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葛木坐火雷神社 (奈良県葛城市笛吹)

社号葛木坐火雷神社
読みかつらきにいますほのいかづち
通称笛吹神社
旧呼称
鎮座地奈良県葛城市笛吹
旧国郡大和国忍海郡笛吹村
御祭神火雷大神、天香山命
社格式内社、旧郷社
例祭10月25日

 

葛木坐火雷神社の概要

奈良県葛城市笛吹に鎮座する式内社です。『延喜式』神名帳には名神大社とあり、古くは非常に有力な神社だったようです。

社伝によれば、元は「火雷神社」と「笛吹神社」の二社が別々に祀られていたものの、延喜年間以前に合祀されたと伝えられています。

『延喜式』神名帳に二座と記されているのは、火雷神社と笛吹神社の祭神それぞれ一座ずつを指しているとも考えられています。

 

火雷神社についての創建・由緒は詳らかでありませんが、古来より雷、特に夏場の夕立に伴い激しく鳴り響く雷は稲の実りを促すものと考えられており、豊穣を司る神として「火雷神」が当地で祀られたことが考えられます。

大和国の式内社には当社の他に広瀬郡に「穂雷神社」(広陵町安部に鎮座)が、宇智郡に「火雷神社」(奈良県五條市御山町に鎮座)が鎮座しています。その他、山城国の式内社でも乙訓郡に「乙訓坐大雷神社」(角宮神社向日神社が論社)があり、また「北野天満宮」も火雷天神として信仰されてきました。

奈良盆地や京都盆地ではその地形により特に積乱雲が発達しやすく、雷が発生することも頻りにあります。奈良盆地や京都盆地で火雷神がしばしば祀られているのはこうした気象条件に起因しているのかもしれません。

 

一方、笛吹神社については、天皇の葬礼等に関わった遊部の一つとされる「笛吹氏」が当地に居住し祖神を祀ったと考えられています。

『新撰姓氏録』河内国神別に火明命の後裔であるという「笛吹」が登載されています。大和国には登載されていませんが、当地の地名が「笛吹」であることに加え、周辺に「遊田」など遊部を思わせる字があったといい、当地に笛吹氏が居住していたことはほぼ確実でしょう。

遊部とは天皇の葬礼の際に棺などの葬具や祭具などを用意し、楽器を弾いて葬送を行ったとされる部曲です。その中でも特に笛を吹いて死者や神霊への祭祀を行い魂を鎮めたのが笛吹氏だったと考えられます。

 

当社に関しては史料上では『延喜式』神名帳はじめ『三代実録』貞観元年(859年)正月二十七日条などに専ら「葛木坐火雷神社」「葛木火雷神」などと見え、一方の「笛吹神社」については全く見えません。

しかし『延喜式』以降は「葛木坐火雷神社」としての記録は消え、平安後期以降の記録に「笛吹大明神」「笛吹社」などと見えるようになってきます。

特に平安後期に成立した『奥義抄』という歌学書によれば笛吹社からハハカの木を伐って都に奉り亀卜に用いたことが記されており、重要な記録となっています。

『古事記』の天岩戸の段では天児屋根命と布刀玉命が天香山の真雄鹿の肩骨を抜き、天香山の「天之波波迦」を取って占いを行ったことが記されています。

このように古くは鹿の肩甲骨をハハカ(ウワズミザクラ)の木を用いて焼いて占いが行われ、後には鹿の肩甲骨に代わって亀の甲羅をを用いるようになり亀卜が行われるようになりました。

『古事記』ではこうした占いに用いるハハカは天香山から採ったと記しています。一方、笛吹神社を奉斎した笛吹氏の祖は天火明命およびその子、天香山命とされています。

天香山命は尾張氏の祖ともされていますが、大和三山の一つであり『古事記』でハハカを採ったとする天香山(現・天香久山)との関連性は不明です。しかし当社で亀卜に用いるハハカを採ったことからすると何らかの関係があったのかもしれません。

 

『大和志』には葛木坐火雷神社について「笛吹神祠の傍らに在り」とあり、江戸時代には笛吹神社の境内社として葛木坐火雷神社が鎮座していたことが窺えます。

現在は両社を相殿とし、「葛木坐火雷神社」を正式な社名としている一方、地元では「笛吹神社」と呼ばれることが多いらしく、今でも笛吹神社が主であると認識されているようです。

現在の御祭神は「火雷大神」「天香山命」の二柱で、前者は葛木坐火雷神社の祭神、後者は笛吹氏の祖神として祀られた笛吹神社の祭神です。

当地付近では大規模な神社で、日露戦争の記念に政府から奉献されたロシア製の大砲が境内に置かれており、多くの人々に親しまれています。

 

境内の様子

葛木坐火雷神社 笛吹神社

当社は葛城山の東麓の舌状に伸びた台地の上に鎮座しています。

当社の鎮座するこの台地は非常に鬱蒼とした森が広がっており、イチイガシの優占する暖帯林となっています。当地における極相林であり、貴重な植生が残っていることが評価され県指定天然記念物となっています。

この台地の南麓に当社の入口があり、鳥居が南向きに建っています。鳥居はコンクリート製(?)の神明鳥居。

案内板

天然記念物 笛吹神社イチイガシ林

 

鳥居をくぐった様子。石段を上ると道は左右に分かれており、右側(東側)には境内社が鎮座しています(後述)。

一方の左側(西側)に伸びる石段が社殿への参道となります。

 

左側の石段下に手水舎が建っています。

 

手水舎から伸びる石段。左右に灯籠がズラッと並んでいます。天然記念物に指定されているだけあって夏場の昼間でも薄暗い鬱蒼とした社叢となっています。

 

石段を上った先には非常に広い空間があります(以下、当記事ではこの空間を仮に「社前広場」と呼ぶ)。

 

葛木坐火雷神社 笛吹神社

社前広場の右側(北側)には城郭を思わせる大規模な石垣が積まれており、L字型に石段が設けられ社殿まで続いています。敢えてL字に折り曲げているあたり城郭らしい雰囲気が猶更に感じられます。

 

葛木坐火雷神社 笛吹神社

このL字型の石段を上って行くといよいよ当社の社殿が見えてきます。

 

石段を上りきるとすぐ正面に社殿が南向きに並んでいます。

拝殿は桟瓦葺の平入入母屋造。床下には亀腹が設けられています。

拝殿前の空間は非常に狭いため写真に収めるのは非常に困難です。

 

拝殿前に設置されている狛犬は砂岩製で古めかしさの感じられるもの。

 

拝殿の後方には銅板葺の神明造の本殿が建っています。

当社は天津神を祀っているわけではありませんが、本殿や鳥居など神明系の神を祀っているかのような形式で統一されています。

 

本殿と拝殿の間には神明造に似た銅板葺・平入切妻造の幣殿も建っています。

 

本殿の左奥(北西側)の斜面上に「笛吹神社古墳」があります。当社の鎮座する台地上に約80基ほどで構成される笛吹古墳群があり、当古墳はその東端に築かれた円墳です。

当古墳は六世紀頃に築造されたと考えられています。斜面上に横穴式石室が開口しており、立ち入ることはできませんが玄室には家形石棺が配置されているようです。

案内板

県指定史跡 笛吹神社古墳

 

道を戻ります。

社前広場の中央には日露戦争の記念として政府から奉献されたロシア製の大砲が置かれています。玉垣で囲われた石積みの上に置かれているためよく目立ち、当社のシンボル的なものとして親しまれているようです。

石碑

 

社殿広場の西奥には境内社が東向きに並んでいます。

 

西奥の境内社の内、三社は基壇の上に鎮座しています。左側(南側)からそれぞれ次の神社が祀られています。

  • 森本神社
  • 浅間神社
  • 空室神社

いずれもトタン葺の春日見世棚造ですが、中央の浅間神社のみやや規模の大きなものとなっています。

 

これら三社の右側(北側)には「梅室神社」が独立して鎮座。梅室地区に鎮座していた神社を遷座したもののようです。

社殿はトタン葺の春日見世棚造。

 

さらに道を戻ります。

鳥居から石段を上っていたところで左右に道が分かれていると上述しましたが、その右側(東側)の道の斜面上に三社の境内社が南向きに鎮座しています。

これら三社の境内社は左側(西側)から次の通り。

  • 熊野神社
  • 稲荷神社
  • 春日神社

社殿はいずれもトタン葺の春日見世棚造です。

 

タマ姫
難しい社名の神社だけど、笛吹神社とも呼ばれてるんだね!笛を吹いてる神様を祀ってるのかなー?
恐らく笛を吹いていたのは神様じゃなくて神社を祀った人々の方ね。その人たちは笛を吹いて音楽を奏でることで魂を鎮めたとされているわ。
トヨ姫

 

 

地図

奈良県葛城市笛吹

 

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