社号 | 旧府神社 |
読み | ふるふ |
通称 | |
旧呼称 | 牛頭天王社 |
鎮座地 | 大阪府和泉市尾井町 |
旧国郡 | 和泉国和泉郡尾井村 |
御祭神 | 素盞嗚尊 |
社格 | 式内社、旧村社 |
例祭 |
旧府神社の概要
大阪府和泉市尾井町に鎮座する式内社です。
当社の創建・由緒は詳らかでありません。
社名「旧府」の由来については次の二説があります。
- 神功皇后の行宮である「小竹宮」(シノノミヤ)に因むとする説
- 移転する前の和泉国府が当地にあったとする説
1.の説について、「小竹宮」とは、『日本書紀』神功皇后摂政元年二月条において神功皇后が三韓征伐の帰途に忍熊王の反逆を受け、紀伊国へ向かい忍熊王を討つために遷ったとある行宮です。
この「小竹宮」とされる地は諸説あり、一説に当社の辺りにあったと言われています。
当地付近の地名「信太(シノダ)」は「小竹田」とも表記されたため、地名から見ても当地の比定にある程度の理があるようには思われます。
しかし「小竹宮」は文脈から考えても紀伊国にあったとする説が有力で、その場合、和歌山県御坊市薗の「小竹八幡神社」や和歌山県紀の川市北志野の「志野神社」がそうだとする説があります。
2.の説について、和泉国府は府中町の「泉井上神社」の近くにある御館森がその跡地であると考えられていますが、これは移転したもので当初は当社にあったとする説があります。
この説は御館森の新国府に対して旧国府が当地である、とするものです。和泉国というより、その前身である和泉監の役所だったとも考えられています。
ただし、和泉国府(監府)が移転した記録はなく、また他国の式内社においても旧国府を殊更神社として祀る例は見られない点に疑問があります。
このように二つの説がありますが、いずれも疑問があり決めにくいのが実情です。
「旧府」とあるからには何らかの古い役所があったことが推測されますが、記録には見えない未知の歴史がこの社名には込められているのかもしれません。
なお当社は江戸時代には「牛頭天王社」と称して「牛頭天王」を祀っていました。現在の御祭神「素盞嗚尊」は明治の神仏分離により牛頭天王を神道における同格の神に置き換えたものでしょう。
境内の様子
境内入口。境内の手前側は樹木や玉垣等も無く非常に開放的な空間ですが、境内の奥は樹木の生い茂る鬱蒼とした空間となっており、この対比が印象的です。
社殿の前には大きなクスノキが聳え立っています。
また社殿前の参道には狛犬、灯籠、そして二基の鳥居が南向きに並んでおり、手前の開放的な空間(=人の世界)から奥の鬱蒼とした空間(=神の世界)へ移る緩衝帯としての機能を果たしています。
鳥居の前に配置されている狛犬。和泉砂岩製でしょうか。
鳥居の左側(西側)に手水舎があります。
二基の鳥居をくぐった奥に社殿が南向きに並んでいます。
拝殿は本瓦葺の平入入母屋造で割拝殿状の形式ですが、左右の部屋に床はありません。
また拝殿の左右には塀が設けられており、奥の神域を厳格に仕切っています。
拝殿後方に建つ本殿は妻入切妻造の覆屋となっています。恐らくこの中に本殿が納められているのでしょう。
参道の左側(西側)に「白狐化石」なるものがあります。
葛の葉の物語で狩人に追われた一匹の白狐がこの石に隠れたとも化けたとも言われており、元々は街道沿いにあったものを境内に移したものです。
地図