社号 | 須久久神社/須久々神社 |
読み | すくく |
通称 | |
旧呼称 | 春日神社 等 |
鎮座地 | 大阪府茨木市宿久庄4丁目 |
旧国郡 | 摂津国島下郡宿久庄村 |
御祭神 | 速素盞鳴命、稲田姫命 |
社格 | 式内社、旧村社 |
例祭 | 10月15日 |
須久久神社の概要
大阪府茨木市宿久庄4丁目に鎮座する式内社です。鎮座地「宿久庄」は『倭名類聚抄』に記載されている摂津国島下郡「宿久郷」の遺称であり、当社の社名もこれに因みます。
鎌倉時代初期に成立した伊勢神宮の由緒等について記した『神宮雑例集』によれば、天平十二年(740年)四月五日、大中臣清麻呂が島下郡の寿久郷に隠居し、春日社を寿久山に勧請した旨が記されています。
当地に勧請された春日社は、一座は須久久山に、一座は春日山に祀ったと言われ、前者が当社、後者が清水地区に鎮座する「春日神社」にあたります。両者とも式内社「須久久神社」の論社ですが、『延喜式』神名帳には二座とあるため一座ずつそれぞれ祀ったものとも考えられます。
一方でどちらかが本来の「須久久神社」であり、いつの頃か分社されて一座ずつ祀るようになったとも考えられ、清水地区の春日神社で「元須久久神社」とも名乗っているのはこれを意識したものかもしれません。
さて『神宮雑例集』に登場する大中臣清麻呂とは藤原鎌足の従兄弟の孫にあたる人物で、大中臣の姓を授けられた有力な政治家です。島下郡は「阿為神社」や「太田神社」など中臣系の式内社が多いことに加え、藤原鎌足の墓であるとする説のある「阿武山古墳」や藤原鎌足を祀る「大織冠神社」があるなど、中臣氏・藤原氏と関係の非常に深い地です。当地に大中臣清麻呂が身を寄せたのもこの縁故のためと思われます。
しかし、『神宮雑例集』で当地に春日社を勧請したとする天平十二年(740年)は「春日大社」(神護景雲二年=768年の創建)がまだ創建されておらず、矛盾が生じています。春日社としてでなく単に中臣氏の祖神として天児屋根命を祀ったか、大中臣清麻呂は延暦七年(788年)に87歳という長寿で亡くなっているため晩年に勧請したものを誤ったのかもしれません。
いずれにせよ当社に関する由緒はほぼ伝わっておらず、仔細を明らかにすることはできません。当社も江戸時代には「春日神社」と名乗っていたようですが、現在の御祭神は何故か春日神と全く無関係の「速素盞鳴命」「稲田姫命」となっています。
ただやはり当地は中臣氏の地であり、当社も中臣氏が祖神を祀ったと考えるのが自然な考えではないかと思われます。
境内の様子
一の鳥居は境内の約200m南方に南向きに建っています。
一の鳥居から道なりに進んでいくと丘陵の麓に境内入口があり、二の鳥居が南向きに建っています。鳥居脇には巨樹も聳え、境内は鬱蒼としています。
二の鳥居をくぐってすぐ右側(東側)に小さな手水舎があります。
二の鳥居の先に石段があり、その上が社殿の建つ空間となっています。
この空間の正面の基壇上に真新しい社殿が南向きに並んでいます。拝殿は銅板葺・平入入母屋造に向拝の付いたもの。
拝殿前の狛犬。砂岩製の古めかしいもので、真新しい社殿と対照的な印象があります。
本殿は覆屋の中に納められているようです。覆屋は銅板葺・平入切妻造。
石段上から二の鳥居の方を眺めた様子。
境内社は無く、境内には本社社殿と石造物、社務所があるのみです。木々で鬱蒼としていつつも小ざっぱりとした印象の神社です。
由緒
『摂津名所図会』
須久久神社二座
鍬靭。廷喜式に出。宿久庄にあり。
地図
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