社号 | 御霊神社 |
読み | ごりょう |
通称 | 御霊本宮、御霊宮大明神、四所御霊大明神、宇智郡大宮、御霊さん 等 |
旧呼称 | |
鎮座地 | 奈良県五條市霊安寺町 |
旧国郡 | 大和国宇智郡霊安寺村 |
御祭神 | 井上内親王、他戸親王、早良親王、火雷神 |
社格 | 旧県社 |
例祭 | 10月第4日曜 |
御霊神社の概要
奈良県五條市霊安寺町に鎮座する神社で、五條市内に二十社以上ある「御霊神社」の総本社となっています。
当社の御祭神は「井上(イノエ)内親王」「他戸(オサベ)親王」「早良親王」「火雷神」の四柱です。
この内、「井上内親王」は聖武天皇の皇女で光仁天皇の皇后、「他戸親王」はその皇子にあたる人物です。
光仁天皇が即位した二年後の宝亀三年(772年)、井上内親王は光仁天皇を呪詛したとの嫌疑により皇后を廃され、他戸親王も皇太子を廃されることになり、さらに翌年の宝亀四年(773年)には難波内親王(光仁天皇の姉)を呪詛し殺害したと疑われました。
これにより二人は大和国宇智郡(現在の五條市北部)に幽閉され、宝亀六年(775年)に母子同じ日に薨去しました。一説にこの不自然な薨去は自殺とも暗殺ともされています。
その後、京では天変地異が頻りに発生し、これは井上内親王や他戸親王の祟りであるとして恐れられるようになります。これを受けて墓の改葬や皇后の追号などの名誉回復が行われ、さらに慰霊のため延暦十九年(800年)に「霊安寺」が当地に創建されました。
当社の創建年代は詳らかでないものの、概ね霊安寺の創建と同時期と見られており、同寺と共に母子の荒ぶる霊を祀って祟りを鎮めることが企図されました。
このように、天変地異や災厄を非業の死を遂げた人物の怨霊の仕業として、これを鎮めることで平穏を願う信仰を御霊信仰と呼びます。京都の「北野天満宮」や「上御霊神社」「下御霊神社」などが代表的で、当社もこうした例の一つです。
一方、当社に祀られる「火雷神」とは井上内親王が当地へ配流される途中に生んだ御子と伝えられています。
ただ『続日本紀』を見る限りでは、井上内親王が当地に配流されたのは高齢になってからであり、当地への配流の途中に出産したとの記録も見えないため、井上内親王が火雷神を出産したとするのは明らかに後世の創作です。
この「火雷神」は西久留野町に鎮座する「宮前霹靂神社」で祀るとする伝承があり、同神社は本来は自然神としての雷神を祀っていたものと考えられます。
恐らく、宇智郡内において井上内親王への信仰が高まったために、当地で古くから信仰されていた自然神・農耕神としての雷神が井上内親王と結びついたのでしょう。(詳しくは「宮前霹靂神社」の記事を参照)
また「早良親王」は他戸親王の異母兄弟といった程度の関係ですが、彼もまた非業の死を遂げてその怨霊が恐れられた人物であり、同じく御霊信仰の代表的な神となっている人物です。
具体的な経緯は不明ながら、京都市上京区の「上御霊神社」でも「早良親王(崇道天皇)」「井上内親王」「他戸親王」は共に祀られており、怨霊の祟りを鎮める御霊信仰の対象として当社でも共に祀られるようになったのでしょう。
こうして創建された当社はその後宇智郡内で極めて厚く崇敬を受けるようになり、郡内の各地に「宮分け」と称して勧請されることになります。
当社の社記には嘉禎四年(1238年)に争論があったために十カ所に宮分けが行われたとあり、その後も宮分けが行われ、江戸時代には当社を含めて23社にもなりました。現在はこの内の22社が現存しています。
五條市北部の各地に鎮座する「御霊神社」は当地において著しく発展した独自の信仰となっており、当地の特色ともなっています。
長らく当社と「霊安寺」は一体的な信仰を為していたようですが、「霊安寺」は現在は廃絶しており、恐らく明治の神仏分離により廃寺になったのでしょう。
その一方で当社はやはり五條市北部に広く分布する御霊神社の総本社であるだけに、今猶五條市内の各地から極めて厚い崇敬を受け続けています。
境内の様子
当社は丹生川の右岸側の段丘上に、川に背を向けるようにして鎮座しています。
境内入口には朱鳥居が東向きに建っています。
現在の当社は社殿への鳥居はこれのみしかありませんが、かつてはここに建つ鳥居は三の鳥居で、入口の北方に二基の鳥居がありました。
一の鳥居はかつて吉野川に架かる国道168号の大川橋の北詰に建っていたものの拡幅工事により撤去、そして二の鳥居は国道から分岐する坂道の途中に建っていたもののトラックの衝突に伴う破損により撤去されたようです。
現在の朱鳥居はかつての一の鳥居を移築したものです。
手水舎は鳥居の手前左側(南側)に建っています。
鳥居の両脇に配置されている狛犬。
鳥居をくぐると砂利の敷かれた広場に石畳の参道が伸びており、正面奥に社殿が東向きに並んでいます。
拝殿は銅板葺の平入切妻造に唐破風の付いた割拝殿。桁行七間にもなる大規模な建築で、中間の五間分は壁がなく開放的な構造です。
拝殿後方に本殿が建っているものの、大規模な瑞垣が設置されており屋根だけしか見えません。
この本殿は檜皮葺(?)の三間社流造。寛永十四年(1637年)に建立された貴重な建築で、奈良県指定文化財となっています。
本社拝殿の左側(南側)に銅板葺の切妻造の神饌所が建っています。
本社拝殿手前の右側(北側)に四社の境内社が南向きに並んでいます。祀られているのは左側から順に次の通り。
- 「祓戸神社」(御祭神「速開都比売命」「瀬織津比売命」)
- 「祓戸神社」(御祭神「気吹戸主命」「速須佐良比売命」)
- 「住吉神社」
- 「琴平神社」
社殿はいずれも銅板葺の春日見世棚造で、この内の左側二社の祓戸神社は小規模で簡素なものとなっています。
境内南側の森に「稲荷大神」が鎮座。
多くの朱鳥居が北向きに並び、その奥の右側(北側)に銅板葺の流見世棚造の社殿が南向きに建っています。
鳥居をくぐってすぐ左側(南側)に井戸があり、プッシュ式の蛇口が設置されています。特に案内板等はありませんが御神水となっているのかもしれません。
この井戸の傍らに「御井神社」が北向きに鎮座。御祭神は「水波能売命」。その名の通り井戸の守護神でしょう。
社殿は銅板葺の一間社流造。


由緒
案内板
元県社 御霊神社縁起
地図
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