また、静岡県三島市大宮町に鎮座する伊豆国一宮「三嶋大社」も同じく大山祇命と事代主命を祀っています。当社と伊予の大山祇神社、伊豆の三嶋大社は「三・三島社」と呼ばれ、同じ信仰に基づくとも言われています。(ただし伊豆の三嶋大社は伊豆諸島の島々を「御島」と呼んだもので、異なる信仰であるとする説も有力)
ただ、『延喜式』神名帳には「三嶋鴨神社」について二座とは記されていないので、どちらか一柱しか祀られていなかったことと思われます。「三嶋=御嶋」を重視するなら淀川の中州に鎮座していた当社、「鴨」を重視するなら鴨林の小字のある赤大路の鴨神社が有力となりましょう。
このように式内社「三嶋鴨神社」は「三嶋」要素と「鴨」要素が複雑に絡み合い比定の難しい神社となっています。
当社の鎮座する「三島江」は『万葉集』にも詠まれた古い名所で、淀川の水運の拠点となる河川港でもありました。当社が「和多志の大神」であったかはさておき、舟運において少なからず影響をもたらしたことは想像に難くありません。
境内の様子
境内入口。南向きの鳥居が建っています。境内は工場等の建ち並ぶ地にあり、1960年代頃までは田圃に囲まれた地でした。
境内は樹木に乏しく、かなり開放的なものとなっています。
鳥居をくぐって参道を進むと右側(東側)に手水舎があります。
正面に社殿が南向きに並んでいます。拝殿は銅板葺・平入入母屋造に向拝の付いたもの。拝殿前に提灯を吊るための大きな提灯台があります。
当社は1945年に戦災に遭い拝殿が焼失しています。焼失前の拝殿は正面三間・奥行三間の妻入入母屋造の舞殿風拝殿だったようです。
拝殿前の狛犬。花崗岩製のやや古めかしいもの。
畿内の狛犬は砂岩製は古く、花崗岩製は新しい傾向があるため、当社の狛犬はやや珍しいものです。
拝殿の後方に長い切妻屋根が設けられており、やや離れた本殿前まで続いています。
本殿前の中門に鈴の緒と賽銭箱が設置されており、拝殿前でなく本殿前で参拝するのが例となっているようです。拝殿が舞殿風拝殿だった名残でしょう。
本殿は塀に囲まれて建っており、銅板葺の一間社流造に軒唐破風の付いたもので側面に覆いが設けられています。
社殿の左側(西側)に「國廣大明神」が南向きに鎮座。御祭神は「宇賀御魂神」「菅原道真公」。
明治四十一年(1908年)に柱本にあった稲荷社と天神社を合祀して当社境内に遷したものです。
國廣大明神の後方(北側)に一つの覆屋に三社の境内社が東向きに鎮座しています。順番は不明ですが、
- 「大将軍社」(御祭神「武甕槌神」)
- 「厳島神社」(御祭神「市杵島媛神」)
- 「竃神社」(御祭神「奥津彦神」「奥津比売神」)
が祀られています。古くから当社の境内社だったようです。
三社の後ろ(北側)に「八幡宮」が南向きに鎮座。御祭神は「誉田別天皇」。
西面地区に鎮座していた八幡宮を明治四十一年(1908年)に当社境内に遷座したものです。
八幡宮前に配置されている砂岩製の狛犬。コミカルな顔つきです。
本社本殿の右側(東側)には「唐崎神社」が南向きに鎮座。御祭神は「大山祇神」「天児屋根神」「菅原道真公」。
唐崎地区に鎮座していた唐崎神社を明治四十一年(1908年)に当社境内に遷座したものです。古い牛の石像が配されており、天満宮として信仰されているようです。
唐崎神社前の狛犬。顔つきは全然違うものの、こちらも本社拝殿前のものと同様、花崗岩製の古めかしいものです。
境内にある倉庫と神庫。倉庫はかなりガタが来てそうな印象です。
由緒
案内板
三島鴨神社
案内板
三島鴨神社
地図
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