社号 | 御蔭神社 |
読み | みかげ |
通称 | |
旧呼称 | |
鎮座地 | 京都府京都市左京区上高野東山 |
旧国郡 | 山城国愛宕郡高野村 |
御祭神 | 賀茂建角身命荒魂、玉依姫命荒魂 |
社格 | 式内論社、賀茂御祖神社摂社 |
例祭 | 5月12日 |
御蔭神社の概要
京都府京都市左京区上高野東山に鎮座する神社で、賀茂御祖神社(下鴨神社)の境外摂社です。
賀茂御祖神社の御祭神である「賀茂建角身命」および「玉依姫命」の荒魂を祀っています。
この地はやや小高い丘になっており、「御生山(ミアレヤマ)」、「御蔭山」と言われています。以前は北東の麓に鎮座していたものの、地震などの災害により元禄六年(1693年)の式年遷宮で現在地に遷座したようです。社伝によれば、この丘は賀茂神の降臨したところであると伝えられ、これに因み、葵祭の前に行われる賀茂御祖神社の神事である「御蔭祭」の神地ともなっています。
御蔭祭は賀茂別雷神社(上賀茂神社)における御阿礼神事と対になる神事で、御阿礼神事が夜に行われるのに対して御蔭祭は同日の昼に行われます。賀茂御祖神社の神の降臨を再現した神事とも考えられ、その内容は、賀茂御祖神社から当社へ行列し、当社の神霊を神馬に移して賀茂御祖神社へ戻るというものです。
御蔭祭は伝承では綏靖天皇の御代に始まったとも伝えられており、この地が賀茂御祖神社の降臨した地であることは平安時代の記録(藤原実資の日記「小右記」など)にも見えています。このことから当地が賀茂氏にとって古くから神聖視された地だったことが伺えます。
ただし、賀茂御祖神社は賀茂別雷神社の後に創建されたとする説があり、当地が神域としてどれほど時代が遡るかは不明と言わざるを得ません。或いは、賀茂御祖神社の創建前から鎮座していたとも考えられる三井神社に係る地だったのかもしれません。
当社は式内社「出雲高野神社」及び「小野神社」の論社ともなっています。いずれも他に論社があり、当社が式内社であるとする論拠は特に無いようです。
境内の様子
当社入口付近の様子。周辺に人家はなく、このような森の中を進んでいきます。およそ神社があるとは思えないようなところです。
しばらく森の中を歩いていくと左側に北東向きの朱の鳥居が現れ、ここが神の地であることを強く印象付けられます。ここから当社の境内へ入ります。
鳥居をくぐり、当社の参道を進みます。参道は薄暗い森となっており、勾配があります。
参道を進んでいくと左側に城郭のような厳かな石垣が現れ、いよいよ神域に差し掛かったという印象を与えてくれます。この石垣の上が社殿の建つ空間となります。
石垣の上に南東向きの社殿が建っています。社殿は特に文化財に指定されていませんが、元禄六年(1693年)の式年遷宮で造替されたものです。
中央に妻入入母屋造の拝殿があり、後方の本殿を瑞垣で囲っています。機能的には拝殿でありつつ、形式的には中門のようにも見えます。
拝殿の後方に二棟の一間社流造の本殿が建っています。左側(北西側)に「賀茂建角身命荒魂」、右側(南東側)に「玉依姫命荒魂」を祀っています。
西側から社殿全体を眺めた様子。丁度光が差し掛かっており神秘的でした。一説に糺の森の「糺(タダス)」とは太陽の直射す(たださす)地であることに因むとも言われており、少数説ながらも若干の思いを馳せずにいられませんでした。


由緒
案内板
御蔭神社
案内板
御蔭神社-御蔭の御生神事の神地
地図
関係する寺社等
-
賀茂御祖神社 (京都府京都市左京区下鴨泉川町)
社号 賀茂御祖神社 読み かもみおや 通称 下鴨神社 旧呼称 鎮座地 京都府京都市左京区下鴨泉川町 旧国郡 山城国愛宕郡下鴨村 御祭神 玉依姫命、賀茂建角身命 社格 式内社、山城国一宮、二十二社、旧官 ...
続きを見る
-
河合神社 (京都府京都市左京区下鴨泉川町)
社号 河合神社 読み かわい 通称 旧呼称 河合社(ただすのやしろ) 等 鎮座地 京都府京都市左京区下鴨泉川町 旧国郡 山城国愛宕郡下鴨村 御祭神 玉依姫命 社格 式内社、賀茂御祖神社摂社 例祭 11 ...
続きを見る
-
賀茂御祖神社境内社 (京都府京都市左京区下鴨泉川町)
お知らせ 賀茂御祖神社の本社および河合神社については別記事にて紹介しています。 賀茂御祖神社の境内社 境内東側の様子 境内の東側を流れる御手洗川の上に架かるように「橋殿」があります。妻入入母屋造の建築 ...
続きを見る
-
賀茂波尓神社 (京都府京都市左京区高野上竹屋町)
社号 賀茂波爾神社 読み かもはに 通称 赤の宮 等 旧呼称 赤宮稲荷大明神 等 鎮座地 京都府京都市左京区高野上竹屋町 旧国郡 山城国愛宕郡高野河原村 御祭神 波爾安日子神、波爾安日女神 社格 式内 ...
続きを見る