社号 | 日根神社 |
読み | ひね |
通称 | |
旧呼称 | 大井堰大明神 等 |
鎮座地 | 大阪府泉佐野市日根野 |
旧国郡 | 和泉国日根郡日根野村 |
御祭神 | 鵜葺草葺不合尊、玉依比売命 |
社格 | 式内社、旧府社、和泉国五宮 |
例祭 | 5月5日 |
式内社
日根神社の概要
大阪府泉佐野市日根野に鎮座する式内社です。和泉五社の一つ(和泉国五宮)であり、和泉国の中でも有数の格の高い神社として信仰されてきました。
当社の創建についてはいくつかの社伝があります。一つは、神武東征の際、長髄彦に敗れ紀伊に向かった神武天皇が当地に立ち寄って戦勝を祈願し、その後大和を平定したことにより当地に神を祀ったのが当社であるというものです。
また一つに、神鳳が大鳥郷に降り、この神を天照大神の権化として、天武天皇の御代に当地に大鳥大社の分霊を祀ったとも伝えられています。或いは仲哀天皇の御代に白翁が大鳥に姿を変えて、日根野の地に神を祀るよう告げたとも言われています。
また一説には当地に居住した渡来系氏族「日根造」が祖神を祀ったのが始めであるとも考えられています。『新撰姓氏録』和泉国諸蕃に新羅国の人、億斯富使主を出自とする「日根造」が登載されています。当初はこの氏族が当社を奉斎した可能性があります。
中世には当地一帯は日根荘と呼ばれる荘園で、領主の九条家が自ら開発したところでした。『日根野村絵図』などの古文書に当時の様子が描かれており、寺社等の多くの施設が現在にも残っています。旧・日根荘において歴史的な景観を構成している寺社などは「日根荘遺跡」として国の史跡に指定されており、当社や大木地区の「火走神社」も含まれています。
当社は江戸時代まで「大井堰大明神」と呼ばれていました。この社名から樫井川から水を引いて井関や水路を造り当地一帯を大規模に開発したことが窺えます。この名がいつ頃から呼ばれるようになったかは定かではありませんが、中世の荘園開発に伴って土地の神・開拓の神・水利の神として神格が再定義され、その頃にそう呼ばれるようになったのかもしれません。
一方、当社は夫婦の神を祀るので子授け・安産の神だともされています。当社では幟に大量の枕を付けて御旅所まで練り歩く「まくら祭り」が行われますが、これは子宝に恵まれない夫婦が子授けを願って枕を奉納したことに始まるとも伝えられています。
枕にゆかりの深い神社であることから現在では安眠の神としても信仰されるようになっており、不安などで寝付けないといった悩みを持つ人々を対象に祈願が行われています。
一説に日根造の氏神として祀られたのが創建だとされる当社は、中世には開発・水利の神として、後には子授け・安産の神として、そして現代では安眠の神として信仰されています。このように当社は時代ごとに様々な神格を併せ持ってきた神社であると言えます。
比売神社
日根神社の境内の鎮座する式内社です。御祭神は「天照大御神」「須佐之男命」。
当社の創建・由緒は詳らかでありませんが、江戸時代には「溝口大明神」と呼ばれ、大井堰大明神と呼ばれた日根神社と共に、当地一帯が大規模に開発された際に水利の神として重視されたことが窺われます。
元々は別の地に鎮座していたのが、いつの頃か日根神社境内に移されたようです。かつては日根神社と向かい合うように鎮座し、「下の御前」と呼ばれていたとも伝えられています。
式内社
境内の様子
一の鳥居は社殿の北西350mほどのところに建っています。一の鳥居から社殿までまっすぐに長い参道が続いています。
参道途中に二の鳥居。
そして三の鳥居が順に建っています。
三の鳥居をくぐると社務所や境内社のある広い空間。こちらの境内社は後述するとして、一先ず進みます。
さらにまっすぐ進むと四の鳥居が建っています。
四の鳥居をくぐると右側(南西側)に手水舎。
正面には四脚門の神門が建っており、ここをくぐるとようやく社殿の建つ空間です。
正面の社殿は北西向き。拝殿は平入の入母屋造りで千鳥破風と唐破風の向拝が付いています。瓦葺きですが向拝のみ銅板葺きとなっています。
どっしりとした安定感ある建築といった印象。
拝殿前に狛犬の銅像が配置されています。
本殿は大規模なもので、一見すると唐破風付きの一間社春日造ですが、背面は入母屋造となっています。豊臣秀頼が再建したものとされる貴重な建築で、大阪府指定有形文化財です。鮮やかな彩色の施された素晴らしい建築で、個人的には国重文に昇格しても良いのではと思っています。
本殿の左側(北東側)に「新道宮」が鎮座しています。御祭神は「菅原道真」。
新道宮の傍らに謎の石柱が建っています。上下に分割された石柱に笠状の石が載せられたもので、他に類を見ません。
当社は子授け・安産の神でもあることから、これを男根の象徴だとする説もあるようです。
新道宮や謎の石柱の周囲にも二棟の境内社が鎮座していました。(配置の関係上写真は撮れず)
社殿の左側(北側)にはこのような水路が流れています。樫井川から引いたもので、この水路による灌漑で日根野の地は大規模な開墾が可能となりました。当社のかつての呼び名「大井堰大明神」とはこうした水路の守り神であったことから呼ばれたのでしょう。
社殿の右側(南側)に鎮座する境内社。社名・祭神は不明です。
さて三の鳥居をくぐったところに境内社のある広い空間があると上述しましたが、今度はこちらの境内社を見ていきます。
最も手前側(北西側)に鎮座するのは式内社の「比売神社」。御祭神は「天照大御神」「須佐之男命」。江戸時代には「溝口大明神」とも呼ばれました。
社殿は大規模な一間社春日造。本社本殿よりも古い建築らしく、室町時代初期を下らないと考えられており、大阪府指定有形文化財となっています。「重要文化財」と書かれた石碑が建っていますが、国指定でなく府指定です。個人的には国指定でないのが不思議なくらいの大変貴重な物件のように思います。
案内板「日根神社 末社 比売神社本殿」
比売神社の左側に隣接して「丹生神社(野々宮)」が鎮座。御祭神は「丹生都比売大神」「丹生高野御子大神」。
丹生神社の左側に隣接して鎮座する境内社。「恵比須宮」でしょうか。そうならば御祭神は「事代主尊」です。
恵比須宮(?)の左側に隣接して「岡前神社」が鎮座。御祭神は「須佐之男命」。
岡前神社の左側、最も奥側に鎮座する境内社。社名は不明ですが「赤之宮」でしょうか。そうならば御祭神は「丹生都比売命」です。
このように当社は広い境内と多くの境内社を有しています。和泉五社の一つとしての風格を十分に感じられる神社となっています。


御朱印
由緒
案内板「日根神社本殿 一棟」
貼紙「日根神社」
『和泉名所図会』
地図