社号 | 神御子美牟須比命神社 |
読み | みわのみこみむすひめ |
通称 | |
旧呼称 | 古首明神、牛頭天王宮 等 |
鎮座地 | 奈良県宇陀市菟田野大神 |
旧国郡 | 大和国宇陀郡大神村 |
御祭神 | 神御子美牟須比売命 |
社格 | 式内社、旧村社 |
例祭 | 10月20日 |
神御子美牟須比命神社の概要
奈良県宇陀市菟田野大神に鎮座する式内社です。『延喜式』神名帳には「神御子美牟須比女命」とありますが、現在の社名は「女」の字が抜けて「神御子美牟須比命神社」となっており、「命」を「め」と読んでいます。
社伝によれば、寛平五年(895年)に桜井市三輪の「大神神社」より分霊を遷したのが当社であり、大神神社の奥宮として当地の地名を「大神」と称したと言われています。
この社伝の通りならば式内社としては極めて新しい神社であると言え、『延喜式』編纂開始(905年)の僅か二十年前の創建となります。
ただ、『三代実録』貞観八年(866年)三月二日の条に見える大和国の「神皇産霊神」とは当社のことであるとも考えられ、もしそうならば創建年代は社伝よりも遡ることになります。
当社は社名の通り「神御子美牟須比売命」を祀っています。この神の神格は明らかでありませんが、「美牟須比」とは「御産霊」の意で御祖と同義として、ヒメタタライスズヒメの母神であるセヤタタラヒメを祀るとする説もあります。
セヤタタラヒメは大神神社の御祭神である大物主神の妻となり、その間に生まれた娘がヒメタタライスズヒメとなります。『古事記』には伊須気余理比売(=ヒメタタライスズヒメ)の家は狭井河の上にあるとあり、桜井市三輪の「狭井神社」の辺りであると考えられ、この母娘はやはり三輪と関係の深い神であると言えます。
一方で『三代実録』の「神皇産霊神」が当社であるとするならば記紀の天地開闢において登場する造化三神の一柱「カミムスビ」となり、全く異なる神格となります。
ただし造化三神は性のない「独神」とされているため、社名に「女」が付いてる点は不審です(ただ、カミムスビが女神であるとする説はある)。また、社名に「御子」が付いているのも不審で、天地開闢の際に顕れたカミムスビが「御子」であるはずがありません。
『三代実録』の「神皇産霊神」の「神」は「ミワ」と読み、カミムスビとは全く別の神であると考えることもできますが、敢えてそのような混乱を招く表記をするものだろうかとの疑問が浮かびます。
いずれにしても、社名を鑑みる限りでは大神神社と関係のある神社であるとするのが妥当であるように感じられます。
当社は江戸時代以前には「古首(こす)明神」などと称し、牛頭天王を祀る神社として信仰されていました。
「大神」の地名から大神神社との関係が窺えるにも関わらず、当社の信仰としては大神神社との関わりは忘れられたようです。
近年になって大神神社との関係が復活し、大神神社の奥宮として、大神神社の鎮花祭で用いられるササユリを当社で栽培し奉納しています。
境内の様子
当社は大神地区の集落の背後、ちょっとした谷の奥に鎮座しています。
丘の麓にある境内入口には鳥居が西向きに建っています。
鳥居の傍らに配置されている狛犬。砂岩製で古めかしさの感じられるものです。
鳥居をくぐった様子。斜面上に石段が伸びており、途中二ヶ所で折れ曲がって社殿前まで続いています。
石段途中、二ヶ所目の折れ曲がり地点の右側(南側)に手水舎があります。
さらに石段を上って行くと、砂利の敷かれた狭い空間に社殿が西向きに並んでいます。
拝殿は桟瓦葺の平入入母屋造の中央に短い庇の付いたもの。
拝殿後方、斜面上の空間に中門および瑞垣が設けられ、その内側にトタン葺の一間社春日造の本殿が建っています。
中門、瑞垣、本殿いずれも鮮やかに朱が施されています。
境内には杉の巨樹なども見られ、古くからの神域であることが窺われます。
なお実見しませんでしたが、境内背後の丘を登って行くとちょっとした滝があり、当社の奥宮にあたる祠も建っているようです。
当社周辺の様子。ちょっとした谷間に田圃が開かれたところで、人家も少ない長閑な山間の地です。
由緒
案内板
式内神御子美牟須比命神社
地図
関係する寺社等
大神神社 (奈良県桜井市三輪)
社号 大神神社 読み おおみわ 通称 旧呼称 三輪明神 等 鎮座地 奈良県桜井市三輪 旧国郡 大和国式上郡三輪村 御祭神 大物主大神 社格 式内社、二十二社、大和国一宮、旧官幣大社 例祭 4月9日 式 ...
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