社号 | 鏡作坐天照御魂神社 |
読み | かがみつくりにますあまてるみたま |
通称 | |
旧呼称 | 鏡作三所大明神 等 |
鎮座地 | 奈良県磯城郡田原本町八尾 |
旧国郡 | 大和国式下郡八尾村 |
御祭神 | 天照国照彦火明命、石凝姥命、天糠戸命 |
社格 | 式内社、旧県社 |
例祭 | 10月25日 |
鏡作坐天照御魂神社の概要
奈良県磯城郡田原本町八尾に鎮座する神社です。三宅町石見の「鏡作神社」と共に式内社「鏡作坐天照御魂神社」の論社となっています。
式内社「鏡作坐天照御魂神社」は『延喜式』神名帳には大社とあり、古くから有力な神社でした。
地名としては消失しているものの、『倭名類聚抄』の大和国城下郡に見える「鏡作郷」とはこの辺り一帯で、古い時代に鏡作部が当地に居住し鏡を製作していたと考えられます。
社伝によれば次のように伝えています。
- 崇神天皇の御代、三種の神器の一つである八咫鏡を皇居に祀るのは畏れ多いとして笠縫邑の地に祀り、さらに別の鏡を作ることにした。
- 崇神天皇六年九月三日にこの地において日御像の鏡を鋳造して天照大神の御魂とし、これが今の内侍所に安置される八咫鏡である。
- 一方、その鋳造にあたり試鋳した像鏡を天照国照彦火明命として祀ったのが当社である。
この社伝は崇神天皇が宮中に天照大神を祀るのを畏れたために天照大神の鎮まるべき地を豊鍬入姫命に求めさせ、途中倭姫命が代わって探し求め、各地を転々としつつ最終的に現在の「伊勢神宮」の地に鎮まったいわゆる「元伊勢」伝承を元にしています。
ただ『日本書紀』の当該箇所には鏡に関する言及はありません(鞴を用いて“何か”を作ったとあるものの、鏡であるとは明言していない)。
一方、忌部系の史書『古語拾遺』においては石凝姥神の子孫、天目一箇神の子孫にそれぞれ鏡と剣を作らせて御璽とした旨が記されています。
この中で、最初に作った鏡は不出来であり、これは日前神(和歌山県和歌山市秋月に鎮座する「日前神宮」)である、とする旨が記されていますが当社に関わるものではありません。
物部系の史書『先代旧事本紀』神祇本記の天岩戸の段においてもほぼ同様の内容をもう少し詳細に記しているものの、やはり当社は関わっていません。(詳細は「日前神宮・國懸神宮」の記事を参照)
ただ、当社には神宝として三角縁神獣鏡の残欠が伝えられる他、鏡の製作に必要な水を採ったという「鏡池」や、江戸時代に出土した鏡の研磨に使用されたと思しき「鏡石」があり、現在の当社は鏡に関する神社であると広く認識されています。
上述のように当地は古く「鏡作郷」と称し、鏡を製作した集団が居住していたことが考えられます。記紀には天岩戸の段において鏡を作った「イシコリドメ(石凝姥命 / 伊斯許理度売命)」もしくは親神の「アマノヌカト(天糠戸命)」は「鏡作部」らの祖と記されており、『新撰姓氏録』には見えないものの彼らが当地に居住していたことが考えられます。
また『先代旧事本紀』天孫本紀にはニギハヤヒの十一世孫である物部鍛治師連公は鏡作・小軽馬連らの祖とも記しており、物部氏の中にも鏡の製作を担っていた人々がいたようで、或いは当地に居住していたのはこちらの氏族だったのかもしれません。
一方、『延喜式』神名帳において「○○天照御魂神社」と名乗る神社は当社を含め畿内に以下の四社があり、同じ神を祀っていたものと思われます。
- 大和国城上郡「他田坐天照御魂神社」
- 大和国城下郡「鏡作坐天照御魂神社」(当社)
- 山城国葛野郡「木嶋坐天照御魂神社」
- 摂津国島下郡「新屋坐天照御魂神社」(論社は大阪府茨木市西福井、同市宿久庄、同市西河原にあり)
この「天照御魂神」がどのような神であるかは不明です。『三代実録』貞観元年(859年)正月二十七日の条に当社の神が従五位上の神階を賜っていることから、少なくとも皇祖神であり神階を与えられることのない天照大神とは別の神であることは明確です。
当社および新屋坐天照御魂神社は祭神として尾張氏の祖神「天照国照彦火明命」を充てています。さらに西福井の新屋坐天照御魂神社では物部氏が奉斎したことが伝えられており、『先代旧事本紀』に見える尾張氏と物部氏の共通の祖神「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊」の存在を示唆しています。
また上述のように物部系氏族の中に鏡作を名乗る人々がおり、当社の祭祀に関わっていた可能性が考えられます。
このことから畿内の「○○天照御魂神社」は尾張氏や物部氏が祭祀に関与していたことが一つの可能性として考えられます。
また一方で「○○天照御魂神社」は日読みに関わるとする説があり、当社の場合は桜井市太田の「他田坐天照御魂神社」、そして三輪山とが一つの線状にあるためレイラインであるとする主張も見られます。
レイラインに関しては荒唐無稽な主張も多く慎重に検討せねばなりませんが、当地において三輪山や巻向山といった東方の山々のいずれから太陽が昇るかを見て暦を読んだことは可能性としては考えられそうです。
特に当地で製作された鏡はまさに太陽の象徴、太陽に通じる呪具として祭祀に用いられたかもしれません。
当社の御祭神については各資料によって違いがあるものの、現在は「天照国照彦火明命」「石凝姥命」「天糠戸命」の三柱となっています。
江戸時代には「鏡作三所大明神」と呼ばれていたことから三柱の神が祀られた歴史は長いと思われますが、『延喜式』神名帳には特に三座であるとは記載されておらず、本来の御祭神はやはり社名の示す通り「天照御魂神」の一柱だったと考えられます。
とはいえ当地が鏡作郷の中心的な地であることから、当社もまた鏡に関する神社であったことも推察され、或いは鏡の製作に携わった人々が奉斎していた可能性も考えられます。
近隣の式内社として「鏡作伊多神社」(論社は保津地区、宮古地区に鎮座)、「鏡作麻氣神社」(小阪地区に鎮座)もあり、これらと併せて彼ら鏡の製作に携わった人々に一体的に祭祀されたことも考えられるかもしれません。
境内の様子
当社は八尾地区の集落の南東側、寺川の左岸側に鎮座しています。
広大な境内を持ち、入口となる境内の南側には大きな朱鳥居が南向きに建っています。
鳥居をくぐった様子。鬱蒼とした社叢の中を広々とした砂利敷の参道が社殿まで一直線に続いています。
参道の先の左側(西側)に井戸と手水鉢が配置されています。
手水鉢の手前側に右書きで「大阪 鏡屋中」と刻まれた弘化三年(1846年)に奉納された石碑が建っており、幕末には大阪の鏡を扱う商人からも信仰されていたことがわかります。
この手水鉢のある辺りで広い空間となり、正面奥には社殿が南向きに並んでいます。
拝殿前は玉垣で囲われた区画があり、これは奈良盆地中部の神社でしばしば見かける形式です。
拝殿は本瓦葺の平入入母屋造。平入五間、奥行三間のやや大規模な建築です。
拝殿前に配置されている狛犬。砂岩製で古めかしさの感じられるもの。
拝殿後方に瑞垣に囲まれて檜皮葺・朱塗りの本殿が建っています。本殿前には鳥居も建っています。
手持ちの資料には本殿は三間社流造とあるものの、実際には千鳥破風の付いた一間社流造を横に三宇並べ、それらを一つに連結したもので珍しい形式です。
立入のできない空間ですが、本殿前の右側(東側)に「若宮神社」が西向きに鎮座しています。
手前に鳥居が建ち、社殿は銅板葺・朱塗りの一間社春日造。
本社本殿の左側(西側)に七社の相殿が南向きに鎮座しており、鉄板葺の七間社流見世棚造の社殿が瑞垣と一体化しているように建っています。
祀られているのは左側(西側)から次の通り。
- 「八意思兼神社」
- 「粟嶋神社」
- 「事代主神社」
- 「厳嶋神社」
- 「保食神社」
- 「大國主神社」
- 「猿田彦神社」
七社の相殿の手前側(南側)にある桟瓦葺・平入入母屋造の建物。
用途は不明ですが神饌所でしょうか。
神饌所(?)らしき建物の左側(南側)、ちょうど本社拝殿の西側にあたるところに「愛宕神社」が東向きに鎮座。
社殿は鉄板葺の春日見世棚造。
愛宕神社のさらに左側(南側)、手水鉢のすぐ右側(北側)にあたるところに二社の境内社が東向きに鎮座しています。
この内、左側(南側)は「鍵取神社」、右側(北側)は「笛吹神社」。社殿はいずれも鉄板葺の春日見世棚造。
上の二社と向かい合うように、境内の東端に「狭依姫神社」が西向きに鎮座。
社殿は鉄板葺の春日見世棚造。
狭依姫神社の左側(北側)、本社拝殿の東側には金刀比羅神社の石碑が建っています。
道を戻り、手水鉢の左側(左側)に方形の池があり、「鏡池」と呼ばれています。
一説に古くこの地で鏡が作られていたときはこの池から水を採っていたとも言われています。
鏡池の前に「鏡石」なるものが置かれています。江戸時代に鏡池から出土したもので、飛鳥の酒船石を彷彿させるような、円形に彫り窪めた部分とそこから水が流れ出すような溝が彫られています。
これについての用途は確証は無いものの、一説に鏡面の研磨の際に使用されたものかとも言われています。
案内板
鏡作坐天照御魂神社 「鏡石」について
当社境内の西側の敷地、愛宕神社の裏側にあたるところに袴腰鐘楼が建っており、梵鐘が吊り下げられています。
この敷地はかつて当社の神宮寺だった真言宗の寺院「聞楽院」があり、廃仏毀釈により明治五年(1872年)に廃寺となるも袴腰鐘楼のみが現在も残されているものです。
梵鐘は寛政七年(1795年)に鋳造されたもの。太平洋戦争時の金属供出により徴収されましたが、熔鋳される前に終戦を迎え運よく返還されたと言われています。
案内板
神社に釣り鐘?
境内にある看板には当社に伝えられている神宝の鏡の写真が載せられています。いわゆる三角縁神獣鏡で、外側の部分が欠けています。
この鏡が当社に伝えられている理由は詳らかでなく、近隣の古墳から出土したものとする説、鋳型の原型として使ううちに欠けてしまったので神社に奉納されたものとする説などがあります。
由緒
案内板
鏡作坐天照御魂神社(鏡作神社)
案内板
鏡作坐天照御魂神社
石碑
御由緒
地図
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