社号 | 鏡作伊多神社 |
読み | かがみつくりいた |
通称 | |
旧呼称 | |
鎮座地 | 奈良県磯城郡田原本町保津 |
旧国郡 | 大和国十市郡保津村 |
御祭神 | 石凝姥命 |
社格 | 式内社、旧村社 |
例祭 | 10月13日 |
鏡作伊多神社の概要
奈良県磯城郡田原本町保津に鎮座する神社です。北方200mほどの宮古地区に鎮座する「鏡作伊多神社」と共に式内社「鏡作伊多神社」の論社となっています。
当社の創建・由緒は詳らかでありません。
当社の近隣に鎮座する式内社に「鏡作坐天照御魂神社」「鏡作麻氣神社」があり、当地一帯に古く鏡を製作した技術者集団が居住し、当社を含むこれらの神社を奉斎していたことが考えられます。
『倭名類聚抄』に記載されている大和国城下郡の「鏡作郷」もこの辺り一帯と推測されています。(ただし当地は「鏡作郷」でなく「三宅郷」とする説もある)
当社の御祭神は記紀の天岩戸の段で鏡を製作した「石凝姥命」で、この神は鏡作部の祖とされています。恐らく当地に居住し鏡を製作した人々が祖神を祀り、鏡製作の守護神として祭祀したものでしょう。
当社の社名「イタ」の意は諸説ありますが、一説に金属を溶かした様子を表す「湯立(イユタツ)」が転訛したものとも言われています。
当社は元々は現在地の東方300mほどの「伊多敷(イタシキ / イタジキ)」と呼ばれる小字にあったと伝えられています。
当社の鎮座する保津地区は環濠集落となっており、現在の当社は環濠内に鎮座しています。
環濠集落の発生は戦乱の激しくなった戦国時代の頃と思われ、この頃に集落に濠を廻らせることで自治的に村を防衛し、それに伴い当社も環濠内に遷座したことが考えられます。
もう一方の論社である宮古地区の「鏡作伊多神社」も「伊多」の小字があるといい、両社が非常に近接していることから、或いはいつの頃かどちらかからどちらかへ分社したものだったのかもしれません。
ただ宮古地区は古くから式上郡だったのに対し、当地は江戸時代以前は十市郡でした。とはいえ両社はまさしく目と鼻の先であり、郡境の変更があったとしてもおかしくはなく、郡が異なるからといって式内論社の主張を退けることはできません。
いずれもそれらしき小字があり、また鏡の製作に必要な水を得るための池もあることから、いずれが式内社であってもおかしくはないでしょう。
また、当社は境内社に「宇間志麻遅神社」があり、物部氏の祖であるウマシマジを祀っています。
当社で物部氏の祖を祀る理由は不明ですが、物部系の史書『先代旧事本紀』にニギハヤヒの十一世孫である物部鍛治師連公は鏡作・小軽馬連らの祖とも記しており、物部氏の中にも鏡の製作を担っていた人々がいたことがわかります。或いはこの氏族が当社と関係していたのかもしれません。
また当地の地名「保津」は物部氏の一族「穂積氏」と関わりがあるとし、当地「保津」こそが穂積氏の根拠地であるとする説も有力です。
城下郡の式内社には「富都神社」や「村屋坐彌富都比賣神社」など物部氏との関係性が考えられる神社もあり、当地付近は物部氏にとって重要な拠点の一つだったのかもしれません。
境内の様子
当社は環濠集落となっている保津地区の環濠内の南端に鎮座しています。
当地の環濠は当社境内の敷地を確保するように南側へ突出しているのが特徴。
境内は北側に入口があり、鳥居が北向きに建っています。
鳥居をくぐって左右に配置されている狛犬。砂岩製で天保六年(1835年)に奉納されたもの。
右側(西側)の狛犬の後方(南側)に配置されている手水鉢。
縁に多くの盃状穴が穿たれています。
鳥居の先(南側)の左側(東側)に社殿が西向きに並んでいます。
拝殿は桟瓦葺の平入切妻造。桁行四間で、拝所は左から二間目。右端の一間は屋根が段違いとなっており、格子窓もなく、付属の別室のようになっています。
見えにくいものの、拝殿後方にブロック塀に囲まれて二宇の本殿が並んでいます。
拝殿の後方正面にあたる右側(南側)の社殿が本社の本殿で、銅板葺・朱塗りの一間社隅木入春日造。
隅木入春日造とは前面が入母屋造のようになった春日造のこと。案内板には隅木入春日造を「珍しい手法」としていますが、実際は特に珍しい形式というわけではありません。近隣にも小阪地区の「鏡作麻氣神社」の例があります。
本社本殿の左側(北側)に鎮座するのは境内社の「宇間志麻遅神社」で、物部氏の祖の「ウマシマジ」を祀っています。社殿は銅板葺・朱塗りの一間社春日造。
当社で物部氏の祖を祀っている理由は不明ですが、物部氏に鏡の製作に携わった一族がいたこと、当地の地名「保津」は物部氏の一族「穂積氏」と関わりがあるとする説があること、周辺に物部氏に関する式内社があることなどから推して、当地付近に物部氏の拠点があったのかもしれません。
当社の鳥居の向かいにある小屋には多くの板が置かれており、それらの板をよく見ると赤い文字で「四ノ坪」「柱田」など地名らしきものが記されています。
これらの中には「イタジキ」など当社の旧地とされる小字も見え、これらは恐らく保津地区の小字を記したものなのでしょう。
これらが何に使われるものなのかは不明。
当社の鎮座する保津地区の集落は、当社境内を含めて堀で囲われており、いわゆる「環濠集落」となっています。
集落内へ入る道は限られており、戦乱の多発した中世に住民が自治的に村を防衛するために作ったもので、奈良盆地では各地で見ることができます。
現在の各地の環濠集落は堀が暗渠化している例も多いものの、保津地区の環濠は比較的良好な状態で残っています。
保津地区の環濠集落の内部の様子。環濠内は複雑な迷路のように道がめぐらされており、古い家屋も多く見られます。
中世以来の趣が今も感じ取れる地となっています。
案内板
保津の環濠集落
案内板
田原本町の歴史遺産
中世~近世 保津環濠集落


由緒
案内板
田原本歴史遺産 神々を訪ねて
延喜式内社 旧 十市郡 保津 鏡作伊多神社
地図
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