社号 | 男乃宇刀神社 |
読み | おのうと |
通称 | |
旧呼称 | 牛頭天王 等 |
鎮座地 | 大阪府和泉市仏並町 |
旧国郡 | 和泉国和泉郡仏並村 |
御祭神 | 彦五瀬命、神日本磐余彦尊、五十瓊敷入彦命 |
社格 | 式内社、旧郷社 |
例祭 | 10月第二日曜日 |
男乃宇刀神社の概要
大阪府和泉市仏並町に鎮座する式内社です。
『延喜式』神名帳には男乃宇刀神社は二座とありますが、元々は一座が当地に鎮座して「上之宮」と呼ばれ、もう一座はかつて当地の北方1kmほど、下宮町地区にある和泉市総合スポーツセンター(旧・大阪府立横山高等学校)の敷地内に鎮座して「下之宮」と呼ばれていました。
昭和二十年(1945年)に下之宮は上之宮に合祀されました。
男乃宇刀神社の「男乃(オノ)」とは「兄」の意で、上之宮に兄である「彦五瀬命」を祀り、また「宇刀(ウト)」とは「弟」の意で、下之宮に弟である「神日本磐余彦尊(神武天皇)」を祀ったと言われています。
社伝によれば神武東征の際、長髄彦との戦いにおいて彦五瀬命が負傷し退却したときに当地に立ち寄り、当時この地を治めていた「横山彦」なる人物が奉迎して行宮を営んだとされ、この縁により元慶年間(877年~885年)に当社が創建されたと伝えられています。
行宮の地は「狩山」と称して今の槇尾中学校の裏手にあたり、また彦五瀬命が傷を洗ったとされる「解気井(さぬきのい)」が坪井町地区の澤家に伝わっています。
また、「五十瓊敷入彦命」がこの地を領せられたとも伝えられ、この縁で当社の祭神の一柱として祀られています。
その後、文禄年間(1593年~1596年)には上之宮・下之宮ともに「牛頭天王」が祀られました。
その際、上之宮には新しく「八坂神社」が建てられた一方、下之宮はやや複雑な経緯を辿っています。
下之宮は祭神の「神武天皇」を字「切坂」に遷し、元の地を「八坂神社」としましたが、時代を経て明治四十五年(1912年)に神武天皇は元の地である「八坂神社」へと合祀され再び旧地で祀られる格好となりました。
その後昭和二十年に上之宮へ合祀されたのは前述の通りです。
このように当地一帯は神武天皇ゆかりの地として語られていたようです。
和泉山脈にほど近い山間の地に神武東征の伝説があるのは少し不思議なようにも感じられるものの、泉南市男里に鎮座する「男神社」と共に和泉国における神武東征の伝説の一端を担っています。
境内の様子
境内入口。当社は集落のある谷に突き出た丘の上に鎮座しています。
その丘の東麓に一の鳥居が東向きに建ち、そこから石段が続いています。
鳥居両脇に配置されている狛犬。花崗岩製で威厳あるものです。
境内は緑豊かなちょっとした山といった感じで、石段を上っていくと広い空間があり、その先に社殿が建っています。
社殿は東向きに並んでいます。
拝殿は前側と後側の二ヶ所にあり、前側の拝殿はトタン屋根の平入入母屋造で、中央に通路のある典型的な割拝殿です。
割拝殿の通路。ここを通って奥の空間へ入ります。
割拝殿をくぐると二の鳥居が建ち、その奥にもう一つの拝殿が建っています。
こちらの拝殿は銅板葺の平入入母屋造で軒唐破風が付いています。こちらは割拝殿でなく普通の拝殿。
その後方の壇上に中門、そしてその奥に本殿が建っています。本殿は銅板葺の三間社流造で千鳥破風と唐破風が付いており、やや古い建築のように思います。
本殿の建つ壇の前で左右に向かい合って二社の境内社が鎮座しています。いずれも社名・祭神等は不明。
社殿はいずれも桁行方向の長い銅板葺の流見世棚造。
後方の拝殿の脇にも境内社が東向きに鎮座。やはり社名・祭神等は不明。
社殿は銅板葺の流見世棚造。
境内の北側に「八坂神社」が南向きに鎮座。
鳥居が建ち、奥に拝所と銅板葺・一間社流造の社殿が建っています。
当社は文禄年間に「牛頭天王」が勧請され、江戸時代には当社自体が「牛頭天王」と称されるようになりましたが、現在はこのように境内社として祀られているようです。
八坂神社を取り巻くように数多くの祠が建っています。いずれも社名・祭神等は不明。
社殿は銅板葺の流見世棚造が多いですが、一部石祠もあります。
参拝者の動線からは完全に外れて、境内の南側に鳥居と手水舎があります。
崖下の鳥居から参拝するとなるとこちらの空間へ足を運ぶのは不自然としか言いようが無く、不思議な配置です。
もしかしたらかつてはこちらが表参道だったのでしょうか?
手水舎の後方に池があり、その浮島に石祠が東向きに建っています。社名・祭神は不明ですが、立地的に恐らく弁財天・市杵島姫神を祀っているのでしょう。
池の奥にも石祠が南向きに建っており、これを囲う瑞垣に「九頭神 講中」とあるので恐らく「九頭神」が祀られていると思われます。
気になるのは石祠の前に丸い石が積まれている点。山梨県等では道祖神として丸石を祀ることがよくありますが、当地でもそのような信仰があったのでしょうか。
当社付近の様子。大阪平野とは異なり、山の迫った農村といった風景です。
由緒
案内板
男乃宇刀神社由緒記
『和泉名所図会』
地図
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