社号 | 巨勢山口神社 |
読み | こせやまぐち |
通称 | |
旧呼称 | 高社 |
鎮座地 | 奈良県御所市古瀬 |
旧国郡 | 大和国葛上郡古瀬村 |
御祭神 | 伊弉諾尊、伊弉冉尊 |
社格 | 式内社、旧村社 |
例祭 | 10月7日 |
巨勢山口神社の概要
奈良県御所市古瀬に鎮座する式内社です。『延喜式』神名帳には大社に列せられ、古くは有力な神社だったようです。
『延喜式』神名帳の大和国・山城国には「○○山口(坐)神社」と称する神社が15社記載されており、その中の一つが式内社「巨勢山口神社」です。
当社の創建・由緒は詳らかでありませんが、他の「○○山口(坐)神社」と同様、水源となる山間の地に山の神を祀り国家的に管理・祭祀したものと思われます。
「○○山口(坐)神社」は全て『延喜式』臨時祭の祈雨神祭八十五座に加えられており、このことからも「○○山口(坐)神社」が水を司る神として朝廷から重視されたことが窺えます。
また「巨勢山口神社」は含まれていませんが、『延喜式』祝詞の祈年祭に飛鳥、石村、忍坂、長谷、畝火、耳無の各山口神社はその山の木材を伐り出し宮殿とした旨が記されており、「○○山口(坐)神社」は用材の産地として樹木を守護する神でもあったことが考えられます。
従って、式内社「巨勢山口神社」は当社の背後に聳える山である「巨勢山」を水源の地・木材の産地として山の神を祀ったもでしょう。
江戸時代中期の地誌『大和志』は式内社「巨勢山口神社」を巨勢山の東側の中腹に鎮座する当社に比定しており、それ以来当社が式内社「巨勢山口神社」とされています。
大正三年(1914年)刊行の『大和志料』が引く『三輪旧神職巨勢氏系図』にも式内社「巨勢山口神社」を当社とし、武烈天皇・継体天皇に仕えた人物「巨勢(許勢)男人大臣」を祀るとしています。
この点について、まず「○○山口(坐)神社」は山の神を祀る神社であり、この神社に巨勢氏の人物を祀るのは不審であると言わざるを得ません。
次に、そもそも式内社「巨勢山口神社」を当社に比定するのは非常に大きな問題があります。何故ならJR・近鉄の吉野口駅を中心とする一帯は、江戸時代には葛上郡でしたがさらに古くは高市郡だったと考えられるからです。
巨勢山の東麓の一帯である当地付近は『倭名類聚抄』に記される大和国高市郡の「巨勢郷」と考えられ、『延喜式』の時代にも当然ながら当地は葛上郡でなく高市郡だったはずです。
従って、巨勢山の東麓に比定している葛上郡の式内社「巨勢山口神社」や「大倉姫神社」(論社は古瀬、戸毛)はほぼ確実に誤りであると言わざるを得ず、或いは「大穴持神社」も比定を誤っているかもしれません。
室町時代の文書である『和州五郡神社神名帳大略注解』(通称『五郡神社記』)は当地付近を高市郡であることを前提に式内社を記しており、高市郡の式内社「天高市神社」「巨勢山坐石椋孫神社(『五郡神社記』は「孫」とあるのは誤りで「妣」が正しいとする)」「許世都比古命神社」の三社を総称して「巨勢山坐三處神社」とし、巨勢山の中腹に鎮座しているとしています。
この三社は現在はいずれも全く別の地(江戸時代には既に高市郡だった地)に鎮座する神社に比定されており、『五郡神社記』が正しいとするならば現状は全くの誤りであることになります。(詳細は「天高市神社」「巨勢山座岩椋神社」「許世都比古命神社」の記事を参照)
ついでに式内社「稻代坐神社」についても『五郡神社記』は奉膳村(古瀬に隣接。こちらも江戸時代には葛上郡だった)にあったとし、現状とは全く異なるものとなっています。(詳細は「稲代坐神社」「卯神社」の記事を参照)
『五郡神社記』は「巨勢山坐三處神社」の三社が具体的に巨勢山のどこにあったかを記していないため、このいずれかの神社が当社であるのか、それとも無関係なのかも残念ながらはっきりしません。
当社に関しても元は巨勢山の小明原なる地に鎮座し(場所不明)、正長元年(1428年)に現在地に遷座したと伝えられているため、当初からの祭祀形態ではないと考えられます。
ただ、当社が「巨勢山坐三處神社」の三社のいずれかを継承している可能性について考えてみる価値はあるでしょう。地名「古瀬」が「巨勢」の遺称であることを思えば「許世都比古命神社」であった可能性が考えられる一方、もし旧地で磐座による祭祀が行われていれば「巨勢山坐石椋孫(妣)神社」であった可能性も考えられます。
上述の『三輪旧神職巨勢氏系図』に(「巨勢山口神社」であるとしつつも)当社の祭神を巨勢氏の祖である「巨勢男人大臣」としている点を見れば、巨勢氏の祖を祀った神社と考えられる「許世都比古命神社」であった可能性が高いと言えるかもしれません。
では式内社「巨勢山口神社」はどこに求めるべきか。これについては資料が無いため想像する外ありません。
『延喜式』の時代にも葛上郡の範囲にあり、かつ飛鳥などの皇居から見て巨勢山の入口にあるような地を想定すべきであり、敢えて現存の神社で“それらしい”神社を挙げるならば、巨勢山の北麓、室地区の「笛吹神社」は相応しいと言えるかもしれません。もちろん立地という点のみを見たものであるため、何の根拠もありません。
少なくとも式内社「巨勢山口神社」を当社とするのはほぼ確実に誤りであると言えますが、現状ではこの比定が完全に定着しており、比定に批判的な文献もほぼ見当たらず、今後も「巨勢山口神社」として信仰されていくことでしょう。
しかしこの旧・高市郡巨勢郷は武内宿禰の子・許勢小柄を祖とする「巨勢氏」の一大拠点であり、氏寺である巨勢寺が建立される(現在も塔の礎石が残っている)などその活躍は目を見張るものがあります。
こうした地にはやはり朝廷により祭祀された山神よりも、巨勢氏がその祖を祀る神社があったと見る方が妥当であるように思われます。
境内の様子
当社はJR・近鉄の吉野口駅の西方に聳える巨勢山の東側中腹に鎮座しています。
吉野口駅の北方、国道309号沿いに「式内大 巨勢山口神社」と刻まれた社号標が建っており、ここから山上へと伸びる道が当社への参道となります。
なおこの社号標は元は葛村立尋常高等小学校(現・葛中学校)の校庭にあったもので、国道309号の工事の完成により当地に移したものです。
そしてこの社号標の側面には「大倉姫神社」と刻まれており、同じ古瀬地区の「大倉姫神社」の社号標をも兼ねたもの(あるいは道標?)となっています。
道を進んでいくと砂防ダムがあり、これを回り込むように道が伸びています。
砂防ダムの辺りから振り返った様子。眼下には曽我川の流れる谷が広がっています。
この地は江戸時代には葛上郡となっていましたが元々は高市郡の巨勢郷で、巨勢氏がこの地を本拠とし開発したところです。
さらに進むと舗装された道が途切れ、そこに当社の案内板が建ち、ここから本格的な山道となります。
当社への参道となる山道の様子。急坂とはいえ荒れた様子はなく、不便な地にありながらも現在も忘れられずに祭祀されていることが窺えます。
さらに登っていくと途中に一の鳥居が東向きに建っています。
一の鳥居をくぐってさらに進んでいくとやや広い空間に出ます。ここが最奥部で当社境内となります。
この空間の左側(西側)に石段と石垣があり、石垣の前に灯籠が並んでいます。
石段上には二の鳥居が東向きに立ち、石垣上には玉垣が設けられ、この奥に社殿と境内社が建ち並んでいます。
石段下の左側(南側)に手水鉢が配置されてあります。
石段途中に配置されている狛犬。砂岩製の立派なもの。
石段を上り、二の鳥居をくぐってすぐ奥に、銅板葺・一間社春日造の本殿が東向きに建っています。
本殿は朱が施されており、軒棟方向(奥行き)が比較的長いのが特徴。
本殿にはかわいらしい小さな石造狛犬が据えられています。
本社本殿の左側(南側)に境内社が東向きに鎮座。社名や祭神を示すものはありませんが、手持ちの資料に「明神社」とあるのでこれが恐らくそうなのでしょう。
社殿は鉄板葺の春日見世棚造。
石段下の右側(北側)に波型スレート屋根の平入切妻造(東側に庇あり)の建物が建っています。床が張られ、正面には壁がありません。
この建物をどのように分類するかは判断が難しく、「拝殿」「舞台」「座小屋」「長床」いずれにも当てはまりそうなものです。
他の神社に目を向けると、この奈良県下において吉野口駅近辺にのみこのような建物が見られ、多くは本殿の手前側で相対するように建っています(従って当社のように境内の隅に建つのは異例)。
多くが本殿前に建つことを見れば「拝殿」と見ることができそう(事実、鈴の緒を設置している例がある)ですが、構造としては「舞台」に近く、また神事の際に用いられる詰所(当サイトでは「座小屋」と分類)にも似ています。
極めて局地的かつ特徴的な建物であり分類が難しいですが、当サイトでは仮に「巨勢式舞台型拝殿」と分類しておきます。
当社の鎮座する「巨勢山」。写真の右側の山頂が最高峰で、標高295.8m。この中腹に当社が鎮座しています。
この山はほぼ全域に亘って古墳が所在し、五世紀から七世紀にかけての約800基もの古墳が確認されており、これらは「巨勢山古墳群」と呼ばれています。
巨勢山古墳群の端緒となったと考えられている室宮山古墳などは北麓に所在し、それらは葛城氏との関係が指摘されていますが、東麓となる当地付近にも多数の古墳があり、当地を本貫とする巨勢氏との関係性も考えられます。


由緒
案内板
巨勢山口神社
地図
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