社号 | 調田坐一事尼古神社 |
読み | つくだにいますひとことねこ |
通称 | 疋田神社 等 |
旧呼称 | 春日社 等 |
鎮座地 | 奈良県葛城市疋田 |
旧国郡 | 大和国葛下郡疋田村 |
御祭神 | 一事尼古大神、事代主大神 |
社格 | 式内社、旧村社 |
例祭 | 10月8日 |
調田坐一事尼古神社の概要
奈良県葛城市疋田に鎮座する式内社です。『延喜式』神名帳には大社に列せられ、古くは有力な神社だったようです。
当社の創建・由緒は詳らかでありません。
社名から「一事尼古(ヒトコトネコ)」なる神を祀っていることは明らかですが、この神は記紀などの史料に登場せず、如何なる神なのかは不明です。
その名の類似性や葛城という地域性から、葛城の土着的な神である「一言主神」と何らかの関係があることが推測され、同一の神であるとする説もあります。(一言主神については「葛城一言主神社」の記事を参照)
「尼古(ネコ)」とは古く男性に付けられる尊称であり、三輪氏や地祇系賀茂氏の祖である「オオタタネコ」や、古代の天皇の和風諡号(孝霊天皇の「大日本根子彦太瓊」、孝元天皇の「大日本根子彦国牽」、開化天皇の「稚日本根子彦大日日」)などに見られます。
ただ、「ネコ」は専ら人物に付けられる尊称であり、神に付けられる例は知られていないため、記紀に神であると明記されている「一言主神」が「一事尼古」と同一と見て良いかはこの点に疑問があります。
近世以前は当社は「春日社」と呼ばれ春日神を祀っていましたが、摂社として一言主神を祀っていたようです。
当社に春日神が勧請されて主祭神となり、本来の主祭神である「一事尼古」は境内社の地位に転落し、名の知れた「一言主神」として祀られたのかもしれません。
現在は境内社に春日神社が鎮座しており、上述の推測が正しいなら再び主祭神と境内社が逆転して元に戻った格好と言えます。
現在の当社は「一事尼古大神」「事代主大神」を祀っています。
コトシロヌシは葛城地方を拠点とした地祇系賀茂氏の祖であり、葛城に縁の深い神です。また両神ともに託宣の神、あるいは託宣を行う巫を神格化したものであると思われ、当社の信仰も本来は託宣による祭祀が主に行われていたのかもしれません。
境内の様子
当社の境内から50mほど南に一の鳥居が南向きに建っており、そこから参道がまっすぐ伸びています。
参道をまっすぐ進むと境内入口です。境内の南西には大きな池があり、そこから東へ水路が引かれ、境内へはこの水路に架かる石橋を渡ることになります。
石橋を渡って右側(東側)に手水舎があります。ただし手水鉢はあるものの導水施設はありません。
石橋を渡って正面に二の鳥居が南向きに建っています。
境内は数本の杉などの樹木が生えている程度で、広々として開放的な空間となっています。
鳥居から社殿までは一直線で、動線上に灯籠が三対配置されています。
境内奥に社殿が南向きに並んでいます。
拝殿は本瓦葺の平入切妻造。
拝殿前に配置されている狛犬。花崗岩製の比較的新しいものです。
また狛犬の手前側にはこの地方にはやや珍しく盛り砂が設けられています。
拝殿内へは入ることが可能で、天井裏や壁には大小の夥しい数の絵馬が掲げられています。
拝殿後方には、塀で区切られているため見えにくいですが銅板葺の一間社流造の本殿が建っています。
また本殿の左右それぞれに境内社の「春日神社」および「豊受神社」が鎮座しているようです。
当社には境内東側にも入口があり、東向きの鳥居が建っています。
ここをくぐってすぐ右側が拝殿となります。
境内の様子
案内板
式内大社 調田坐一事尼古神社
地図