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宇治上神社 (京都府宇治市宇治山田)

社号 宇治上神社
読み うじがみ
通称
旧呼称 宇治離宮明神、離宮八幡宮、離宮上社 等
鎮座地 京都府宇治市宇治山田
旧国郡 山城国宇治郡宇治郷
御祭神 菟道稚郎子命、応神天皇、仁徳天皇
社格 式内社、旧村社
例祭 5月1日

 

宇治上神社の概要

京都府宇治市宇治山田に鎮座する式内社です。

当社の創建・由緒は詳らかでありませんが、古くから「菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)命」を祀るとされています。後には平等院の鎮守社ともされました。

近隣に鎮座する「宇治神社」と対になる神社であり、共に式内社「宇治神社」の論社となっています。『延喜式』神名帳には宇治神社は二座とあるため、当社と宇治神社の両方を併せて式内社でそれぞれ一座ずつ祀られていたとする説もあります。

ただいずれにしても、二座の内一座が菟道稚郎子命であると考えられる一方、もう一座が如何なる神であったかは諸説あります。もう一座は菟道稚郎子命の父である応神天皇、異母兄の仁徳天皇、母の宮主宅媛などの説があります。

当社では菟道稚郎子命と共に「応神天皇」と「仁徳天皇」を併せて祀っています。当社が八幡宮とも称されたのはこの二柱によるものでしょう。

当社の御祭神「菟道稚郎子命」は応神天皇の皇子にあたる人物です。応神天皇が崩御した際、皇太子だった菟道稚郎子は即位せず、異母兄だった大鷦鷯尊(後の仁徳天皇)と皇位を譲り合い、三年間も空位が続いたことを憂え菟道稚郎子命が自害に及び、大鷦鷯尊を皇位に就かせた、という話が美談として非常に有名です。

菟道稚郎子はその名に「ウヂ」が付くことからもわかるように、宇治と関連の深い人物です。『日本書紀』にはとある海人が菟道稚郎子へ魚を献上する為に「菟道宮」へ持って行ったとあり、大鷦鷯尊と皇位を譲り合っていた間に宇治に住んでいたことが窺えます。

また、菟道稚郎子の薨去の後、大鷦鷯尊が「菟道宮」へ至り、菟道稚郎子へ蘇生の術を施してしばしやり取りを行い、再び薨じたところで「菟道山上」で葬った、ともあります。

このように菟道稚郎子は最期の時まで宇治で過ごし、死後は宇治で葬られました。

一方で『山城国』風土記逸文は、宇治を菟道稚郎子に因むとし、宇治に「桐原日桁宮」を造営したとあります。桐原日桁宮とは『日本書紀』に見える「菟道宮」のことと思われ、菟道稚郎子が宇治で居住するにあたり本格的な宮殿を営んだことが窺えます。

当社や宇治神社が「宇治離宮明神」などと称したのは、両社の社地がこの菟道稚郎子の離宮である「桐原日桁宮」だったことに因むとも言われています。

ただ、『山城国』風土記逸文に宇治の地名が菟道稚郎子に因むとあるのは疑問で、『日本書紀』に菟道稚郎子の登場前から「菟道」の地名が見えるため、先に「ウチ/ウヂ」の地名があり、菟道稚郎子がこの地名に因んで名付けられたと考えるのが妥当です。

菟道稚郎子の母である宮主宅媛(宮主矢河枝比売)は和珥氏の出身で、『古事記』には宇治の近隣である木幡村(現在の宇治市木幡)に住んでいたことが記されており、菟道稚郎子の出生からして宇治と縁の深いことが示されています。

 

当社はこのように菟道稚郎子の離宮のあった地とされ、また宇治と関連が深く、皇室の行末のために自らを犠牲にしたとされる菟道稚郎子を祀っています。

式内社において特定の人物を祀るのは珍しく、他に豊前国宇佐郡の式内社「大帯姫廟神社」(現在の宇佐神宮)のように廟として創建された数少ない式内社の一つと言えるかもしれません。

一方でそれとは別に物部系氏族の「宇治部氏」や「宇治氏」といった氏族が当地に居住し祖神を祀ったことも考えられ、当社の伝承が乏しいこともあり確定的に判断することはできません。

 

当社の本殿は平安時代後期に造営された建築で、現存最古の神社建築として非常に有名です。極めて貴重な建築であり国宝に指定されています。

また拝殿も鎌倉時代前期と極めて古い建築であり、神社建築というよりも住宅建築に近い構造です。こちらも極めて貴重な建築として国宝に指定されています。

このように当社は極めて古く貴重な建築を今に伝えており、世界的にも価値が認められて世界遺産「古都京都の文化財」の構成遺産にもなっています。

宇治は今や世界的観光地となっており、世界遺産に登録されている当社も主要な観光地として親しまれています。宇治神社と共に、宇治の産土神という枠を越えて非常に多くの人の訪れる神社となっています。

 

境内の様子

境内の南西50mほどの地、「さわらびの道」と名付けられた道の途中に朱鳥居が南西向きに建っており、その背後は鬱蒼とした森のトンネルになっています。

 

鳥居をくぐり森を抜けると境内入口です。

 

境内入口には池があり石橋が架かっています。

石橋の先には桟瓦葺・平入切妻造の簡素な棟門形式の神門が建っています。

 

宇治上神社拝殿

神門をくぐると正面に南西向きの社殿が並んでいます。

拝殿は檜皮葺・平入切妻造で、正面に向拝が、両側面に縋破風が付いたもの。

桁行六間、奥行三間の大規模な建築。正面左右両側の一間は縋破風によって延長された部分にまで達しており、壁の設けられた部屋となっています。

正面には蔀戸が設けられ、周囲には縁が廻らされており、神社建築というよりは住宅建築に近く、寝殿造の遺構であるとも言われています。

鎌倉時代前期に造営された貴重な建築で、国宝に指定されています。

 

拝殿前には左右に盛砂が設けられています。

 

宇治上神社本殿

拝殿の後方、石段の上の小高い空間に本殿が建っています。

外見は檜皮葺の五間社流造ですが、これは覆屋であり、この中に三棟の一間社流造の本殿(当社では「内殿」と呼ばれる)が納められています。

向かって左側(北西側)に「仁徳天皇」を、中央に「応神天皇」を、向かって右側(南東側)に「菟道稚郎子命」を祀っています。

内部の本殿(内殿)と外側の覆屋は一体化した構造になっており珍しい構造です。

本殿は平安時代後期の建築で、神社建築としては日本最古であり極めて貴重なもので国宝に指定されています。年輪測定法から1060年頃の建立であると考えられています。

また建築とは別に、本殿の扉に描かれた絵画(童子像2枚、随身像2枚)も平安時代の貴重なものとして国指定重要文化財となっています。

 

本社本殿の左側(北西側)に「厳島社」が南西向きに鎮座。御祭神は「市杵島姫命」。檜皮葺の春日見世棚造。

 

厳島社の左側(北西側)から石段を上ってやや小高くなったところに「武本稲荷社」が南東向きに鎮座。御祭神は「倉稲魂命」。

平入切妻造の拝殿を備えており、妻入入母屋造の覆屋の中に流見世棚造の社殿が納められています。

 

武本稲荷社の右側(北側)の石段上に「武本大神」と刻まれた「お塚」があります。

神名から武本稲荷社と同じ神が祀られているとも考えられますが、そうならばお塚と社殿が別々に祀られていることになり、奇妙な配置です。

 

本社本殿のすぐ右側(南東側)にこのような岩石があり、注連縄が掛けられ数多くの小石が載せられています。

古い磐座の跡であるとも考えられており、当社の祭祀の始まりが菟道稚郎子を祀る「廟」ではなく、自然神を祀るものであった可能性が考えられるかもしれません。

 

岩石の右側(南東側)に「春日神社」が南西向きに鎮座。御祭神は「武甕槌命」「天児屋根命」。

他の境内社よりも格段に大規模な檜皮葺の一間社流造。鎌倉時代後期に建立された優美な建築で、国指定重要文化財となっています。

 

春日神社の右側(南東側)に「住吉社」が南西向きに鎮座。御祭神は「上筒男命」「底筒男命」。

檜皮葺で、神明造のような反りの無い屋根の社殿です。

 

住吉社の右側(南東側)に「香椎社」が南西向きに鎮座。御祭神は「神功皇后」「武内宿禰」。

檜皮葺の流見世棚造の社殿です。

 

本社拝殿の右側(南東側)に桟瓦葺・平入入母屋造の建物があり、この内部は泉となっています。この湧水は「桐原水」と呼ばれ、かつて宇治にあった「宇治七名水」で唯一現存するものです。

桐原とは菟道稚郎子の離宮「桐原日桁宮」に因むものと思われます。

 

タマヨリ姫
現存最古の神社建築だって!1000年近くも前のものみたい!すごいね!
平安時代の建築ってあまり残ってないから当社の建築は本当に貴重なものね。
トヨタマ姫

 

御朱印

 

由緒

案内板「宇治上神社」

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宇治上神社

宇治上神社は、明治維新までは隣接する宇治神社と二社一体で、それぞれ、離宮上社、離宮下社と呼ばれていました。祭神は宇治神社の祭神でもある悲運の皇子菟道稚郎子のほか、父の応神天皇と兄の仁徳天皇を祀っています。本殿は平安時代後期の、神社建築としては最古のものに属する建造物で、一間社流造の内殿三棟を左右一列に並べ、後世これらに共通の覆屋をかけたものです。また、その身舎の扉には、建立当時の絵画が遺されています。なお、境内に湧き出ている桐原水は、宇治七名水の一つとされています。

案内板「世界遺産「古都京都の文化財」」

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世界遺産「古都京都の文化財」

宇治上神社は、ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)で採択された世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約に基づき、「古都京都の文化財」のひとつとして世界遺産リストに登録されました。このことは、人類全体の利益のために保護する価値のある文化遺産として、とくに優れて普遍的価値をもっていることを国際的に認められたことになります。

宇治上神社の創建は古くさかのぼりますが、平安時代に平等院が建立されるとその鎮守社となり、その後、近在住民の崇敬を集めて、社殿が維持されてきました。

本殿は、正面一間の流造の内殿3棟を並立させ、それを流造の覆屋で覆った特殊な形式となっています。建立年代については、蟇股の意匠及び組物などの細部の特徴から平安時代後期に造営されたものとみられ、現存する神社本殿として最古の建築です。

また拝殿は鎌倉時代の初めに建てられたもので、現存する最古の拝殿です。意匠的には切妻造の母屋の左右に庇をつけた形であり、屋根はその部分が縋破風となっていることなど住宅風となっている点に特色がみられます。

神のための本殿に対し、人の使う拝殿には住宅建築の様式が採用されることが多く、ここでは、拝殿が初めて建てられた頃の住宅建築の様式である寝殿造の軽快な手法が、鎌倉時代の再建にも受け継がれたと考えられます。

本殿の後方は広大な森林が広がっており、こうした環境は緩衝地帯の一部となっています。

登録年月日 平成6年(1994)12月15日決定、17日登録
宇治市

『都名所図会』

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離宮八幡宮は橋寺の南にあり。祭る神三座にして上の社は応神天皇仁徳天皇。下の社は菟道の尊を崇奉る。是平等院の鎮守なり。宇治郷の産沙神とす。神輿三基。例祭は五月八日。

杈社は当社の北にあり。離宮の摂社なり。離宮と号することはこの地に宇治宮ありしゆへ自然の称号なり。又一説には当社の神は民部卿平忠文が霊を祭るともいへり。則この地忠文が別荘にて朱雀院の御宇承平三年三月平将門征伐のとき秀郷 貞盛 忠文等将軍としてことゆへなく将門を追討せしにより勅賞のさたありけるに小野宮左大臣清慎公うたがはしきを行はずと申されければ九條右大臣実朝公宣ふやうは刑のうたかはしきをば行はず賞のうたかはしきをば行へとこそ承り候へと申されけれども遂に忠文には其沙汰なかりけり。忠文本意なき事に思ひ手を握りて立たりけるが八つの爪手の甲まで通りて血は紅をしぼり断食して死しけり。其まま悪霊となりさま〱祟をなしければ小野の家は絶にけり。かくてこの霊を宥んため神にいはひて宇治に離宮明神と崇め後冷泉院の御宇治暦三年十月七日正三位をさつけたまへり。

 

地図

京都府宇治市宇治山田

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