社号 | 早尾神社 |
読み | はやお |
通称 | |
旧呼称 | |
鎮座地 | 京都府京都市西京区大原野石作町 |
旧国郡 | 山城国乙訓郡灰谷村 |
御祭神 | 国常立命、猿田彦命、応神天皇 |
社格 | 式内論社? |
例祭 |
式内社
早尾神社の概要
京都府京都市西京区大原野石作町に鎮座する神社です。
当社の創建・由緒は詳らかでありませんが、式内社「石作神社」は元々当地に鎮座していたのがいつの頃か「大歳神社」へ合祀されたという説があります。
そうであるとしても、石作神社と当社との関係は不明です。大歳神社へ合祀された後に個別に創建されたのか、それとも石作神社の後継として再建されたのか、様々なパターンが考えられそうですがはっきりしません。
また式内社「石作神社」の旧地だとされる地は当社の他に「八幡宮」もあり、この辺りもはっきりしません。
詳しい説明は大歳神社の記事に譲りますが、石作氏は火明命を祖とし、石棺の製作を職能とした氏族です。恐らくこの付近を拠点として石材加工をしていたのでしょう。
ただし当地付近は地質的に加工に適した石材の採取できる地とは考えにくい点がやや不審です。石材の集積に利のある土地とも思えず、当地に石材加工の専門家が拠点を置いたのは不思議です。石作氏がこの地に居住し祖神を祀った頃には既に名ばかりで石材加工はやめていたのかもしれません。
境内の様子
当社は京都盆地からやや離れた北摂山地東側の中腹に位置しています。境内への道はこのような森の中。
森の中の道を進んでいくと西向きの鳥居が建っており、ここが境内入口となります。
鳥居の前の灯籠には「早尾大明神御寶前」「元文二丁巳年正月吉日」と刻まれています。元文二年は1737年で、江戸時代中期には当社が鎮座していたことがわかります。
鳥居をくぐると右側(南側)に「稲荷大神」が鎮座しています。
参道の左側(南側)には薪置場になっている小屋が、右側(北側)には土蔵の神庫(?)あります。
薪置場の小屋の傍らに手水鉢が配置されています。
参道の先に西向きの社殿が建っています。拝殿はなく、基壇の上に一間社流造の本殿が建っています。
本殿前の狛犬。基壇の刻銘から、野瀬喜右衛門という人が安政六年(1859年)に奉納したもののようです。
一旦参道を戻って、鳥居の左側から山の上へ上れる道が分かれて伸びています。
その道を上っていくとこのようなものがあります。
左側には役行者の石像があります。
案内板には役行者は当地と関係が深かったとあります。修験道が盛んだったのでしょうか。麓にあったものを平成二年にここに遷座したようです。
案内板
役行者(修験道の開祖)
右側には「桓武天皇」と刻まれた石碑が建っています。桓武天皇の「御霊代」のようです。長岡京に近いことに加え、当社の案内板には桓武天皇はしばしば当地に足を運んだとあり、その縁で建立されたものでしょうか。
また、敷き詰められている白石は祈願の際に持ち帰り、願いが叶えば元に戻すよう隣の石碑に刻まれています。
ここからは京都盆地を一望することができます。東に開けた北摂山地の中腹に立地していることが実感できます。
境内で咲いていた紫陽花。
当社から少し下ったところには棚田や茅葺屋根の民家などが見られます。開発された京都盆地とはうってかわって昔ながらの光景が当地には残っています。


由緒
案内板
早尾神社
地図
関係する寺社等
-
大歳神社 (京都府京都市西京区大原野灰方町)
社号 大歳神社 読み おおとし 通称 栢の社 等 旧呼称 鎮座地 京都市西京区大原野灰方町 旧国郡 山城国乙訓郡灰方村 御祭神 大歳大神 、石作神、豊玉姫命 社格 式内社、旧郷社 例祭 10月21日 ...
続きを見る
-
八幡宮 (京都府京都市西京区大原野石作町)
社号 八幡宮 読み 通称 旧呼称 鎮座地 京都府京都市西京区大原野石作町 旧国郡 山城国乙訓郡長峯村 御祭神 応神天皇、天照大神 社格 式内論社? 例祭 9月15日 式内社 山城國乙訓郡 石作神社 & ...
続きを見る