社号 | 彼方神社 |
読み | おちかた |
通称 | |
旧呼称 | 諏訪大明神 等 |
鎮座地 | 京都府宇治市宇治乙方 |
旧国郡 | 山城国宇治郡宇治郷 |
御祭神 | 大物主命 |
社格 | 式内社、旧村社 |
例祭 | 12月6日 |
彼方神社の概要
京都府宇治市宇治乙方に鎮座する式内社です。
当社の創建・由緒は詳らかでありません。
『日本書紀』神功皇后摂政元年三月の条に、九州から畿内に帰還した神功皇后の軍と、反乱を起こした忍熊王の軍が宇治で戦ったとき、忍熊王の軍の先鋒である熊之凝という人物が歌った歌に「烏智箇多能 阿邏々麻菟麼邏(彼方の 荒松原)」云々とあり、この「烏智箇多」が当地を指すとも一説に言われています。
社名の「彼方(ヲチカタ)」が何を指すかも諸説ありますが、一般名詞としての「ヲチカタ(=遠くの方)」が固有名詞化したとも考えられる一方、宇治川の流れ落ちる方向であるとする説があります。
当地は宇治川が急峻な山間を抜けて急に平野の開けた地に鎮座する地であり、当社は宇治川の側に立地していることから、確かにこの説は説得力を感じられます。
ただし「彼方」が「ヲチカタ」なのに対し「落つ」は「オツ」であり、音韻上の問題もあります。一方「ヲツ」と解すれば「復つ」つまり「元通りになる」「若返る」などの意となり、宇治川の畔で若返りの祭祀を行ったところと解することもできるかもしれません。
いずれにせよ宇治川の側に鎮座する神社であり、宇治川と関係のある神社だったことは想定して良さそうです。
当社の御祭神は「大物主命」ですが、他にも「宗像神」や「諏訪神」とする説もあります。
境内には「諏訪大明神」と刻まれた灯籠があり、近世以前には諏訪神を祀る神社と認識されていたことがわかります。
多くの観光客の訪れる宇治にあって当社は非常に小さく目立たない神社ですが、当社もまた宇治を構成する歴史ある神社です。
境内の様子
宇治川に架かる宇治橋の東詰から北東へ進んでいくと左側に当社の境内が見えてきます。
当社境内は石垣の築かれた小高く狭い区画にあり、石段上の入口には南東向きの鳥居が建っています。
当社に手水舎や拝殿などの設備は無く、鳥居をくぐって右側に一間社流見世棚造の小さな本殿が南向きに建っているのみです。
本殿の右奥(北東側)の空間に岩石が置かれています。由緒不明。
参拝時にはありませんでしたが、ネット上には注連縄の掛けられている写真も出回っており、祭祀の対象となっているのかもしれません。
境内の一画に「諏訪大明神」と刻まれた灯籠があります。
この灯籠は享保十八年(1733年)十一月の紀年銘があり、江戸時代中期には諏訪神を祀る神社だと認識されていたことがわかります。
現在当社は「大物主命」を祀るとされていますが諸説あり、本来の御祭神も詳らかでありません。
地図