社号 | 畝尾都多本神社 |
読み | うねおつたもと |
通称 | |
旧呼称 | |
鎮座地 | 奈良県橿原市木之本町 |
旧国郡 | 大和国十市郡木之本村 |
御祭神 | 啼沢女命 |
社格 | 式内社、旧村社 |
例祭 | 9月下旬の日曜日 |
畝尾都多本神社の概要
奈良県橿原市木之本町に鎮座する式内社です。
当社に関わるものとして、『古事記』カグツチの段に次のようなことが記されています。
『古事記』(大意)
(イザナミが火神カグツチを生んだことで亡くなった後)イザナギは「愛しい妻をただ一人の子に代えてしまうとは思ってもいなかった」と言い、イザナミの枕もとに這い臥し、足元へ這い臥し泣いたときに、その涙から生まれた神は、香山の畝尾の木の本に坐し、その名は「泣澤女(ナキサワメ)神」という。
『日本書紀』もほぼ同じ内容の記述となっています。
「香山の畝尾の木の本」とはまさに天香久山の西麓、「木之本」の地名の残る当地であり、その「ナキサワメ(泣澤女神 / 啼沢女命)」なる神を祀ったのが当社です。
当社に関しては次の『万葉集』巻二-202の歌にも言及されています。
『万葉集』
泣沢の 神社(もり)に神酒(みわ)すゑ 祷折(いの)れども わご大君は高日知らしぬ
(意訳:泣沢の神社の神に神酒を捧げて祈祷したけれど、その甲斐もなく皇子は天に召されてしまった)
そしてその註に「右の一種は『類聚歌林』によれば桧隈女王が泣沢神社を恨む歌であり、『日本書紀』によれば持統天皇十年(696年)に高市皇子は薨去された」とする旨が記されています。
ナキサワメは、記紀のカグツチの段ではイザナミの死に際してイザナギの涙から生まれたとし、また『万葉集』では(叶わなかったものの)延命を祈願していることから生死や寿命に関わる神ではないかとも考えられています。
これを受けてナキサワメについて本居宣長は「人命を祈る神」、平田篤胤は「命乞いの神」であろうと評しています。
また或いは古く本邦には葬送に際し涙を流し泣き喚く「泣き女」と呼ばれる巫女がいたとも考えられ、これを神格化したのがナキサワメであるとする説もあります。
泣き女は彼岸へ旅立つ使者への最高のもてなしの意味、また死者の蘇生を期する魂振り・魂呼ばいの意味、また或いは葬送に臨んで悪霊を祓う意味があるとも言われ、現在でも朝鮮半島や台湾などで見られる風習です。本邦でも近年まで一部地域で行われていたところもあります。
一方、当社には本殿が無く、その代わりに拝殿後方に井戸がありこれを御神体として祭祀しています。
この井戸にはナキサワメの流した涙があるとも言われ、ナキサワメが水神でもあったことを示唆しています。
涙は降水に通じるものであり、また逆に雨は天の涙であるとも考えられ、当社で祀られるナキサワメも現に降雨の神としても信仰されていたようです。
江戸時代中期の地誌『大和志』は当社について「啼澤杜にあり」とあることから、非常に古くから一貫してナキサワメを祀る神社として信仰されていたことがわかります。
ただ、当社の社名に「都多本(ツタモト)」とある理由ははっきりしません。「木之本」が訛ったものと考えるにはやや無理があり、或いは誤記が定着したのかもしれません。
いずれにしても当社が式内社であると共に記紀や『万葉集』にも登場するほどの古社であることは疑いはありません。
近隣に同じく「畝尾」を冠する「畝尾坐健土安神社」が下八釣町に鎮座する他、天香久山の付近には多くの式内社が鎮座しており、この辺りが古くから特に神聖な地だったことが窺えます。
境内の様子
当社は木之本町の北東、奈良文化研究所の北側に隣接して鎮座しています。
当社の境内はこんもりとした森となっており、これを古くから「啼澤杜」と呼んだのでしょう。
森の南側に境内入口があり、参道を東へ進むと鳥居が西向きに建っています。
鳥居の手前側には『万葉集』巻二-202の当社のことを詠んだ歌「泣沢の 神社に神酒すゑ 祷折れども わご大王は 高日知らしぬ」を刻んだ万葉歌碑が配置されています。
石碑
鳥居をくぐった様子。非常に鬱蒼とした森となっており、日の長い時期の昼間でも暗い境内となっています。
参道は突き当りで左側(北側)へ折れ、その先に社殿が見えてきます。
社殿は南向きに並んでます。
拝殿は桟瓦葺の平入切妻造。扉の上に巴紋が施されているのが特徴的。
拝殿後方の玉垣内には幣殿らしき桟瓦葺・妻入切妻造の建物があり、その後方にさらに瑞垣が設けられているのが辛うじて見えます。
当社には本殿が無く、代わりに井戸が玉垣内にあるといい、これを御神体としています。しかし外からは全く見えません。
本社社殿の左側(西側)に境内社が南向きに鎮座。社名・祭神は不明。
小さな祠がコンクリ製の覆屋に納められています。
さらにその左側(西側)には石碑が建っています。
文字が刻まれているのかどうかも不明となっているものの、恐らく庚申か金比羅権現などの何らかの信仰の対象でしょう。
翻って本社社殿の右側(東側)にも境内社が南向きに鎮座しています。社名・祭神は不明ながら、狐の置物があることから稲荷系の神社でしょう。
社殿は銅板葺の春日見世棚造で、手前側に朱塗りの神明鳥居が建っています。
さらに右側(東側)、境内の東端に「八幡宮」が西向きに鎮座しています。
基壇上に拝所、透塀が設けられ、玉垣で囲われて銅板葺・朱塗りの一間社流造(三扉)の本殿が建っています。
明らかに他の境内社とは異なる破格の待遇となっており、立派な社殿を持つことやその立地からこちらが本社なのではとの印象すら受けます。
八幡宮の手前側には立派な狛犬も配置されています。砂岩製。
本社と八幡宮の位置関係を見るとこのような感じ。右奥が八幡宮となります。
地図
由緒
石碑
泣澤女の神の杜
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