1.京都府 2.山城国

綾戸国中神社 (京都府京都市南区久世上久世町)

更新日:

社号 綾戸國中神社
読み あやとくなか
通称
旧呼称 大井社(綾戸神社)、牛頭天王社(國中神社)
鎮座地 京都府京都市南区久世上久世町
旧国郡 山城国乙訓郡上久世村
御祭神 大綾津日神、大直日神、神直日神、素盞嗚尊
社格 式内社、村社
例祭 5月第2日曜日

 

綾戸國中神社の概要

京都府京都市南区久世上久世町に鎮座する神社です。「綾戸神社」と式内社である「國中神社」の二社を相殿としています。当社の鎮座地「久世」は『倭名類聚抄』山城国乙訓郡に見える「訓世郷」の遺称であり、古い地名です。

綾戸神社

大綾津日神」「大直日神」「神直日神」を祀っています。

社伝によれば、継体天皇十五年(521年)の創建で、大堰川(桂川)の祓神として「大井社」として祀られたと伝えられています。

祓神であることから穢れや災厄を桂川の清らかな水によって清める神格であったと思われますが、恐らくはそれに加えて、京都盆地を開発した秦氏による桂川の治水事業に伴い、桂川の水流の安寧を願って水神としての役割も担っていたことも考えられるかもしれません。

ただ、『延喜式』神名帳には乙訓郡に「大井神社」が記載されていますが、どういうわけか葛野郡に鎮座する「大井神社」がその論社となっており、当社は式内社「大井神社」の論社を主張していません。伝承とはいえ継体朝の創建なら式内社であってもおかしくないのですが、どういう事情なのでしょうか。

また、社伝によれば天暦九年(965年)に綾戸社に改称したといい、社号の額は後冷泉天皇の宸筆であると伝えられています。

國中神社

素盞嗚尊」を祀っています。式内社「國中神社」は当社に比定されていますが、近世には「國中神社」の所在は不明となっており、当社に比定された論拠は不明です。

社伝によれば、神代の頃、当地一帯が湖水に覆われていたとき、天から素盞嗚尊が降り、水を切り流して国土を作り、その中心に愛馬である天幸駒の頭を彫刻したものを形見として祀ったと伝えられており、現在も馬の頭の彫刻を御神体としています。

このように当社は素盞嗚尊を祀る神社としては極めて古い神話的な由緒を伝えています。京都の「八坂神社」とも極めて深い関係があり、古文書には國中神社は素盞嗚尊の荒魂、八坂神社は素盞嗚尊の和魂であり、二神は一体であるとの記述もあります。

祇園祭においても当社は重要な役割があり、「久世駒形稚児」が当社の氏子から選ばれ、神幸祭・還幸祭では馬に乗って中御座神輿の先導を務めます。この稚児は御神体である馬の頭の彫刻を模したものを携え、神そのものとみなされます。このため、神幸祭の際に稚児が八坂神社へ到着するまで神輿を境内から動かしてはならないとも言われています。

このように京都三大祭の一つである祇園祭にも大いに関わる重要な神社ですが、当社の来歴はやや不遇だったようです。元々は蔵王の杜(現在は蔵王堂光福寺がある)に鎮座し、久世郷の惣社的な神社でしたが、戦国時代に綾戸神社の境内に遷されたと伝えられています。

綾戸國中神社

このように綾戸神社に國中神社が遷され綾戸國中神社と称するようになりました。それ以来、西向きに社殿が建てられていましたが、昭和九年(1934年)の室戸台風で倒壊したため約20m北方へ移転、さらに昭和三十九年(1964年)に新幹線敷設のために東へ移転し現在に至っています。

 

境内の様子

境内入口。鳥居は神明鳥居です。

境内のすぐ西側に東海道新幹線が通っており、新幹線敷設の際に東方である現在地に移転したことが偲ばれます。

 

鳥居をくぐった様子。石畳は途中二ヶ所で斜めに折れ、入口と社殿のズレを滑らかに繋いでいます。

以前の境内はもっと樹木が生い茂っていたのですが、2018年の台風21号による被害のためか疎らになった印象を受けます。

 

石畳の途中、左側(西側)に手水舎があります。

 

石畳を進んでいくと正面に南向きの社殿が建っています。拝殿は平入の入母屋造で、床と壁の無い開放的な造りです。

 

本殿は一間社流造ですが扉は左右二ヶ所にあります。左側に綾戸神社、右側に國中神社が祀られています。

 

拝殿から本殿方向を見た様子。拝殿からは幣殿のような切妻の屋根が伸びており、その上部には「綾戸宮」「國中宮」の扁額が掲げられています。綾戸神社には後冷泉天皇の宸筆による額があると言われていますが、「綾戸宮」の扁額はそれを模したものでしょうか。少なくとも、この二つの扁額は明らかに筆跡が異なっています。

 

本殿前の狛犬。花崗岩製で、そう古いものではなさそうです。

 

境内の右側(東側)には広い空間があり、遊具や神庫が設置されています。

 

タマヨリ姫
二つの神社が合同で祀られてるんだ!珍しいね!
元々ここは綾戸神社の地だったけれど後から國中神社が遷ってきたのよ。とはいえ國中神社は祇園祭の一端を担ったりと、実は重要な神社なのよ。
トヨタマ姫

 

由緒

案内板「綾戸國中神社」

+ 開く

綾戸國中神社

元は、綾戸宮と國中宮の二社であったが、現在では合祀されており、左が綾戸宮、右が國中宮である。綾戸宮は大綾津日神、大直日神、神直日神、國中宮は素盞嗚尊を御祭神とする。

社伝によれば、綾戸社は継体天皇十五年(五二一h年)に大堰川(桂川)七瀬の祓神として、大井社と称して創建された。その後、天暦九年(九六五年)綾戸社に改称された。社号の額は第七十代後冷泉天皇の御宸筆と伝えられている。

國中社は本来蔵王の杜(現蔵王堂光福寺)に社地があって、中世には牛頭天王社とも呼ばれており、古くには久世郷全体の郷社であったと推定される。戦国時代、國中社が綾戸社の境内の移され、以来、綾戸國中神社と称するようになった。

日本三大祭のひとつである祇園祭に欠かせないものとして、綾戸國中神社の「久世駒形稚児」がある。

この「駒形稚児」と祇園祭との関係は、「國中社は素盞嗚尊の荒御魂なり。八坂郷祇園社は素盞嗚尊の和御魂なり。依って一体にして二神、二神にして一体で神秘の極みなり。」と古文書に記され、「御神幸の七月十七日に訓世の駒形稚児の到着なくば、御神輿は八坂神社から一歩も動かすことはならぬ。若し此の駒故なくしてお滞りあるときは、必ず疫病流行し人々大いに悩む。」とも伝えられている。

駒形を奉持することで稚児は神そのものとされ、神幸祭、還幸祭では中御座神輿の先導をつとめる。

京都市

『都名所図会』

+ 開く

綾戸社は蔵王堂の南にあり。牛頭天皇を祭れるなり。例祭は四月十九日なり。六月祇園会祭礼に馬の頭を首にかけて児の騎馬にて当社より毎歳出づるなり。

 

地図

京都府京都市南区久世上久世町

 


-1.京都府, 2.山城国
-,

Copyright© 神社巡遊録 , 2019 All Rights Reserved Powered by STINGER.