社号 | 大倭物代主神社 |
読み | おおやまとことしろぬし |
通称 | |
旧呼称 | 諸守大明神、師衆大明神 等 |
鎮座地 | 兵庫県宍粟市山崎町下牧谷 |
旧国郡 | 播磨国宍粟郡下牧谷村 |
御祭神 | 大名貴神、事代主神、大物主神、健御名方神 |
社格 | 式内社、旧郷社 |
例祭 | 10月9日 |
大倭物代主神社の概要
兵庫県宍粟市山崎町下牧谷に鎮座する式内社です。
当社の創建・由緒は詳らかでありません。
天正八年(1580年)に長水城主の宇野下総守が羽柴秀吉との戦いで落城した際に兵火に罹り社殿が焼失したといい、御神体を佐用町船越にある船越山瑠璃寺南光坊へ一旦遷した後、約百年後の天和二年(1682年)に再び現在地に社殿を造営したと伝えられています。
江戸時代以前は諸守(モロス)大明神・師衆大明神などと呼ばれていました。
ただ、上牧谷にある当社御旅所だったという「住吉神社」の方がモロス大明神であったとする説もあり、式内社「大倭物代主神社」をそちらに比定する説もあるようです。
しかしいずれにせよ、式内社「大倭物代主神社」をモロスと呼ばれていた神社に比定した理由ははっきりしません。
現在の当社の社名は「オオヤマトコトシロヌシ」と読んでおり、これに従うならば大和国に鎮座するコトシロヌシ神を勧請したことになるでしょう。
即ち、奈良県御所市宮前町に鎮座する「鴨都波神社」(『延喜式』では「鴨都波八重事代主命神社」)もしくは奈良県橿原市雲梯町に鎮座する「河俣神社」(『延喜式』では「高市御縣坐鴨事代主神社」)が勧請元の候補として考えられ、特に前者だとすれば当社は地祇系賀茂氏が奉斎したことが考えられそうです。
一方で物代主をオオモノヌシの意と捉えることも可能で、もしそうだとすれば奈良県桜井市三輪に鎮座する「大神神社」が勧請元となりましょう。
ただオオモノヌシとコトシロヌシは同一の神であるとする説もあり、大神神社を奉斎した三輪君・大神氏もまた地祇系賀茂氏と同系です。
とすれば当社の社名にある「物代主」とは、オオモノヌシとコトシロヌシを同一視した上での別名で、地祇系賀茂氏や三輪君らの祖にあたる、とする解釈も可能かもしれません。
とはいえ他の資料には見えない名であるため現状では詳細不明と言うほかありません。
現在の当社の御祭神は「大名貴神」「事代主神」「大物主神」「健御名方神」の四柱。
一般的には大名貴神(オオナムチ)と大物主神は同一神と見做されており、これに加えて事代主神をも祀っていることから、恐らく当社の社名「物代主」をオオモノヌシとコトシロヌシの両方の意としているのでしょう。
一方で当社が再建された際の天和二年の棟札は祭神を健御名方神としており、現在も祭神に加えられています。
タケミナカタはオオクニヌシ(一般的にオオモノヌシと同一とされる)の御子神であり、オオモノヌシやコトシロヌシとも近しい神であると言えるものの、当社において主祭神となっていた経緯ははっきりしません。
いずれにしても大和国で祀られていた神が(人の移動等の)何らかの事情で播磨国宍粟郡に勧請されたことは確かでしょう。
境内の様子
当社は伊沢川の右岸側、下牧谷地区に鎮座しています。
境内手前側はコンクリートで舗装されており、桟瓦葺の平入切妻造の随身門が南東向きに建っています。
随身門は左右の随身像が互いを向き合う対面型。
内部に安置されている随身像はやや傷みが目立ちます。
随身門をくぐって正面奥に鳥居が南東向きに建っており、境内入口となっています。
境内は砂利敷きとなっており、樹木は極めて乏しく、開放的というより殺風景とすら言えるほどとなっています。
鳥居をくぐってすぐ右側(北東側)に鐘堂が建っています。
境内を奥へ進むと社殿下の右側(北東側)に手水舎が建っています。手水鉢は寛政十二年(1800年)に奉納されたもの。
境内の正面奥、石段上に社殿が南東向きに並んでいます。
拝殿は銅板葺の平入入母屋造に向拝の付いた真新しい建築。
拝殿前に配置されている狛犬も真新しいものです。
拝殿後方に建つ本殿は銅板葺の三間社流造。こちらは古めかしさが感じられ、或いは再建当時まで遡るものかもしれません。
本社本殿の左側(南西側)に二社の境内社が南東向きに並んでいます。
これらの内、左側(南西側)に「稲荷大明神」が、右側(北東側)に「山神社」が鎮座。
稲荷大明神は三基の朱鳥居の後方に銅板葺の一間社流造の社殿が建っています。
山神社も銅板葺の一間社流造で、稲荷大明神よりやや大きなもの。
対して、本社本殿の右側(北東側)に「北野天満神社」が南東向きに鎮座。明治四十一年(1908年)に現在地へ遷座したもの。
社殿は桟瓦葺の妻入入母屋造(背後は切妻造)。
案内板
下牧谷 北野天満神社 略記
北野天満神社の社殿前に配置されている狛犬。こちらは古めかしく、かつ個性的な顔立ちとなっています。
当社の近隣を流れている伊沢川。この川の形成した谷(伊沢谷)沿いに当社は立地しています。
『播磨国風土記』に見える「都太川」はこの川に比定されているものの、記事には誰もよくわからないという残念な旨が記されています。
地図
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