社号 | 船山神社 |
読み | ふなやま |
通称 | |
旧呼称 | 春日神社 等 |
鎮座地 | 奈良県生駒郡平群町三里 |
旧国郡 | 大和国平群郡安明寺村 / 旧地:同郡中之宮村 |
御祭神 | 船山神、天津児屋根命、住吉大明神 |
社格 | 式内社、旧村社 |
例祭 | 10月23日 |
式内社
船山神社の概要
奈良県生駒郡平群町三里に鎮座する式内社です。
当社の創建・由緒は詳らかでありません。
船山神社はかつて現在地の南東200mほど、矢田丘陵の中腹に鎮座しており、旧・中之宮村に属していました。
さらにその山上には船上神社が鎮座(こちらは旧・安明寺村だったらしい)し、明治元年(1868年)に船山神社に合祀されたと言われています。
さらにその後、船山神社は大正四年(1915年)頃に旧・安明寺村にあった春日神社(現在地)に遷座し、春日神社を船山神社として祀り現在に至っています。
旧地には陰石を思わせる岩石があり、さらに山上近くには丸木舟状の三つの巨岩もあるとされ、神が乗ってきた船だとも信仰されたようです。
これらの岩石を磐座として祭祀したのが当社であり、「船山」の社名もこうした船形の岩石に因むものであると考えられます。
なお、訪問時にこれら旧地や岩石を実見すべく探索しましたが、2020年現在は山上への道が獣除けの柵でしっかりと施錠されており、立ち入ることができませんでした。
ネット上にはいくつかの写真が掲載されており、確かに矢田丘陵の中腹から山上にかけて巨岩がいくつか存在しているようです。
当地付近は花崗閃緑岩の地質なので恐らくその岩石もそうなのでしょう。
かつて春日神社だった現在の当社境内には陽石を思わせる岩石があり、これは旧地にあったものを移してきたものだとされています。
平群谷を挟んで向かい側の生駒山地には巨大な花崗岩を磐座として祭祀した「岩床神社」があり、平群谷の両側で岩石祭祀が行われていた様子が窺われます。
境内の様子
当社は矢田丘陵の中腹に鎮座しています。
棚田を奥へ進み、木々の生い茂った斜面に埋もれるように当社の鳥居が西向きに建っています。
鳥居をくぐると石段上すぐに拝殿が建っています。
下からだとどのような建築かよくわかりません。
通路をくぐり裏側から拝殿を見た様子。平入切妻造の割拝殿です。
雨漏りがあるのか屋根がシートで覆われていましたが、ネット上の情報から瓦葺のようです。
割拝殿をくぐると正面にさらに長い石段が伸びており斜面上の社殿まで続いています。
石段下の左右に配置されている狛犬。砂岩製です。
石段を上って右側(南側)に手水鉢が配置されています。どことなく船の形を意識したような造形。
石段上の正面に神明鳥居が建ち、その奥の石垣上に社殿が西向きに建っています。
社殿は瑞垣で囲われており、手前側の拝殿(幣殿?)は桟瓦葺・妻入切妻造の正面に庇の付いた春日造のような形式。中門と一体化しています。
社殿前にも砂岩製の狛犬が配置されています。石段下のものと比べるとやや角ばった印象。
拝殿?の奥には三棟の本殿が覆屋に納められています。
中央に春日見世棚造、左側(北側)にそれよりやや小さな春日見世棚造、右側(南側)に流見世棚造の本殿が配置されています。
当社は「船山神」「天津児屋根命」「住吉大明神」を祀っているので、それぞれの神がそれぞれの本殿に祀られているのでしょうか。
社殿の建つ石垣の右側には男根を思わせる棒状の岩石が突き出ています。これは旧地から移してきたものとされています。
船山神社の旧地には陰石を思わせる岩石もあったらしいので、それと対になっていたものかもしれません。
当社付近から平群谷を見た様子。谷の向こう側には巨岩を祀る「石床神社」が鎮座しており、平群谷の両側で岩石祭祀が行われていたようです。
由緒
案内板
船山神社 平群町三里
地図