社号 | 白山神社 |
読み | はくさん |
通称 | |
旧呼称 | |
鎮座地 | 奈良県桜井市豊前 |
旧国郡 | 大和国式上郡豊前村 |
御祭神 | 白山姫命 |
社格 | 式内論社? |
例祭 | 10月23日 |
白山神社の概要
奈良県桜井市豊前に鎮座する神社です。
当社の創建・由緒は詳らかでありません。「白山姫命」を御祭神とし、古くから白山信仰の神社とされてきたようです。
志賀剛氏は当社を式内社「宇太依田神社」であると論じていますが、何ら根拠は無く、周囲にウダやヨリタを思わせる地名も無いため、一般に式内論社としては認められていません。
式内社「宇太依田神社」について、大正三年(1914年)に刊行された地誌『大和志料』は、所在不明としつつも、『続日本紀』神護景雲二年(768年)十一月十八日の条に土佐国の人である「神依田公名代」らが賀茂の姓を賜ったとあることを引き、この氏族が祖を祀ったのではと推測しています。
さらに『大和志料』は宇陀郡に「大神神社」と関係の深い「神御子美牟須比女命神社」があることを指摘し、当社と関係あるのではと論じています。
地祇系賀茂氏および大神氏(「大神神社」を奉斎した氏族)が大田田根子や大鴨積命を祖とする同族であり、その一族である「神依田公」が「宇太依田神社」を奉斎し、「大神神社」と東方の宇陀郡とを中継した、とする推測は確かに可能性として考えられそうです。
古代に土佐国の東部を支配した都佐国造氏は地祇系賀茂氏・大神氏と同族で、彼らの奉斎した高知県高知市一宮に鎮座する「土佐神社」は御所市鴨神の「高鴨神社」および御所市森脇の「葛城一言主神社」と関係の深い神社です。「神依田公名代」はこの氏族の出身であることが考えられます。
このように「神依田公」が間接的に式上郡や葛城地方と関係していることは窺えるものの、『新撰姓氏録』などの史料にこの氏族は登載されておらず、式上郡に居住して「宇太依田神社」を奉斎していたとまで踏み込んで良いかは慎重に検討すべきでしょう。
社名からはやはり宇陀郡との関係が考えられることから、その所在地を求めるならば、安直なのは承知の上で宇陀郡との郡境に近い場所を探るのが良いかもしれません。
境内の様子
当社は豊前地区のほぼ中心にあります。
奈良県には何故か旧令制国がそのまま大字(旧村)となっている例がしばしば見られ、当地もその一つ。古い時代にその国出身の人々を移り住まわせたものとする説もあるものの詳細は不明です。ただ当地の読みは「ブゼン」でなく「ブンゼ」。
当社境内は生垣で囲われ、境内の南西側に鳥居が西向きに建っています。
鳥居をくぐって正面奥に社殿が西向きに建っています。
拝殿は桟瓦葺の平入切妻造に妻入切妻破風が設けられたもの。妻入切妻破風は緩やかな曲線を描いており、一見すると唐破風のようにも見えます。
拝殿後方、石垣の上に塀に囲われて銅板葺・一間社春日造の本殿が建っています。
本殿手前の左右に配置されている狛犬。砂岩製です。
本社本殿の左側(北側)に二社の境内社が西向きに鎮座しています。
左側(北側)は「春日社」、右側(南側)は「祇園社」で、いずれも銅板葺の春日見世棚造。
手水舎は簡素なものが拝殿の右側(南側)に設置されています。
当社境内の灯籠。本社本殿右側(南側)には「白山大権現」と刻まれたものと愛宕灯籠が、境内北側には「象頭山」「大神宮」とそれぞれ刻まれたものが配置されています。
象頭山とは讃岐国の松尾寺の山号で、現在の「琴平宮」のこと。大神宮とは「伊勢神宮」を指し、それぞれの講が奉納したものでしょう。
このように狭い境内ながら多くの信仰が入り混じっている空間となっています。
地図